オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

テンポイントは呪われた文学である Part ②

テンポイントは呪われた文学である
Part ①
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2020/10/22/060229


「見てくれこの脚!見てくれこの脚!これが関西の期待テンポイントだ」

「それいけテンポイント!ムチなど要らぬ!押せ!」

「中山の直線を、中山の直線を流星が走りました!テンポイントです!」



昭和のあの時代。
ハイセイコー時代とオグリキャップ時代の間に、TTG時代があったのをご存知だろうか?
テンポイントトウショウボーイグリーングラスのことである。
日本競馬史において、これほどまでにファンを熱狂させた時代はない。
その人気は、ハイセイコーオグリキャップに匹敵、、否、ファンの心に残ったという点では、それ以上であったかもしれない。
特にTT... テンポイントトウショウボーイの数々の死闘は、史上最高の名勝負として長く語り継がれている。


テンポイントトウショウボーイは宿命のライバルである。
ハイセイコータケホープが、花形満星飛雄馬の関係ならば、テンポイントトウショウボーイは、力石徹と矢吹ジョーの関係である。
テンポイントの物語を語る上で、宿敵トウショウボーイは欠かせない存在。
テンポイントの母、ワカクモの物語にメジロボサツが欠かせないように、テンポイントトウショウボーイは絶対欠かせない。
前者が “走るお墓vs亡霊の仔” ならば、後者は “天馬vs流星の貴公子”


1977 有馬記念
このレースを最後にトウショウボーイは引退。テンポイントはパリのロンシャンを目標に、海外に旅立つ予定だった。グリーングラスを加え、一時代を築いたTTG最後の死闘。

1着 テンポイント
2着 トウショウボーイ
3着 グリーングラス

このレースは、日本競馬史上最高の名勝負と伝えられる。
私などは、ファンファーレが鳴ってからゴールするまで、ずっと鳥肌が立っていたのを憶えています。
否、一週間前から、レースのことを想像しては緊張していたと記憶する。

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トウショウボーイは無事に引退し故郷に帰りました。

テンポイントは?
年が明け、海外遠征前の壮行会(国内ファンへの見納め会)として日経新春杯に出走する。
当日の京都競馬場は粉雪が舞っていた。現在では考えられない負担重量は66.5kgという酷量...。

そして、あの悲劇。。。

大手術。
その後の壮絶な闘病の末、流星の貴公子テンポイントは天国に旅立った。



もし朝が来たら
グリーングラスは霧の中で調教するつもりだった
こんどこそテンポイントに代わって日本一のサラブレッドになるために
 (寺山修司「さらば、テンポイント」より)


TTG時代の一角、グリーングラスはその後も二年間現役を続けた。
3強といっても、彼は地味な存在であった。しかし、テンポイントトウショウボーイと競ったという誇り、下手なレースは出来ない。
天皇賞春を勝ち、引退レースとなった有馬記念でのラストランも飾った。
さすが、TTGのG!グリーングラス


いやぁ~!
グリーングラスのラストラン感動しました。オグリキャップトウカイテイオーも感動したが、グリーングラスも感動しましたね。
きっと、天国のテンポイントも喜んでいたことでしょう。

次回に続きます。

テンポイントは呪われた文学である Part ①

テンポイントが後退した。鹿戸騎手がちょっと後ろを見ている。これはどうしたことか、これはどうしたことか、故障か、故障か、あっと故障か、テンポイントは故障か、、、これはえらいこと、これはえらいことになりました!」
(1978 1/22 日経新春杯)


これは、杉本清アナによる、あの有名なテンポイント故障の瞬間の実況である。粉雪が舞い散る京都競馬場で、今の時代では考えられない、66.5kgという酷量を背負わされた上での残酷ショー。日本の至宝が崩れ落ちた。
とんでもないことが起きた。目の前の光景が信じられない。

