オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

下唇を噛む娘

若いころ 読んで、いつまでも心に残る一篇の詩があります。
これを読んだあとは、いつも腕組みをし “ う~~ん...” と、天を仰いで考え込んでしまうほどです。
心のやさしい人ならば、誰にでも思い当たりのある?心の風景、葛藤ではないでしょうか。
少し長いのですが、この感動の詩を紹介しようと思います。



『夕焼け』   吉野弘


いつものことだが
電車は満員だった
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりがたっていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが座った。
礼も言わずとしよりは次の駅で降りた。

娘は座った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。

娘は座った。
二度あることは と言うとおり
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。

次の駅も
次の駅も
下唇をキュッと噛んで
身体をこわばらせて....

僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。

何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。

やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。


         ー 以上 ー



どうでしょうか?
真っ当な心の持ち主ならば、この娘の気持ちは痛いほど分かりますよね?
新コロ騒動で人々の利己的な行動を見るにつけ、この娘の心情が染みる。

弱肉強食の競争社会。

「やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。」

このような心やさしい娘を「どんくさい」等と言って、イジメの対象にする人非人も少なからずいそうで嫌です。


私もこの娘のような経験あるな...。

でも私は、この娘に較べだいぶ心が汚れているので、座っている私の前にお年寄りが来れば、表面上は親切そうな笑顔を浮かべ「どうぞ、どうぞ」
でも、心の中では...。

“ こっち来るんじゃねえよババア(ジジイ)! オレは疲れてんだから、向こう行けよ。シッシッ! ”

と、正直思うこともあるだろう(笑)。
まぁ、見てみぬふりよりはマシですけどね。

ふと、思いが自分の老後に及ぶ。

もう10年もしたら、おれも席を譲られるのかな?
心の美しい娘の前には行かず、へらヘらとスマホでゲームをしている若者の前にわざと立ち、席を譲らんかったら「けしからん!」と、磯野波平のように怒鳴り、若者の肩口を杖でペシン!と、叩いてやろう。
そうしよう(笑)