深夜ラジオを聴いていると、こんな懐かしい曲が流れてきた。
十五 十六 十七と
私の人生 暗かった
過去はどんなに 暗くとも
夢は夜ひらく
ん... 16~7の小娘が、私の人生暗かっただと? おいおい!ふざけちゃいけない。あんたの人生これからだろう?
普通ならそう思うのだが、藤圭子の歌声は妙に説得力がある。
この「圭子の夢は夜ひらく」がヒットしたのは1970年? 調べると、当時藤圭子はまだ19才。恐るべき少女?といった感じですね。
ドスの効いたしゃがれ声。深夜に彼女の歌声を聴くと、妙に怖いものがある。演歌でも艶歌でもなく、まさしく怨歌なのだろう。
藤圭子の母は盲目の旅芸人だったそうですね。
貧しい生い立ち?その日暮しの家族、目の不自由な母のため、子供時代から歌で生計を立てようと必死に働いたそうです。
作家の五木寛之は
「民衆からの無言の怨みを知らず知らず巡業によって集めて、あの歌声になった」と、語っています。
彼女の説得力ある怨歌、あの歌声の秘密が見えてきました。
こうした怖いぐらいに暗い音楽は、近年テレビから閉め出されてきましたね。北原ミレイ「懺悔の値打ちもない」も然り。
当世流行りのグループ系アイドルより、ずっと魂に響く音楽なのに...。
娘の宇多田ヒカル。
母 藤圭子の土着性とは正反対に、天才の名を欲しいままにする娘。
貧しい家庭に育ち、不良家出少女といった雰囲気であった母に較べ、幼少期から恵まれエリート教育を送ってきた娘。
娘にヒカルと名付けたのは、盲目の旅芸人だった母(ヒカルの祖母)の遺伝子を継ぐ我が子には光を失って欲しくないという願いからだったそうです。
きっと、娘の活躍に喜んでいることでしょう。
藤圭子って、歌だけじゃなく美しかったですよね(笑)。
世間一般のイメージは暗かったかもしれませんが、意外と自由で茶目っ気のある女性だったそうです。
でも、人見知りで過度に繊細、、彼女にとっては生きずらい時代だったのかもしれませんね。
挫折した才能には、奇妙に人を魅きつけるものがある。
何かしら甘酸っぱい感情移入を起こさせる。
藤圭子享年62才。
今年、私もその歳になります。