ファン(勿論私も)は悪夢を見ている思いだったでしょう。競馬を知っているものならば、ライブで映ったテンポイントの脚元がどういう状態なのか? 容易に想像できたと思う。
それは、取り返しのつかないことであり、普通なら、即、安楽死処分が取られているところ。

テンポイントを殺さないで...」
数千という助命を嘆願する電話がかかってきたという。
その声に獣医師からなる大医師団が結成され手術が行われた。
手術は成功?したかに見られたが、それからの闘病生活は壮絶だった。

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テンポイントは500kgを超える立派で美しい馬体をしていたのだが、最期は300kgを割る、大げさな表現をするならば、大型犬ぐらいの大きさになり、苦しみもがき、白目を剥いて死んだ。
結果的に、無知なファンの声がテンポイントを苦しめた。壮絶に苦しめた。



テンポイントの死より26年前?

クモワカという牝馬馬伝染性貧血と診断され殺処分命令を受けました。
色々経緯があったのでしょうが、細かいことは省きます。
関係者はクモワカがかわいかったんでしょうね? 殺処分することなく匿っていたのだと思う。
殺処分を出された馬が繁殖牝馬になれるはずはなく、関係者はクモワカを「丘高」という名で登録し受理される。後に、丘高=クモワカが判明し、登録の取り消しを通告されますが、裁判沙汰になったり、、色々あったようですが、最終的には正式に軽種馬協会に登録されることになりました。


丘高=クモワカは、一頭の牝馬を産みます。後の桜花賞馬にして、テンポイントの母であるワカクモです。テンポイントの血統表を見ると、母(ワカクモ)の母は、丘高になっています。
テンポイントの祖母は、一旦、殺処分命令を受けているクモワカなのです。


もし、関係者が泣く泣くクモワカの殺処分を決行していたならば?
歴史的名馬テンポイントは、この世に誕生していないことになります。
歴史の偶然、タラレバになりますね。


クモワカの娘、ワカクモは、死んだはずのクモワカの子ということで「亡霊の仔」と言われました。
そして、ワカクモは母が2着と敗れた桜花賞を勝利し、見事に母の無念を晴らします。

ところで、このワカクモが勝った桜花賞には、もう一つのドラマがあります。このレースで、ワカクモのライバルと目されていたのがメジロボサツ
この馬もワカクモに勝るとも劣らぬドラマチックな馬。
メジロ牧場の根幹血統として有名ですね。メジロドーベルやモーリスも、遡ると、このメジロボサツに行き着きます。
メジロボサツの母、メジロクインは、娘ボサツを産むと、難産のためか?
すぐに亡くなり、娘のボサツは「走るお墓」なんてニックネームに。
ワカクモは「亡霊の仔」ですからね。

走るお墓 vs 亡霊の仔
まるで、漫画みたいですね(笑)。

メジロボサツのことを詳しく述べると、長くなるので、この馬のことはまたの機会にでも。


今回はあくまでテンポイントのこと。

ワカクモは引退後テンポイントを産む。
後に「流星の貴公子」と称されるように、額の流星、美しい栗毛が特徴。
バネ仕掛けのような動きをするが、母ワカクモに、常に付いてまわる甘えん坊だったという。
当時の新聞の活字が8ポイントであったことから、10ポイントの活字で報道されるような活躍をする馬になってほしいという願いから。

テンポイントと名付けられた。


次回に続きます。

放浪者。寅次郎と紋次郎

木枯し紋次郎。上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれたという。十歳の時に故郷を捨て、その後一家は離散したと伝えられ.. ”


“ 私、生まれも育ちも 葛飾柴又です。帝釈天でうぶ湯を使い、姓は車、名は寅次郎。人呼んでフーテンの寅と発します ”


ご存知。
日本が誇る二大放浪者、車寅次郎と木枯し紋次郎
この二人、まっとうな定職に就かず(紋次郎にはやむを得ない事情あり)、無宿渡世の、言葉は悪いがヤクザ稼業。同じ渡世人でありながら、その性格は対照的であります。

