オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

ハイセイコーのいた時代

コロナ騒動による自粛、自粛で競馬場から観客が消えた。 近所のスーパーやドラッグストアを覗くと棚からマスクは勿論、トイレットペーパーまで消えている。私のような世代からすると、1973年第四次中東戦争を背景に起こったオイルショック。それに伴うトイレットペーパー騒動を思い出してしまう。デマに惑わされる年配者はあれから何も学んでいないのだろうか?
1973年当時、私は中三で翌年高校受験を控えていたのだが、そんな年に地方競馬(大井)の怪物ハイセイコーが中央に華々しくデビューした。そのデビューの舞台となったのが、3月4日に行われた報知杯弥生賞である。競馬場がまだ鉄火場と言われていた時代の中山競馬場に、G1レースでもないのに12万以上の観客を集めた。あの日、日本競馬の歴史が大きく動いたのである。一頭の競走馬が競馬場の景色をガラッと変えたのはハイセイコーと後のオグリキャップだけであろう。
あれから47年? 本日は弥生賞が行われる。あの年と同じようにトイレットペーパー騒動の渦中。しかし、ハイセイコーが集めたような大観衆は存在せず無観客の中で行われる。弥生賞は今年からレース名が「弥生賞ディープインパクト記念」になるそうですね。伝統あるレースに一頭の名馬の名前を冠するのは疑問だが、私は弥生賞ならば断然ディープインパクトよりハイセイコー記念が相応しいと思っている。ハイセイコーをリアルタイムで観た人が少なくなってきた昨今、それも仕方ないのかもしれない。観客のいない競馬場を眺めながら、ハイセイコー時代の熱狂が懐かしく思うだろう。

ふりむくな  ふりむくな
うしろには夢がない
(中略)
ハイセイコー
ただの数枚の馬券にすぎなかった

by 寺山修司