オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

胸のすく思ひだ。

 『雑草』

雑草が

あたり構はず

延び放題に延びてゐる

この景色は胸のすく思ひだ、

人に踏まれたりしてゐたのが

いつの間にか

人の膝を没するほどに伸びてゐる。

ところによつては

人の姿さへ見失ふほど

深いところがある。

この景色は胸のすく思ひだ、

伸び蔓れるときは

どしどし延び拡がるがいゝ

そして見栄えはしなくとも

豊かな花をどつさり咲かせることだ。

     (北川冬彦)


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北川冬彦の「雑草」という詩がずっと心に残っている。
教科書に載ることも多い作品だそうなので、知っている人も多いと思います。私も中高生時代に教科書で知ったのかもしれません。

 “この景色は胸のすく思ひだ”

二度繰り返される「胸のすく思ひ」
このフレーズが妙に印象的なのです。


胸のすく思い?
(心のつっかえが取れたような、すっとした心持ち )

う~~ん
しばらくそんな思いをしたことないなぁ、、そんな場面に遭遇したこともない。心の中はつっかえ棒ばかり。


この「雑草」という詩。
現代社会に例えるなら? 雑草は庶民の暗喩なのだ。しかし、胸のすく思いにはいつまで経っても至らない。


ふと、去年観た映画で、個人的に一番印象に残った『ジョーカー』のことを想い出す。

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この映画は「バットマン」の名悪役ジョーカーが誕生するまでの物語。その悲しい過去と苦悩を描いたもの?

嫌々、そんな単純なものではない。


舞台は80年代アメリカ?
格差が拡大し、若者の間で社会主義イデオロギーが浸透しつつあるという。端的にいえば、そんな格差社会での革命の発生を描いたもの?... というのが私の勝手な解釈です。
政治には無関心のジョーカーが、革命運動のヒーローになってゆく。
体制側のバットマンより、悪のジョーカーに感情移入する人も少なくないのではないか?と、感じるのです。

これ、アメリカだけの話じゃありませんよね?

小泉内閣が招いた格差社会
安倍独裁的政治から現代に至る日本で、画面(ジョーカー映画)を見ながら快哉を叫びたくなるような瞬間も度々ありました。

胸のすく思ひだ! と。


でも現実は、こうやって成立する革命運動は不毛であり、自由への道に至ることは稀であります。

一般市民をも危険に巻き込むジョーカーのようなやり方は共感出来ないが、悪賢い政治家や資本家の正体を暴いてみせる存在あれば。

それこそ「胸のすく思ひだ」

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遠い昔。

日頃のストレスから、例え一瞬でも嫌なことを忘れさせてくれる “胸のすく思い” をさせてくれる、ヒーローの存在がありました。

ヒーロー像は人によって違うけれど、私にとってはウルトラマン(笑)。
王・長島(ON)のアベックホームラン。
オグリキャップトウカイテイオー有馬記念でのラストラン 等々...


あの景色は本当に胸のすく思ひだった。