人間不信で徹底したニヒリスト、感情を顕にすることなく、ニコリとも微笑まない紋次郎。
対する寅次郎は、感情剥き出しで、あちこちで他者と関わり騒動を巻き起こしては恋もする。

陰の紋次郎に対し、陽の寅次郎。

しかし、一番の違いは、その気質ではなく背景であると思う。
寅次郎には葛飾柴又に待っている身内がいる。血の繋がるかわいい妹がいる。紋次郎は十歳で一家離散、国を捨て天涯孤独の身。
帰る場所がある寅次郎に、帰る場所がない紋次郎。
二人の性格の違いは、そこからくるのではないか? と、想像できます。

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《ところが、この木枯し紋次郎と、フーテンの寅こと車寅次郎は、よく観察すると似ているのだ... 》


車寅次郎。
帝釈天参道の団子屋の軒先に捨てられていたという。
道楽者の父・平造と、お菊という名の芸者の間にできたのが寅次郎。つまり、妾の子であり、妹・さくらとは腹違いの兄妹なのである。
寅次郎の底抜けに明るい性格の影に、どことなく遠慮がちで孤独な面が垣間見られるのは、そんな生い立ちが影響しているのかもしれません。

紋次郎。
人呼んで “木枯し紋次郎” であるので、本名は知らない。
上州新田郡三日月村出身。貧しい農家に生まれ落ちるや間引きされる運命にあった。そんな赤子の紋次郎を間引きから救ってくれたのが姉・お光であった。明日への目的を持たず、ひたすら姉の面影を探し求めるのが紋次郎の旅であったかもしれませんね。

捨て子と間引き損ない。

そういえば、昔(幼少期)、親の言いつけを守らないと「お前なんか、〇〇で拾ってきた子なんだからね!」なんて、叱られた経験のある人は多いと思う。私の場合は荒川でした(笑)。
それから、遊んで遅くまで帰らないと「早く帰らないと、サーカスにさらわれるよ!」なんてね。

紋次郎も寅次郎も、そんな人身売買を連想させるような、暗く、薄幸な幼少期を送ってきたのかと思うと、あの特殊な性格になったのも頷けます。

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寅次郎にとっての、妹・さくら
紋次郎にとっての、姉・お光

結局、信じられるものは血の繋がった兄妹だけなのかもしれません。

まぁ、寅次郎の場合は紋次郎に較べ、とらやの面々や御前様、弟分の源ちゃん等々、多くの人情に触れ、帰る場所もありずっと恵まれているのでしょう。
紋次郎も「あっしには関わりのないことござんす」と言いながらも、浮世の義理もあり、弱いもの、悲しいものへ関わってしまう。



愛情に恵まれない幼少期。
内にも外にも居場所がない。
行く先々の旅先で人助けをしては去ってゆく。また、定住出来ない放浪者の悲しみ。

どうでしょうか?
寅次郎と紋次郎は似ているのです。



・・・・・・・・・・・・・・・・・



ここで。
私はもう一人の放浪者を思い出す。

放浪の紳士。

チャーリー・チャップリン

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寅次郎と紋次郎の後ろ姿。
まさしくチャップリンなのである。

運動会のヒーロー

ドーン ドーン ドーン!

