オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

テンポイントは呪われた文学である Part ①

テンポイントが後退した。鹿戸騎手がちょっと後ろを見ている。これはどうしたことか、これはどうしたことか、故障か、故障か、あっと故障か、テンポイントは故障か、、、これはえらいこと、これはえらいことになりました!」
(1978 1/22 日経新春杯)


これは、杉本清アナによる、あの有名なテンポイント故障の瞬間の実況である。粉雪が舞い散る京都競馬場で、今の時代では考えられない、66.5kgという酷量を背負わされた上での残酷ショー。日本の至宝が崩れ落ちた。
とんでもないことが起きた。目の前の光景が信じられない。

ファン(勿論私も)は悪夢を見ている思いだったでしょう。競馬を知っているものならば、ライブで映ったテンポイントの脚元がどういう状態なのか? 容易に想像できたと思う。
それは、取り返しのつかないことであり、普通なら、即、安楽死処分が取られているところ。

テンポイントを殺さないで...」
数千という助命を嘆願する電話がかかってきたという。
その声に獣医師からなる大医師団が結成され手術が行われた。
手術は成功?したかに見られたが、それからの闘病生活は壮絶だった。

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テンポイントは500kgを超える立派で美しい馬体をしていたのだが、最期は300kgを割る、大げさな表現をするならば、大型犬ぐらいの大きさになり、苦しみもがき、白目を剥いて死んだ。
結果的に、無知なファンの声がテンポイントを苦しめた。壮絶に苦しめた。



テンポイントの死より26年前?

クモワカという牝馬馬伝染性貧血と診断され殺処分命令を受けました。
色々経緯があったのでしょうが、細かいことは省きます。
関係者はクモワカがかわいかったんでしょうね? 殺処分することなく匿っていたのだと思う。
殺処分を出された馬が繁殖牝馬になれるはずはなく、関係者はクモワカを「丘高」という名で登録し受理される。後に、丘高=クモワカが判明し、登録の取り消しを通告されますが、裁判沙汰になったり、、色々あったようですが、最終的には正式に軽種馬協会に登録されることになりました。


丘高=クモワカは、一頭の牝馬を産みます。後の桜花賞馬にして、テンポイントの母であるワカクモです。テンポイントの血統表を見ると、母(ワカクモ)の母は、丘高になっています。
テンポイントの祖母は、一旦、殺処分命令を受けているクモワカなのです。


もし、関係者が泣く泣くクモワカの殺処分を決行していたならば?
歴史的名馬テンポイントは、この世に誕生していないことになります。
歴史の偶然、タラレバになりますね。


クモワカの娘、ワカクモは、死んだはずのクモワカの子ということで「亡霊の仔」と言われました。
そして、ワカクモは母が2着と敗れた桜花賞を勝利し、見事に母の無念を晴らします。

ところで、このワカクモが勝った桜花賞には、もう一つのドラマがあります。このレースで、ワカクモのライバルと目されていたのがメジロボサツ
この馬もワカクモに勝るとも劣らぬドラマチックな馬。
メジロ牧場の根幹血統として有名ですね。メジロドーベルやモーリスも、遡ると、このメジロボサツに行き着きます。
メジロボサツの母、メジロクインは、娘ボサツを産むと、難産のためか?
すぐに亡くなり、娘のボサツは「走るお墓」なんてニックネームに。
ワカクモは「亡霊の仔」ですからね。

走るお墓 vs 亡霊の仔
まるで、漫画みたいですね(笑)。

メジロボサツのことを詳しく述べると、長くなるので、この馬のことはまたの機会にでも。


今回はあくまでテンポイントのこと。

ワカクモは引退後テンポイントを産む。
後に「流星の貴公子」と称されるように、額の流星、美しい栗毛が特徴。
バネ仕掛けのような動きをするが、母ワカクモに、常に付いてまわる甘えん坊だったという。
当時の新聞の活字が8ポイントであったことから、10ポイントの活字で報道されるような活躍をする馬になってほしいという願いから。

テンポイントと名付けられた。


次回に続きます。