オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

アカネテンリュウの思い出。

赤いリンゴに 口びるよせて ♪
   だまってみている 青い空♪

敗戦後の日本の心象風景を象徴する並木路子の歌う「リンゴの唄」は、焼け跡のBGMとして、敗戦後の人々を勇気づけ大ヒットしたそうですね。
私はこの曲を聞くと、なぜか一頭の名馬を思い出す。

アカネテンリュウはリンゴが大好きだったそうです。

赤いリンゴと、青い空=テンリュウ(天龍)のイメージから、そう感じたのかもしれません。もし、競走馬に入場曲があるのなら、私は絶対に「リンゴの唄」を推します(笑)。
馬といえば、ニンジンやリンゴが大好物だというイメージがありますが、アカネテンリュウほど、そのリンゴ好きが報じられた馬もいません。
腸閉塞で20年の生涯を閉じた後も、埋葬された場所には、いつも大好物だったリンゴが供えられていたという。


実は、競馬に興味を持ち始めて、私が最初に好きになった馬がアカネテンリュウだったのです。
初恋と同じですよ、最初に好きになった存在は忘れられない。その後、現在に至るまで半世紀、、数え切れないほどの名馬を見てきました。

「あなたが今まで見て来た中で、一番好きだった馬は?」

私は躊躇なく「アカネテンリュウ」と答えます。否、答えるようにしています。それが、私を競馬というロマンの世界に導いてくれた礼儀だから。

「夏の上がり馬」
「戦後最大の上がり馬」

アカネテンリュウの代名詞ですね。

3歳(旧表記4歳)春季までは下級馬でしたが、夏の函館開催から急成長を遂げ菊花賞へ。
あの菊花賞は右によれ左によれながらも、リキエイカン以下を4馬身ちぎって優勝。あれは興奮しましたね...。
好きな馬のレースを観て、心臓も爆発せんばかりにドキドキする経験は、アカネテンリュウから始まりました。
それ以降、私はアカネテンリュウを追い続けることになります。彼と出会わなければ、こんなに競馬に夢中にならなかったかもしれません。


菊花賞優勝後、その勢いのまま、アカネテンリュウ有馬記念へ。
古馬に挑むわけですが、当時は3歳(旧表記4歳)で有馬記念に挑むのは無謀?との声もありましたが、王者スピードシンボリとハナ差の接戦を演じ惜しくも2着。負けて強し!の印象。
そのスピードシンボリとは、翌年の有馬記念でも一騎打ちとなり、またまた惜しくも2着...。
スピードシンボリ、、憎たらしい馬だったなぁ、、、最初に嫌いになった馬です(笑)。

現役時代のアカネテンリュウは、野武士とのニックネームがありましたが、そんなイメージはなかったな。
関係者が心配してしまうほど人懐っこく寂しがりやで、人の姿が見えるとせわしなく「こっちへ来い!」と、前がきをするのだそうです。
また、音楽が好きで馬房にはラジカセか何か?で、常に音楽が流れていたそうです。音楽が止まると、流せ、流せ!と、催促するほどだったそうです。きっと、賑やかな場所が好きだったのでしょうね。


アカネテンリュウが主に活躍した時代は、68年から約3年半。
私が小学校高学年から中学にかけて。あの当時は、まだまだ競馬=賭博のイメージが強く、世間の目は冷たいものがありました。競馬場は鉄火場だったのです。

小学生が競馬のアカネテンリュウが好き♪ だなんて言えますか?

周囲の同級生にも言えず、当然、誰も競馬なんて興味がなかった。
大っぴらに競馬の話が出来るようになるのは、アカネテンリュウ引退の翌年。あの、ハイセイコーの登場まで待たなくてはなりません。
(とは言っても、中学生が競馬の話をすれば変な目で見られました...)


アカネテンリュウは野武士と言われていただけに頑丈な馬でしたね。
長距離に適正のある馬で、斤量や重馬場も苦にしない馬でした。
チャイナロック
この産駒は異常に頑丈な馬が多く、観ていても絶対に故障しないな...という安心感がありました。
タケシバオーハイセイコー、そして、国際G1レースも走ったツキサムホマレ等もそうでした。


アカネテンリュウは底力のある馬でした。ステイヤー特有の、やや決め手に欠ける点や、ズブい面もありましたが、あまりにもタフだったせいか?きついローテでも耐えてしまう。それが仇になってしまったのかな? 目標とするレースを定め、もう少しゆったりとしたローテを組めば、天皇賞有馬記念をどこかできっと勝っていたでしょう。

アカネテンリュウはファンの多い馬でした。その証拠に、有馬記念ファン投票で2年連続1位になっている。これは、アカネテンリュウ以外は数えるほどしかいません(ウオッカは3年連続)。
ハイセイコー以前に、唯一? アイドルホースと、スポーツ紙に記載された馬だったと記憶しています。


1972年、春の天皇賞を最後(ベルワイドの3着)に、アカネテンリュウはターフを去ります。
まだ、少年だった私は、アカネテンリュウを追うことによって競馬の面白さを知りました。寂しかったですね...。

しかし!
競馬に興味は失わなかった。

アカネテンリュウ去った後のターフに、新たなヒーローが登場した。

イシノヒカル
この馬もアカネテンリュウと同じように、春シーズンはもう一歩足りない馬でした。
秋に本格化すると、菊花賞を制し、そのまま3歳(旧表記4歳)の身で有馬記念に挑戦。アカネテンリュウが成し得なかった3歳でのグランプリ制覇達成。
この時、立ちはだかった古馬の代表は、アカネテンリュウと同期のメジロアサマでした。そう、メジロマックイーンの祖父ですね。

私の気持ちは、引退するアカネテンリュウから、若きイシノヒカルへ。
イシノヒカルは、残念ながら故障で、その後は活躍することは出来ませんでしたが、翌年ハイセイコーが登場し、更に後年TTGが登場することになります。

一頭の名馬が去れば、次から次へと、新たなヒーロー(ヒロイン)が登場するのが競馬です。

これじゃ、やめられませんね・・・。


アカネテンリュウがいたからこそ、現在の馬バカである私がいます(笑)。


競馬ファンならば。
誰でも、私のアカネテンリュウ的存在を心に抱えている。