オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

はるか群衆を離れて「寺山修司」

はるか群衆を離れて「吉永正人
からの続き
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2021/09/11/155249

「人に迷惑を掛けるのがイヤなので、アクシデントになりやすい馬ごみではなく、逃げや追い込みが好き」
そう語る吉永正人だったが、一方では「あいつはダンスホール壁の花のような男で、踊り騒ぐことはしないが、隅っこでひっそり壁にもたれ笑みを浮かべている。本当は賑やかなところが好きなのかも...」そんな証言もある。
そういえば、彼は寡黙という印象で知られるが、気心の知れた中では冗談も言うし、饒舌でもあったらしい。
寡黙で不器用というイメージは、確かにそういう面もあったが、詩人? 寺山修司のエッセイにより過剰に粉飾されたものかもしれない。

寺山修司もまた、吉永正人に似た面があったのだろう。
寺山のその生い立ちに触れるのは長くなるので省くが、コンプレックスの塊であったらしい。
しかし、その逆に虚栄心、上昇志向が強かったことでも知られている。

東北は青森出身の寺山は、その強い訛りから言葉の問題に苦労していた。
そして、吃音(どもり)に悩んでいたとも告白している。
しかし、彼は ドモリ=コンプレックス を逆手に取って武器にしていた。
彼の不自然な訛りは芝居がかっている。本当はきれいな津軽弁を話すことが出来る。という証言もある。



「ドモリは精神の貴族である。
ドモリはいいたいことをいっぱいためておいてから、一つ一つ考え考え言うのだ。ドモリによる精神の屈折こそ、人間のことばの喜びを知るものである。だいたい、ベラベラとしゃべるやつにはほんとうのことは何もいえない。考えているひまもありゃしないじゃないか。え?
きみ、ドモリたまえよ。
きみ、ドモルのがいいんだよ」
 (家出のすすめより引用)


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「僕の職業は寺山修司です」

そう語ったように、様々な分野で幅広く活動した寺山修司だが、一貫して追求した主題は?

精神的屈折、コンプレックス等は克服するよりも光を当てよ!
ラクタにも光り輝く時がある。
そして「幻影」「虚構」


彼はハイセイコーテンポイントといったメジャーな名馬を描くにもその陽の部分ではなく陰の部分にスポットライトを当てた。
モンタヴァル一族の呪い、臆病馬コウジョウ、白い逃亡者ホワイトフォンテン、走るお墓メジロボサツ、どうしてもフジノオーにだけは勝てなかった名障害馬タカライジン、遠くブラジルで騎手に蒸発されてしまった捨て子ハマテッソ 等々...。
地味でどこか物悲しい名馬に脚光を浴びせたのである。

私が競馬好きになったのは、ウマ好きの叔父の影響もあったが、寺山修司の文章に触れたことがより大きかったのかもしれない。
彼は虚構的表現を多用するので、名馬を擬人化し極端にデフォルメする傾向もあるが、同じ擬人化でも当節流行りのウマ娘とは、名馬に対する思い、敬意が180度違うのだ。
(ファンの人はゴメンナサイ)


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ん!
唐突にねじ式
なんか、寺山修司と、つげ義春に共通するものを感じ貼っただけです(笑)。ちょっと、違うかもしれないが...。

それは置いておいて。


競馬ファンは馬券を買わない。財布の底をはたいて自分を買っているのである」

「競馬が人生の比喩なのではない。 人生が競馬の比喩なのだ」


寺山修司の有名な競馬に関する言葉だが、この言葉を過剰に分析するのは無意味であると思う。
彼はその文章の中で、実の母親を何度も殺している虚構表現を得意とする詩人であり、単なる言葉遊びである可能性が高いと思うからだ。
でも、自分(の人生)と似ている競走馬を無意識のうちに探し求めているのは確かであると思う。


先日の京都大賞典
 ダービー馬の栄光と挫折。
殆ど噛ませ犬化していたマカヒキの逆襲に、自分の人生と重ね合わせ、快哉を叫んだ人は少なくないはずだ。




はるか群衆を離れて・・・。


ここで言う「群衆」とは、人間嫌いからくる隠遁への憧れではない。

人間、誰でも心にコンプレックスを抱えている。
挫折のない人生なんて稀なのだ。

「陰」を歩いてきたからこそ、本心では「陽」である群衆への憧れは強いと思うのだ。

名手、吉永正人は群衆の喝采あるダービー・ジョッキーを目指していた。
寺山修司も自己顕示欲が強く、あの三島由紀夫をライバル視していたそうだ。

寺山修司が裏町的人生にスポットを当てたのは、、権力、否、権威に対する反感からきていたのかもしれない。


「私のアパートの壁には、今もジプシー・ローズのピンナップが一枚貼ってある。この60年代の肉体のヒロインは、とりたてて美しくもなければ、セクシーでもない。だが、その反抗的な眼差しだけは、今でも、私を挑発しつづける」 (スポーツ版裏町人生引用)


う~~ん

私は還暦も過ぎたので群衆を目指すような上昇志向も虚栄心も残っていないな。
ただ平和に穏やかに暮らしたい。

はるか群衆を離れて、ムーミン谷で、ムーミンスナフキンやミィたちと、楽しく愉快に暮らしたい(笑)。

以上。