オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

閉じろ!チューリップ。

「おいコラ!💢 ガン飛ばしてんじゃねーぞ」

「・・・」


高校時代、下校中の京浜東北線
不良校のヤンキー3人組にからまれ、O駅のホームに引きずり降ろされたことがあります。
私は電車に揺られ、車窓を眺めていただけで、彼らにガンを飛ばした(関西ではメンチを切る?)覚えはない。
否、素行の悪そうな彼らにチラッと軽蔑の視線は送ったかもしれないが、断じて睨みつけてはいない。
ヤンキースはハイエナのようにおつむが弱い(注・ハイエナは賢い)ので、獲物を探していただけなのだろう。
制服の裾をつかまれ、駅のホームから階段を降りると、そのままトイレの方に連れて行かれた。

“ カツアゲか? 困ったことになった.. ”

私は逃げることを考え隙を窺う。

トイレに近付いた瞬間だ、ヤツらの腕を振り払うと脱兎の如く駆けた。
ヤンキースが何かを叫んでいる。
しかし、瞬時にヤツらを3~4馬身引き離すと、走る、走る、走る。
ヤツらが追ってこようとする頃には、既に10馬身以上前を走っている。
まるで音速の貴公子サイレンススズカの如く快速を飛ばすと、改札口を抜けたところがゴールである。もう、ヤンキースは諦めて追ってこない。

“ 中学時代は陸上スプリンターであり、現役高校球児であるオレ様が、あんなタバコを吸っているであろう運動不足のゴロツキにつかまるわけねーだろうが、ヴァ〜カ!... ” と、独りごちた。
私は逃げ足は速いがケンカは弱い。
というより、平和主義者なのだ(笑)。

O駅に降りたけれど、戻ればヤンキースがまだいるかもしれない。
危険なので、私はてくてくと隣駅まで歩き、そこから電車に乗って帰った。
私が他者から因縁をつけられた経験はこれだけですね。

  ・・・・・・・・・・・・・


以上はふと思い出したことを書き綴っただけですが...。
ヤンキー=不良からの連想。

高校時代の野球部の同期に、金子君(仮名)というヤンキー気質のヤツがいた。
ヤンキー気質といっても、一応受験を潜り抜けてきたヤツなので、頭は悪くないのだが無頼を気取るところがある。

金子君も競馬が好きだった。
聞けばハイセイコー以来のファンだという。そんなことから、彼とは気が合った?というより、話しが合った。


実は、馬券を自分で買ったのは、金子君と一緒に行った時が最初だったのです(大人に頼んで買ったことはある)。


後楽園の場外馬券売り場。
水道橋駅改札口前で待ち合わせ。
高三の秋(1976天皇賞が目的)

その時のことを思い出すと、私は今でも笑いを堪えることが出来ない。

ほら!
昭和の昔にはよくいたでしょ?
浅草や錦糸町辺りに、垢抜けないファッションに身を包み、自分ではカッコいいと思っているのか? 粋がってチョロチョロしている遊民擬きが(笑)。

身のほど知らずの見栄っ張り。
滑稽である。

「おのぼりさんかよっっ!」

私は指をさしてゲラゲラ笑った。


あの当時のこと。
買った馬券は単勝馬券。
高校生の少ないお小遣い、的中したからといってたかが知れている。
私はハーバーヤングとキクノオーだったかな? 金子君は大喜びだったので、アイフルを買っていたのだろう。
遠い記憶なのではっきりしない。
ちなみに、当時の最強馬(古馬)は海外でも走ったフジノパーシアか、このレースで優勝したアイフルと目されていた?が、この年の有馬記念で、両馬とも後輩のトウショウボーイテンポイントになす術なく軽く捻られている。
 
帰り道。
水道橋駅近くの喫茶店に入った。
タバコを吸いながら馬券的中で得意満面の金子君だが、私は、心の中で “こいつ、おっさんみたいだな...” と、思っていたのを憶えている。

その日、初めて窓口で馬券を買ったことと共に、記憶に残ったことがある。
茶店を出たあとに「ちょっと やっていこうぜ!」と金子君。
生まれて初めてのパチンコ体験。

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パチンコには興味がなかった。
あまり気乗りはしないが、金子君に促されるままに中に入る。
競馬は小学生の頃から興味があり、馬券場に抵抗はなかったけれど、パチンコ店に入るのは緊張した。

「競馬はギャンブルだけど、パチンコは遊戯だから大丈夫だよ!」と、金子君。

18才になっていたとはいえ、まだ高校生の身である。10代の頃の私は、基本的に真面目で堅い性格だったのだ。

《私服の巡回警察官が来て補導されたらどうすんだよ...》
そんなことを考えるとドキドキする。
それに比べ、遊び慣れている金子君は悠然と台に構えている。
彼の外見と服装は、明らかに私よりずっと年長に見えるだろう。


チーン ジャラジャラ・・・

というわけにはいかず。
二人とも虚しく銀玉は空を切るだけ。
高校生の少ない小遣い、20~30分で店を出ることになる。

当時、金子君は柏、私は川口に住んでいたので、その後、秋葉原駅で別れ帰る。懐かしい一日です。
彼とは高校卒業後、野球部の同期会等の集まりで数度会ったことはあったが、交流はなかった。
もう、30年以上会ってないな。
現在、どうしているのだろうか?

 ・・・・・・・・・・・・・・


高校を卒業した翌年?数年後?
あの日、私は初めて一人でパチンコ店に入った。
そして、奇妙な経験をする。



浦和に何の用で行ったかは記憶にない。吐く息が白くなるほど寒い真冬(1~2月)だったと思う。‚
私は浦和の街をトボトボと歩いている。ちょうど夕暮れ時で、何とも寂しさがこみ上げてくる。
すると、目の前にパチンコ店の明るいネオンが目に入った。それに誘われるように、それまで一人では一度も入ったことのないパチンコ店に飛び込んだのです。

当時のことだ。
手打ち式のハンドルを要領も分からず一発ずつ打つ。どうせ、すぐ球が尽き数分で終ると思っていた。

チーン! ジャラジャラ♪

ところがどういうわけか次々と賞玉してしまう。余程良い台だったのか? 適当に打っているだけなのに入賞玉が続き、球は続々と増え続ける。

チューリップが開いた。

運がいいのか悪いのか?
やがて受け皿が一杯になる。
受け皿が一杯になっても次にどうしていいか分からない。

チューリップよ閉じろ!

球数を減らしたく、やみくもに打つのだが賞球は続いてしまい、球数は一向に減る気配がない。
景品交換の要領も分からず、とうとう私はそれ以上打つのをやめてしまった。要するに、受け皿が一杯になっているのに、それ以上出たらどうしてよいか分からない。
その逡巡を人に感づかれるのが恥ずかしかったのだ。

私は銀玉を一握り掴むと、それをポケットに入れ、他の賞球を残したまま台を離れ、そのまま帰ってしまった。
ポケットに入れたパチンコ玉はどうしたのか? 記憶がない。


遠い日の思い出です。


その後、20代の一時期、パチンコに嵌まったことありましたが、長続きはしませんでした。


競馬の面白さには勝てません。