朝になると、打ち上げ花火が周囲に鳴り響く。

今日は10月10日。
体育の日のイメージが強いですね。そして、この季節は運動会のシーズンです。

運動会の朝に鳴り響く、あの花火の音を聞くと、私は武者震いしたものです。しかし、この花火を打ち上げる風習が、なくなりつつあるという。
理由は近隣住民への配慮? 夜勤明けの人もおり、様々な理由で、それを騒音と捉える苦情があるからだという。
運動会の花火だけでなく、盆踊りや除夜の鐘まで「うるせい!」と文句を垂れる、スットコドッコイ野郎がいる、面倒くさい世の中になりましたね...。


運動会といったら、昔は地域の学校行事の一大イベントでした。
それが年々地味になっているらしい。
危険との理由で消えつつある競技種目も多いという。確かに組体操のピラミッド等は危険かな?...とは思う。でも、騎馬戦や棒倒しも? けっこう盛り上がっているし、それが危険だというなら、何も出来ないだろう?
紅白玉入れや玉ころがし、ダンスなんてやっても(見ても)、面白くも何ともない。それは運動会とは云えない。

そこまではギリギリ許す...。

リレーや徒競走等の順位付け。
「みんな頑張っているのに差別意識が生まれる。順位付けはしない方が良い」そんな考えから “手つなぎゴール” なんて言葉が生まれました。

ふざけちゃいけない(怒)!

まぁ、実際に手つなぎゴールなんてやってる学校は存在しないと信じたい。


学校時代の行事で、私は運動会(体育祭)と球技大会が最も好きでした。文化祭は興味がなく参加した記憶はありません。遠足は面倒くさい、修学旅行や林間(海)学校は憂鬱の対象でしかありませんでした。

まぁ、私が遠足や修学旅行が嫌いな理由は観光バスにあるのかな?
幼い頃はバス酔いしたんですよ、、そして、江ノ島だったかな? 小三の遠足で迷子(3人で)になり、大騒動になった経験があるのです。あれがトラウマになっているのかもしれません。
勿論、団体旅行は嫌いでも一人(少人数)旅は大好きです。


それはともかく、運動会(体育祭)のこと。

学校時代、私は他人に自慢出来ることは何もなかったのですが、唯一、足の速さだけは自慢でした。
運動会の徒競走は殆ど一着、リレーもアンカーばかりでした。

徒競走の成績

幼稚園 ぶっちぎり一着

小一 楽々 一着
小二 楽々一着
小三 スタート転び、追い込み三着
小四 ぶっちぎり一着
小五 残念、ガチンコで二着
小六 軽く流して一着

中一 楽々一着
中二 ガチンコ 二着
中三 楽々一着

高一 意外と苦戦するも一着
高二 ぶっちぎり一着
高三 体育祭中止

好きだった運動会のかけっこ。
このように全部憶えています。

中学時代と高校時代は、各クラスの足の速い人代表ですから、相手もそこそこ速い。
小五と、中ニの二着は同じ相手で、そいつとは同じ中学の陸上部、埼玉県100㍍5位になったやつですから、勝てるわけがない。
ちなみに、そいつと組んだ100×4人リレーでは、県体6位入賞しました。


なんか、自慢になってしまいましたね? 他に自慢出来るものがなかったのでご容赦下さい(笑)。

つまり、一年間で唯一ヒーローになれた時間が運動会であったという良い思い出。
それが近年廃れてきたというのは残念ですね。
今は運動会の季節だというのに、あまりやってる様子がないですね

運動会でダンスなんてやってる場合じゃありません!

走ることが好きだったせいか?
大人になった私は、お馬さんの走りっこに夢中です(笑)。



Long, Long Ago ...

遠い遠い昔のことですね。

あの韋駄天少年はどこへ行ってしまったのでしょうか?

今は全力疾走したり長距離を走れば何が起こるか?わかりません。

心不全か何かで死ぬ可能性も否定出来ません(笑)。

犬さらいのおじさん

犬さらいって、ご存知でしょうか?


