オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

こんな夢を見た。

  こんな夢を見た・・・。

これは、夏目漱石夢十夜』における各挿話の書き出しである。
黒澤明監督映画『夢』の中でも、各エピソードごとに、この字幕が表示される手法が取られている。


私は若い頃から、、どういうわけか「夢」という現象、その内面世界に大変興味があり、時には夢日記をつけていたこともあるほどだ。
夢ほど不思議なものは他にない。
仕掛けのある霊現象や超能力とは違い、夢は誰もが体験することであり、見ている間は現実だからである。
どんなにリアルな大作映画を大スクリーンで観ても、その実体感、迫力は夢に遠く及ばない。それは、映画は作り物であり外側から観ているにすぎないのに対し、夢は自分自身が参加している現実だからなのだ。

「夢の中の有無は、有無ともに無なり」と、誰かが述べていました。
つまり、夢はいくら見ようと、それは何もないことと同じだという意味なのだが、果たしてそうであろうか?
夢は見ている間は現実であり、もう一つの人生、もう一つの心だと思えてならないのです。

夢の中に登場した奇妙な人物、見たこともない景色や既視感のある街。意味ありげな自分自身の行動や言葉。
なぜそんな夢を見るのか?
私自身の経験に照らすと、夢に色々あれど、その内容の多くは、悪夢というかあまり好ましいものではないような気がする。
どこかに閉じ込められ脱出できないとか、底なし沼のようなところに落ちるとか、不気味な男(女)に追いかけられたり、仕事の失敗もありますね。
例をあげればきりがないが、明るく笑顔が漏れるような楽しい夢を見ることは少なく、大抵はどんよりと暗く、怖く、、不安を伴う夢ばかりのような気がする。それとも、楽しい夢も見ているのだが、忘れてしまうのだろうか? 夢の記憶はすぐに去ってしまう性質がありますからね。


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挿絵・谷内六郎


ここで、私が度々見る夢の一例を紹介しようと思う。



 ◆ こんな夢を見た・・・

場所は秋葉原駅のホーム?
新宿方面へ向かう総武線だろうか?
なぜか駅の雰囲気は昭和であり、垢抜けない田舎駅のホームという感じだ。
そこの牛乳スタンドの前で私は電車を待っている。

電車がやってきた。

乗り込むと、いつもは混雑する新宿方面なのだが、どういうわけか人の姿は疎らで、私は悠々と座席に座ることが出来たのである。
“ ん? 今何時だろう... ”
どうやら夕方のようである。窓の外を眺めると周囲は薄暗くなっている。


異変に気が付いた。

しばらく電車に揺られていると、停車駅の様子がおかしい。
四谷駅辺りだと思っていたのだが、止まるホームに表示された駅名は、聞いたこともない駅名なのだ。
電車内は益々人が減り、今では奥の方に数人しかいない。

それに、私は...

《どこへ向かっているのだろうか?》

取り敢えず新宿で降りよう。

しかし、異変はまだまだ続く。

新宿に向かっているはずなのに、次の駅も、その次の駅も、、見たことも聞いたこともない駅なのだ。
気が付くと、乗客は私の他に誰もいない。幾分、車内は暗くなっているようでもある。

《これは、普通ではないぞ...》

私を特に驚かせたのは、車窓の風景だ。この電車は新宿に向かう都会の真ん中を走っているはずなのに、外はまるで田園地帯のようなのだ。地平線が見え、その先に山が見える。
私は焦った。ここは東京ではない。

ここは何処だ!
 ここは何処だ!
  ここはいったい何処なんだ?

次の駅で停車した。

全然知らない駅だ!
私はホームに降りると、周囲を見回し人の姿を探した。
駅員はいないのか? ホームを駆け、階段を上り降りしながら、必死になって駅員を、人の姿を探す。
それにしても暗い駅だな。
ホームを灯すのは裸電球じゃないか?

何処だ! 何処だ! 何処なんだァ~

暗い駅のホームには人っ子一人いない。路線図のようなものもなく、どうしていいのか? 私はムンクの叫びのように、うわああァ~! と、頭を抱えて立ち尽くすしかない。

ジワリ ジワリ...
ジワジワ...と、ゾゾゾゾッ...っと。
恐怖の感情(感覚)で、、全身の毛穴がゾワリと粟立つ。
私は悲鳴をあげそうになりながら、走って無人の改札口を抜けた。

駅の外は田畑が広がっている。
外灯一つない暗い田んぼで、数人の村民?らしき人たちが農作業をしている。少し安心した私は、大きな声でその村民に声をかけた。

「すいませ~ん! ここは何処ですか? 東京じゃないんですかー!」

・・・・。

村民を凝視すると、ドキっ!とした。

彼等の上半身は裸で、下半身は腰蓑を巻いている。
時折、チラッ チラッと、こちらに目を向けるが、その顔は蝋人形のように表情がない。

“ この人たちは人間なのだろうか?
  ここは日本なのだろうか?... ”


私は暗い夜道をあてもなく歩く。
   ただ灯りを求めて歩いている。

私は何処へ向かっているのだろうか?

   ー そして、夢から覚める ー


以上。

こんな、、 電車に乗るのだが、知らない駅(町村)に向かってしまう...という夢をよく見る。(色々なパターンで)
もう、何年も何年も定期的に10年以上は見ているかもしれない。おそらく、年に10回以上は見ているだろう。
なぜ、こんな夢を見るのだろうか?
そこには何かしら意味があるのだろうか? それとも、何かのメッセージ?
まぁ、変な宗教じゃあるまいし、そんな大層な意味はないでしょう。

私の解釈では、日頃は内面に押し隠している願望やら不安といった潜在意識が、夢という形で現れるのかもしれない。そうとしか思えない。

“潜在下の意識が具現化したもの...”

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画像・安部公房「アリスのカメラ」より


夢の中に登場する自分には、時として驚かされる。大抵の人は大勢の人々の前では、自分の言いたいことの十分の一も言えないはずだ。
対して夢の中の自分は、堂々と自分の意見を述べ人々に称賛されたり、平気で女の子を口説いたりする。
昼間の自分とは違った、勇気のある大胆な人格として現れることが多い。
しかし、そうした別人格の自分もよくよく分析してみると、どこかおどおどした本来の自分の性格を備えているようなのだ。
本来の自分の性格を知りつつ、逆に大胆な行動に出ている。

《夢は一種の自己演出でもある?》

“不道徳で衝動的でみさかいがない”
そんな夢の特徴も、実は自己演出なのかもしれませんね?
夢ほど不思議なものはない。

あ、、 夢は眠りの浅いレム睡眠時に見ることが圧倒的に多いので、見たいと思ったら昼寝をオススメします。
但し、殆どの夢は忘れてしまうので、簡単なメモをすればいいでしょう。


このブログ、ネタに困ったら。
「こんな夢を見た」シリーズとして書いていこうと思っています。