オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

テンポイントは呪われた文学である。最終章

テンポイントは呪われた文学である
Part ①
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2020/10/22/060229

テンポイントは呪われた文学である
Part②
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2020/10/23/063426


テンポイントの生涯を追っていくと、どうしても「競馬は動物虐待か?」というテーマに突き当ります。

競走馬は経済動物であり、食肉動物と同じ扱いになるのかな?
通常、経済動物に対して動物虐待という言い方はしません。
でも、それは経済優先からくる人間のご都合主義であるのは明白。


祖母クモワカから続く、その一族の数奇な血のドラマを、私もそういうところがあるのですが、過剰に美化して語る競馬ファンは多いと思う。

本当に感動の、、血のロマンなのだろうか?
もっと不条理で残酷な呪いのドラマではないのだろうか?...

競馬は動物虐待なのか?
という難しいテーマは、昔から度々議論されてきたこと。
私如き素人が、これ以上触れることではないですね。



テンポイントの遺体が輸送され吉田牧場に戻ってくると、降りしきる雪、、悲しみに包まれる多くの人が見守る中、埋葬されたという。
その時、吉田牧場で繁養生活を送っていた、母・ワカクモは、まるで息子の死が判ったかのように天高く嘶いたという。

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はっきり憶えています。テンポイントの死を伝えるスポーツ紙の中に。
「流星の貴公子逝く。天国の(祖母)クモワカも泣いている...」
このような見出しがあったのを。
私は思うのです。
これは、テンポイントファミリーの感動ストーリーなどでは決してない。クモワカの呪いなのではないか? と...。

クモワカは人間たちのエゴの犠牲になってきました。娘のワカクモを介して、そんな人間たちに警笛を鳴らすため、問題提起を促すため、愛する孫、テンポイントを生贄として、競馬界に差し出したのではないだろうか?
クモワカの呪い。。。

テンポイントには、同じワカクモの子
(父も同じコントライト)である、キングスポイントという弟がいた。彼は中山大障害を制するなど、障害レースでは当時の最強馬であった。しかし、レース中の事故によってテンポイントと同じ運命を辿る。
なお、テンポイントは生涯11勝。母ワカクモ、祖母クモワカも同じ11勝をあげている。
これらは、単なる偶然なのだろうか?
そこから導き出される結論は?
テンポイントの悲劇は、クモワカの呪いなのである。

以上は、私の勝手な妄想であります。まるで、漫画みたいなことを言ってお恥ずかしい限りです。
でも、でも...。
クモワカを起とした、ワカクモ、テンポイントと続く物語は胸を打たれる。


テンポイントは文学である。
それも、呪われた文学なのである。


もし、競走馬を小説や映画にするならば?
テンポイント以上の存在はない!
(う~ん...。ホクトベガもいるね)


実在の名馬を素材とした小説や映画といえば、海外ではシービスケットセクレタリアトが有名ですが、日本ではトキノミノルだけですかね?
でも、古すぎるのでDVDも何もない、、のかな? 観てみたい。

架空の競走馬ならオラシオン(メリーナイス)が活躍する、宮本輝原作「優駿」があり、映画にもなりました。
宮本輝氏は大好きな小説家で「錦繍」や「青が散る」等、素晴らしい作品も多いのですが、この優駿に関しては駄作。映画も酷いものでした。


なぜなら、競走馬に対する、競馬に対する愛が全然足りないからです。
競走馬の物語ではなく、人間ドラマになってしまっている。
競馬を題材にするのなら、人間はそれに付随(二次的なもの)するものであり、そうあるべきものと思います。
人間ドラマより、名馬そのものを描いてほしいですね。
そういう意味では、宮本輝優駿」より、つの丸さんの漫画「みどりのマキバオー」の方が、ずっと、ずっと競走馬に対するリスペクトを感じるのです。



日経新春杯テンポイントの悲劇以降、ハンデキャップ競走などの負担重量について議論が巻き起こり、近年では無茶なハンデはなくなりましたね。
また、テンポイントの治療によって得られた数々のノウハウは現在でも広く活かされているのです。
テンポイントの悲劇は、獣医学の発展に寄与し、競馬制度の改革に改善を促したのです。

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クモワカが。
ワカクモ、テンポイントを通して放った呪いは、日本競馬界に大きく貢献した。

テンポイントは呪われた文学である。


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祖母クモワカから始まるテンポイント物語。その生贄になったテンポイント自身は、その死によって子孫は残せませんでした。

しかし・・・。

ある、テンポイントファンの言葉が印象に残るのです。

ミスターシービー三冠馬になったとき、彼は言いました。

「シービー、勝ったやないか! あいつの父親とライバルだったのがテンポイントや! 」

テンポイントトウショウボーイ
このTT時代の素晴らしいところは、お互いのファンがライバルを誇りに思っていたところ。それは他に類がない。

テンポイントの最終章。
それは自身の死ではなく、ライバル、トウショウボーイの子、ミスターシービー三冠馬になった瞬間であると思いたいですね。


テンポイントは文学である。