コロナ禍で季節感のない 2020年。
あっという間で、そんな今年も10月になってしまいましたね。



私がまだ小学校3年生の頃だったと思います。ガキんちょだった私に、忘れられない悲しい思い出があります。

ベール、ベルベルベル♪

学校から帰ると、名犬(私にとっては名犬)ベルが、ハアハア言いながらすっ飛んで来るのです。
それは、もう、絶対というほどどこへいようとも、嬉しそうに必ずすっ飛んで来ます。
当時は、飼い犬も放し飼いが多かったんですね。野良犬もいたなぁ。

ベール、ベルベルベル!♪

いつもは、呼ばずともベルの方から走って、走って、、全力疾走ですっ飛んでやってくるのですが、その日は、口笛を混じえた私の呼びかけにもやって来ませんでした。


野犬狩りでしょうね...。
当時は「犬さらい」と言われ、愛犬家から恐れられていたという。


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谷内六郎「犬さらいが来た日」



父や母に「ベルはどうしたの?」と聞いても、渋い顔をしているだけ。

ベルは黒と白のきれいな?毛並みの中型犬。雑種の雌犬でした。
荒川の土手に捨てられていたのを父が拾ってきたのです。
発情した近所の雄犬?野良犬?によく狙われていたなァ。
ベルは子犬を数匹産みました。見栄えのいい一匹だけ残して、他の子犬は、父がベルを拾ってきた荒川土手へ捨ててきたそうです。残酷ですが、それが現実なのでしょう。


その日、ベルは戻ってきませんでした。昼間、犬さらいの人が近所にいたそうです。
何日経ってもベルは帰って来ませんでした。私は悲しくて泣きましたね。


黒い疑念が湧きました。

「なぜ、父は保健所にベルを迎えに行かないのか?」

母犬ベルと、子犬レオの2匹を飼う余裕がない、その他、色々事情があったのは、容易に想像がつきます。


犬さらいのおじさんは、手に針金の輪をあやつって恐怖で動けなくなった犬をひっくくります。
大切な名犬ベルがさらわれる瞬間を想像すると、まだ幼かった私は悲しくてたまりませんでした。

それは、夕映えの赤茶けた不安な風景に結びつく悲しい思い出です。


10月のことでした。
この季節になると、遠い日のベルをたまに思い出すのです。


ベルの産んだ子犬は、レオと名付け、その後、我が家の一員として楽しく暮らしました。

平蔵。

火付盗賊改方長谷川平蔵である!

ご存知、池波正太郎原作「鬼平犯科帳」の鬼平こと長谷川平蔵
時代小説の数多いキャラの中でも、私が好きな屈指の存在。否、ビッグ3の中に入るかもしれません。
とにかく、スタイリッシュでカッコいい!

以前、私は親分肌、姐御肌タイプと云われる人物は嫌いだ、そういう人には用心した方が良い、、と、このブログでも述べました。彼らは自分に従う者には面倒見が良く、頼り甲斐があるかもしれません。が、従わない者には極めて残酷で冷たい傾向があります。

しかし、本物の親分ってものいるんですね。


火付盗賊改方長谷川平蔵
黒門町の伝七親分

まぁ、伝七親分は置いておいて長谷川平蔵は懐が深い。
何者に対しても義理人情に厚く、素人には絶対真似の出来ない遊び人、食通ぶり。痺れますね。
中村吉右衛門が演じているというのもあると思いますが、あの色気は何なんでしょうね?
男の美学! 憧れの存在です。



それに較べて、、同じ平蔵でも。

たけなかァ~!
竹中平蔵ぉ~~

「毎月7万円のベーシックインカムを導入することで生活保護が不要になり、年金もいらなくなる。それらを財源に...」

おのれだけは、絶対ゆるせん!!

