オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

名馬 Memories アイドル編② ハイセイコーとオグリキャップ。

名馬 Memories アイドル編 夜明け前
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2021/07/11/015520
からの続きです。



前回。
「日本における元祖アイドルホースはアカネテンリュウ」である。と、書きましたが、これは主観的意見です。
スポーツ紙にアイドル的存在と記された馬が、アカネテンリュウが最初だという確証もありませんから。

1972年、春の天皇賞を最後にアカネテンリュウは引退。
その翌年(1973年)、大井で圧倒的な強さを誇っていたハイセイコーが中央へ移籍。ハイセイコーブームが起こる。

このブームの凄まじさは、今更説明する必要はないでしょう。

日本競馬史上、歴史を最も大きく動かした馬は?

シンザンでも、シンボリルドルフでも、ナリタブライアンディープインパクトウオッカオルフェーヴルキタサンブラックでもない。

“ 間違いなくハイセイコーである ”

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対抗出来るのは?

人気騎手 武豊
種牡馬としてのサンデーサイレンス
ダビスタ?(ウマ娘はやめて 笑)

競走馬に限定するならば、オグリキャップだけだと思われます。


若い競馬ファンに、よく聞かれることがあります。
ハイセイコーブームと、オグリブームはどっちが凄かったの?」

比較できない。
否、比較したくない。
(ブームとしての質が違う)

ブームとしてのインパクトなら断然ハイセイコーでしょう。
中央デビュー戦となる中山競馬場に12万以上の大観衆を集めた。
あの時代ですよ、それも単なるという言い方は適当ではないかもしれませんが、G2弥生賞でです。
その後、府中競馬場NHK杯では、観衆17万という恐るべき数字...。

ナカノコールやオグリコールのあった競馬場。その後の90年代競馬ブーム。
競馬場の熱気は凄かった。
しかし、それは前時代の遺産を受け継いだ上でのもの。
特にハイセイコーが切り拓いた道の上を走っていたのだと思う。
ハイセイコー後も、TTGが、ミスターシービーシンボリルドルフらが築いていった道があった。

ハイセイコーは?

競馬場=鉄火場というイメージがあった時代に、突然登場したのです。
シンザンらが黙々と耕していたとはいえ、まだまだ荒れた大地でした。
競馬に興味のない人たちまでも目を向けさせ、賭博のイメージを払拭? レジャーの舞台に変わるきっかけを作った馬がハイセイコーでした。

競馬場の景色を、地方出身の一頭の馬ががらっと変えてしまったのです。

そういう意味では、オグリブームでさえ、ハイセイコーブームに遠く及ばない。インパクトが違いすぎる。


私は思うのです。

もし、オグリキャップが、あのラストランで敗れていたのなら? その後のオグリコールがなかったのなら?
ハイセイコーと並び称される人気馬として後世に伝えられたのか?
多分、テンポイントミスターシービートウカイテイオーナリタブライアンディープインパクトらと同程度の評価に終わったと思います。

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ハイセイコーのいた時代を知る人は少なくなりました。
それを差し引いても、オグリキャップの記憶はハイセイコーより強烈です。
ブームという現象から後世に語られることの多いハイセイコーに較べ、オグリキャップはその走り自体が伝説になっています。
それは、マスコミ先導のブームであったハイセイコーに較べ、オグリキャップのそれは、最初はそんなに人気があったとは思えなかったのに、彼の走りに人々が感動し、気が付けば大変な人気馬になっていた。
それを決定付けたのが、奇跡のラストランからのオグリコールだと思う。

勿論、ハイセイコーの走りにも感動はあり、名勝負も多いのですが、オグリキャップは特別なのです。


ハイセイコーも、オグリキャップも、あれだけの過酷なローテの中、引退するまで故障もなく走り続けた。
それが、国民的アイドルホースになった最大の理由でしょうね。

どちらも、アイドルという称号に違和感あるほどの実力馬(特にハイセイコーの真の実力を誤解している人は多い)ですが、歴史的人気馬といえば、この二頭が圧倒的だと思います。

アイドルホースを語るということは、ハイセイコーオグリキャップを語るということ。



次回はこの二頭以外の人気馬を。
特に、記憶に新しい? あの馬は時代が時代なら(笑)...。