オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

オグリコールの夜、怪人二十面相に出会った。

1990年12月23日、第35回有馬記念

オグリキャップ、復活のラストラン!

その後のオグリコール。

その日の夜、私は怪人二十面相に出会った。


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今更、オグリキャップの物語について、ここで事細かく説明、振り返る必要はないと思う。

オグリキャップは強い!
素人が視覚的に見ても、その瞬発力といったら異次元の走り、、背筋が凍りつき恐怖感がわくほどでした。

32戦 22勝 2着6回 3着1回 着外3回
(笠松競馬時代含)

32戦... 現代と比すれば多いが、当時においては特別多いとは思えない。
しかし、問題はその内容。
オグリの走ったレースは常にタフなものであった。
その相手も、世界のホーリックスをはじめ、タマモクロスシリウスシンボリスーパークリークイナリワンサッカーボーイ、女傑ロジータバンブーメモリーオサイチジョージヤエノムテキメジロライアン、ホワイトストーン 等々。他にも油断ならない相手は数多かった。

3歳時は地方時代から10戦も走り、古馬になってからも、2週連続でG1を走らされたり、、滅茶苦茶なローテーション。競馬におけるローテーションは最も大切な要素のひとつ。
それによって、個体差はあるにせよ、馬体に及ぼす影響度が全然違うのだ。

先だって引退したアーモンドアイのローテと比較してほしい。
いかに彼女が大切にされ、恵まれた環境で競争生活を送っていたのか?を。
謂わば、アーモンドアイは豪華なドレスを身に纏い、ずっとレッドカーペットの上を歩んできた。
それに比べ、オグリキャップは地方から上京してきた垢抜けぬ地味な男。
人間社会に例えるなら、オグリのような冴えない庶民男子は、アーモンドアイのような貴族的女子に歯牙にもかけてもらえないだろう。


あの日、オグリは疲れていた。

それも、限界を超えるほどに。
歴戦の疲労で、目に見えない馬体へのダメージが近走から窺える。


私は中山競馬場には行けず、自宅でテレビ観戦していた。
大方のファンと同様、オグリの復活なんて夢にも思わず、一時代を築いたオグリのラストランを静かに見守りたい心境だった。
あの時は確か、私は大川慶次郎さんのようにメジロライアンを応援していたと思う。馬券はアルダンとの両メジロを中心に買っていたと記憶する。


オグリ1着!
 オグリ1着!
  オグリ1着!
   オグリ1着!
右手を挙げた武豊
 見事に引退レース、
  引退の花道を飾りました!
   スーパーホースです!
    オグリキャップです! 
(フジテレビ実況、大川和彦アナ)

それだけでも信じられないのに、スタンドからは自然発生的に。

オグリ! オグリ! オグリ!
 オグリ! オグリ! オグリ!
  オグリ! オグリ! オグリ!

オグリコールが発生した。こんな光景は見たことがない。
日本競馬史上、最も感動的でファンタスティックな夢のような瞬間。

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いやぁ~! あれには本当に参りましたね。当時、特別オグリファンというわけではなかったが、鳥肌が立ちました。こんな経験は、77年 TTG決戦、83年 ミスターシービー&吉永正人ダービー制覇以来、、否、それ以上?別種の感動がありました。

全身に震えがくるような感動。
私は異様な高揚感を覚え、いても立ってもいられず部屋を飛び出し酒場の暖簾をくぐりたい衝動に駆られた。
酒を飲まずには収まらない。そんな心境だった。

「ちょっと出てくる。めしは済ましてくるから...」

当時私は結婚していたのだが、この時は既に離婚が決まっており、翌年の春までに家を出て行くだろう。
気のない返事をする妻。
まだ幼い娘の様子を見ると、ポカーンとした表情で私を見ている。

それでも私は、オグリラストランの余韻から、酒を求めて街中へと繰り出さざるを得なかった。
(家飲みでは妻子の目に耐えられない)

どこをどう彷徨ったのだろうか?
はっきり憶えてはいないのだが、このオグリラストランの感動を誰かと共有したい気分だった。
かといって、私の周囲に馬券的興味のある友人はいても、感動を語り合うほど熱心な競馬ファンはいない。
現在なら、SNSでいくらでも感動を共有出来る人はいる。
しかし、当時はバブル景気時とはいえ、インターネットどころか、未だ携帯電話(ガラケー)さえない時代でしたからね。

あまり酔ってしまうと、帰ってから妻の冷たい視線がこわい。
それ以上に幼い娘の視線が、、その無邪気な笑顔が悲しい。
ほろ酔い状態で帰ろうと思い酒場を出た。時はクリスマス・イブ前夜。

街にはクリスマスソングが溢れていたような気がする。
何かの店の前では、サンタクロースの扮装をしたサンドイッチマンがおどけている。

“ 明日は娘と過ごす最後のクリスマス・イブだな... ”

オグリキャップへの思いから酒を飲みに来たのに、酔うほどにその思いは、オグリから娘への思いに変わる。

そうなることは、最初から分かっていたのだ。

さて、明日の夜はケーキを買って、娘にはどんなプレゼントを買って来ようか? そればかりが頭にある。

背後を振り返ると、さっきのサンタクロースのサンドイッチマンが、こちらをジッと見ているような気がした。
私もサンタクロースになって、娘を喜ばせてあげたい。
怪人二十面相のように変装がうまくなれたらいいのにと思う。

ふと、あのサンドイッチマンは、サンタクロースに化けた怪人二十面相ではないだろうか?
そして、それは私自身の姿ではないのか? そんなバカげた空想にふける。
私は怪人二十面相に憧れていたのだ。

オグリキャップのラストランを思い出す時、その夜、怪人二十面相に出会った(笑)ことも思い出す。

あの幼かった娘も36才?になる。
オグリキャップが走った競馬場が遠くになるのも無理はない。


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オグリキャップラストラン。
その後に起こるオグリコール。

何よりも素晴らしかったのは、鞍上には、当時大人気であった武豊が跨っていたにもかかわらず、ファンはジョッキーコールではなく、オグリ!オグリ!オグリ!と、オグリキャップの名を叫んだこと。武豊さえ脇役にさせてしまうオグリキャップ

あの瞬間こそ日本競馬史における至上の時です。
もうあの美しい光景は戻らない、オグリキャップと共に永遠に過ぎ去った美しい世界でした。