このヘッポコヘイゾーは「○○屋、お主も悪よのう...」を地で行ってるような悪党。


萬屋錦之介演じる破れ傘刀舟ならば。

「てめえら人間じゃねぇや、たたっ斬ってやる!」
って、叩き斬られるな(笑)。



擁護というか、竹中平蔵側に立った理を述べる人も散見されます。
彼の理屈がすべてダメというわけではなく、きっと長所もあるのでしょう。
それは、私だって分かっています。

でも、それは一部の上流階級? 強者、つまり、権力側の理屈なのです。
世の中は圧倒的に庶民が多いのです。


おい、コラ! 竹中平蔵
おまえは、すっとこどっこい野郎か?
こういう、黒い欲望の塊には唾棄したい。

憧れの長谷川平蔵と同じ、平蔵という名を語るなバカ。

まず、その顔をどうにかしろ。

ブギーマンみたいな顔しやがって。

極私的 史上最強馬考 Part 4

「極私的史上最強馬考 Part1」
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2020/07/09/044128

「極私的史上最強馬考 Part2」
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2020/07/21/063402

「極私的史上最強馬考 Part 3
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2020/08/11/035929



史上最強馬を考えるのは実に難しく面倒くさい。
今回で、無理矢理、簡単適当?にして終わらせます。

どの馬が史上最強か?
そんなもんは、誰にも分かりません。
有り触れた言い方になるけれど、ファンそれぞれの心の中に最強馬がいればいいんです。
「なぁ~んだ・・・」
という結論ですね。


名馬の価値というものは、記録のみで決まるものではないと思います。
確かに三冠馬やG1七勝することは大変なことだけど、後世にどれだけ爪痕を残せたか? ファンの記憶に残り、語り継がれるか...。


個人的に大きく歴史を動かしたな、、と思う名馬は?

競馬=賭博と、世間からまだ白い目で見られていた時代。1973年、地方競馬から一頭の怪物が中央にやってきた。
あの狭い、鉄火場時代の中山競馬場に、12万人以上の大観衆を集めた。
たった一頭の競争馬の中央デビュー戦、それも単なるG2レースにですよ。
彼は競馬場の景色を一変させた。殺伐とした賭博場から、家族みんなで楽しめるレジャーの舞台に変えた。

あの日を起点に、世間の競馬に対する目は変わったと思う。
そして、今日の競馬人気に繋がった。
そういう意味では、ハイセイコーこそ後世に最も大きな影響を与えた名馬なのだと思う。

ハイセイコーの蒔いた種は、後年、あのオグリキャップによって花開くことになる。マスコミの先導によるハイセイコーブームと違い、オグリブームは自らの走りによってファンが感動したものだ。

有名な有馬記念オグリラストラン。
その後に起こるオグリコール。
あれは、日本競馬史上、最もファンタスティックな光景であると思う。


テンポイントは、多くの競馬ファンに辛い思い出を残した。1978 粉雪の舞い散る日経新春杯からの闘病生活。
あの悲劇を教訓に、レースにおける負担重量の見直しが行われ、そして、獣医学も大きく発展した。
流星の貴公子テンポイントも、後世に大きなものを残してくれたのだ。


受精能力が乏しく、種無しスイカと揶揄されたメジロアサマの遺伝子を残したメジロの総帥北野豊吉氏の情熱。
メジロアサマの血は、後にマックイーンに、そして、オルフェーヴルゴールドシップに繋がっていくのです。



多くの名馬を観てきました。
シンボリルドルフディープインパクトのような馬はこれからも出てくるでしょう。でも、ハイセイコーオグリキャップテンポイントのような馬はどうなのでしょうね?


.......

ここまで、史上最強馬考を極私的ながら述べてきましたが。。。

何か、、心に引っかかるものがあるんですよね。


リアルタイムでは観たことありませんが、後世のどんな馬も彼を超えていないと、私は気付いています。
記録はシンボリルドルフディープインパクトが超えました。
記憶面でもオグリキャップが超えているでしょう。

でも、何かが足りない。
ハイセイコー以前、彼は荒れた大地を黙々と耕していたのです。


日本競馬史上、最も偉大な名馬は?

シンザンである。

理由は分からないが、そんな気がする... 否、自信を持って断言できる。

絶対に、後世に語り継がなければならない最高峰の名馬。
シンザンの物語について、色々調べてみようと思う。