オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

ハラグチ パン店

カレーパンが大好きなのです。

少年時代からずっと好きで、それは還暦を過ぎた現在でも変わらない。
あの食感がたまらないですよね? 外はカリカリで、ガブッと噛みつくと、口の周りにパンの欠片?がくっつく。中はもちもちでしっとりと甘辛い。
昔ながらのカレーパンのパン生地がたまらなく好きなのです。

菓子(惣菜?)パンは少年時代のおやつ代わりでしたね。勿論、我が家にはおやつなんて習慣(金持ちの子だけ?)はありませんでしたが、育ち盛りはいつも腹ペコです(笑)。買い食いしては晩御飯が食べられなくなり、叱られたこと度々。

カレーパンを中心に、好んで食べたのは、コロッケパン、焼きそばパン、ハムカツパンで、それが菓子パン界の四天王でした(笑)。あんぱん、アンドーナツ、クリームパン、メロンパン等の甘いものは好みませんでしたね。
中学になると、部活の帰りに正門前のパン屋でコーヒー牛乳で菓子パンを食べたのが懐かしく感じられます。

f:id:okeraman:20201101065928j:plain




ハラグチ パン店。

私の菓子パンの思い出は、少年時代過ごした近所にあった原口パン店から始まります。
店名が原口パン店なのかどうか?は、はっきり憶えていませんが、近所では、ハラグチ屋さんと呼ばれていたと記憶します。パンがメインだったと思いますが、パン屋なのか?乾物屋なのか? 駄菓子も売っており、メンコやベーゴマ、ビー玉まで売っていた。

そんな、ハラグチ屋さんの店番をしていたおばちゃんのことを、子どもたちは、愛称を込めて “パン屋のおばちゃん” と呼んでいました。
パン屋のおばちゃんは、とてもやさしい人で、いつもニコニコしては、買い物に来る子どもたちに接していた。
このおばちゃんの雰囲気は、ど根性ガエル、ひろしの母をちょっと若くした感じ? なにせ遠い昔なので、はっきりした記憶ではありませんが....。

「これ、ください。いくらですか?」
「あいよ! 30万円」
ポカーンとしていると。
「アハハ! 冗談、冗談、30円ね」
そんな、冗談好きなおばちゃんでもありました。
昭和30年代末から40年代。
まだコンビニがなかった古き良き時代だったんですね。


その後、近くにちょっとしたスーパー?が出来ると、客はそっちに流れたのでしょうね。
気楽に通っていた子どもたちも、中学生ぐらいになると、足が遠のくのも自然の流れです。
好きだった菓子パンも、種類の豊富な他店で買うことが多くなりました。
それから、ハラグチ屋さんが何年ぐらい続いたのかは記憶ありません。


私が高校生になった頃でしょうか?
駅に向かう途上でパン屋のおばちゃんにバッタリ会ったことがあります。
 
《ハラグチ パン屋のおばちゃんの、あの、私に向けた一瞬の目が忘れられません・・・》

最初は分かりませんでした。
“ どこかで見たことがあるような? ”

それは、紛れもない、あのパン屋のおばちゃんだったのです。
地味だったパン屋のおばちゃんが、以前のおばちゃんからは想像も出来ないような濃い?化粧。
服も少々派手めで髪型も...。
おばちゃんも、見られたくない姿を見られたと思ったのか? 私と目が合った瞬間、ギョッとしたような、そして、ちょっぴり冷たい視線を送ってきたような気がしました。
行き交うとき、苦笑いのような表情をしていたような気もします。
言葉は掛け合いませんでした。それ以来、私はあのおばちゃんを二度と見かけることはありませんでした。


あの変わってしまった?おばちゃんの姿を見た時。
私は、嫌だなぁ~ 気持ち悪いなぁ~ 怖いなぁ~ 等と、おばちゃんに対して心ない軽蔑の感情が湧いたのは、今ではとても恥ずかしく思っています。
当時は純粋で世間知らずの15~16の小僧でしたからね。
あの頃はスナックの類、そういう店が多かったんですよ。
ハラグチ パン屋のおばちゃんにも、色々と事情があったのでしょうね。
子どもの視線には、現在でいえばかなりの歳に見えたおばちゃんも、案外と若かったのかもしれませんね。


あの、ハラグチ パン店のカレーパンは本当に美味しかったなぁ。
現在では、菓子パンもどんどん進化してきましたね。
でも、昔の素朴さが失われ、どんどん高級になって経済的にも庶民の味からどんどん遠ざかっているように感じるのは、私が歳をとったせいだろうか?

かつて、個人経営の店にとっては黒船襲来だったコンビニエンス・ストアも、現在では一番庶民の感覚に近いのかもしれません。
いずれ、コンビニも衰退してノスタルジーの象徴になるかもしれませんね。


セブンイレブンのカレーパン好きですよ。安くて旨くて安心感がある。