オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

最後の晩餐。

先日、池波正太郎の「食」に関するエッセイを読み返して思ったのだが、もし、ダ・ヴィンチに因んで最後の晩餐なるものがあったとする。

好きなもの五品選べるとしたら。

私は何が食べたいのだろう?
私は何を選ぶのだろう?

やっぱり、おれは日本人だから白米、オニギリ、味噌汁、煮物、香の物etc なんて、そんな野暮でクサいことは言わないけれど、高級和料理だの、フランス料理だの、イタリアンだの、そんなセレブ食なんて1㍉も欲さない。
(最後の晩餐でなければ選ぶ)

もっと単純で、胃ではなくハートにグサッとくるもの。
美味より脳や身体が覚えているもの。

椎名誠だったかな?「食は記憶でありノスタルジーなのだ...」と。

その通りだと思う。だからこそ、あんなシンプルな肉屋のコロッケや、夜鳴きそばのラーメンが泣きそうになるほど美味いのだと思う。


● そこで、最後の晩餐 My5選


【カツ丼】

 

これね、これ!
高校球児時代の記憶につながる。空腹になったらまずカツ丼。満足感がハンパじゃない。甘辛い煮汁が染みたサクサクのトンカツを、とろりと卵で閉じちゃうんだから掻き込み喰い必至。
カツ丼は青春食のバラード。
私にとっての食の絶対王者。king of kings なのです。

 


ライスカレー

 

敢えてカレーライスと言わずライスカレーといった方が郷愁に触れる。
土管の置いてある原っぱでカンケリをしていると、近所の家からカレーの匂いが漂ってきた。
すると、子どもたちのお母ちゃんが「ご飯だよ~!」と迎えに来る。
「お母ちゃん、今夜のご飯のおかず何なの? カレー食べたいな...」
「キンピラとヒジキと菜っ葉だよ。贅沢言うんじゃありません!」
カレーの匂いは幼少期の香水だ。
あれに誘惑されないやつはいない。


【餃子】

 

ギョウザってね、肉屋で皮を買って、それに安い挽肉にニラ(or白菜)だけを詰めて、大量に素人焼きして家族中で大騒ぎしながら食うものさ。
近頃のギョウザは進化し過ぎ。もっとシンプルであるべき。
大人になったら、最高のビールの友になった。ギョウザは飽きない。
中国4000年の歴史? 餃子を見ていると中華料理こそ世界最高峰と感じる。


さてさて、、カツ丼、ライスカレー、餃子までは確定。
以下は迷うな、、勿論、ラーメン、チャーハンは候補だったけど、最後の晩餐の食卓には中華の代表として餃子にその座は任せよう。
案外、目玉焼きなんて好きなのだが、カレーの上に乗っければ良い。


【寿司】

 

少年時代なんか、寿司は何かイベントが無ければ食べられない鰻重より贅沢だったんだぞ。
初めて食したのは葬儀の席だったかもしれない。単純に美味いよね。
回転寿司でランチで食べられる時代が来るなんて、、って思ったっけ。
30皿以上食ったオレに誰か勝てる?
寿司も最後の晩餐に外せない。


【秋刀魚の塩焼き】

 

まぁね、、少年時代はサンマ、サバ、イワシばかり食べさせられたから嫌いだったんだけどね。
「また、魚焼きかよっっ! ビンボーくせーな。ジーサン、バーサンの食い物なんか嫌だよぉ~!」
私もジーサンに近くなってきたので、秋刀魚の旨さに神の領域を感じる。
最後の晩餐は秋刀魚で締め括りたい。


以上に挙げたのは、あくまで最後の晩餐にするには?であって、勿論、高級和牛のすき焼とか、ステーキが食べたいのは言うまでもございません。

ところで『至高の食とは?』との質問に、「空腹こそ至高」「みんなでワイワイ楽しく食べること...」なんて、道徳の時間みたいなこと言う人がいるけれど、それ、カッコつけ過ぎだから。
ただの禅問答だから。