名馬 Memories 天才編 ① 天才は苦悩する
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2021/05/22/035521
名馬 Memories 天才編② 天才は忘れたころにやってくる
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2021/06/04/072503
からの続きです。
1992年。
春・秋の天皇賞で惨敗を喫したトウカイテイオー。
「テイオーはもう終わった...」との声も多かったが、ファンは日本ダービーという大舞台で見せた、まるで調教のような天才の走りを忘れられない。
続くジャパンCで、奇跡の復活を遂げた時、大多数のファンは目を見張ったに違いない。こんな大逆転劇はオグリキャップのラストラン以来だから。
しかし、天才の苦悩は終わらない。
完全復活。
続く有馬記念では「絶好調」と伝えられ断然の一番人気。
鞍上には騎乗停止処分を受けていた、岡部幸雄に代わり、天才、田原成貴が跨がることになった。
結果は?
終始後方のまま、11着という目を疑う大惨敗。理由は巷間色々取り沙汰されたが、一番ショックだったのは、その後、3度目の骨折が判明したことだ。
トウカイテイオーは今度こそ本当に終わった?
そういうレベルではないだろう。
再復活なんて夢のまた夢。
これだけ故障が度重なれば、誰もが引退という言葉を思い浮かべるはずだ。
天才トウカイテイオー 苦悩の日々。
復帰レースは翌年(93年)の有馬記念。
前年の有馬記念からなんと一年後だ。
日本一を決めるグランプリで、順調にきている一流馬と勝負になるはずがない。こんなレースを復帰戦に選ぶのは無謀?非常識である。
天才の尊厳に傷を付けるのは、火を見るより明らかなのだ。
そう思われていた...。
私は思う。
ビワハヤヒデは強かった!
とくに3才秋から4才秋口までの約1年間は、モンスター級の強さだった。
順調ならば、94年有馬記念で、弟、ナリタブライアンに、兄の貫禄を見せつけた可能性もあった。どちらが強いか?分からない。
そんな、全盛期?のモンスター相手に、故障上がり1年ぶりの身で、トウカイテイオーは走らねばならない。
トウカイテイオーの時代は終わった。
時代はビワハヤヒデに?...。
それより20年も前。
似たような光景を観たように思う。
牛をも殴り殺すと言われた、若き王者ジョージ・フォアマンに、復活をかけ挑んだ伝説の天才ボクサー。モハメド・アリ。
勝てるわけがない。
そう、誰もが思っていたはずだ。
あの一戦、何よりも素晴らしかったのは、倒れかかったフォアマンにアリがダメ押しの一発を控えたこと。
KOの美学を貫いたあの一戦こそ、天才アリの誇りだと感じる。
“ 蝶のように舞い、蜂のように刺す”
トウカイテイオー最後のレースとなった93年有馬記念で、天才は暮れの中山競馬場を蝶のように舞った。
そして、測ったように、蜂のように、狙いすましたように、きっちりビワハヤヒデを刺した(差した)。
かつて、王者メジロマックイーンに、競馬の厳しさを教えられたように、今度は後輩にその教えを伝えたのだ。
ビワハヤヒデは呟いた。
「天才はいる。悔しいが、、」
翌年。
ビワハヤヒデは、春の天皇賞や宝塚記念で圧倒的な強さを誇示した。
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名馬 Memories 天才編 完結です。
このシリーズ。
次回はアイドル編かクセ馬編を考えています。
しばらくは競馬以外、一般話題にて更新します。