オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

妄想・オケラ街道の少女(10)警告

部屋の片隅にチグサの存在を感じた。
しかし、それはまだ忘れることの出来ないチグサへの残想だ。
あの日、西船橋から武蔵野線に乗ると窓景色の向うからチグサがおれに向かって手を振っていた。どんどん車窓から後ろ後ろへと遠ざかるチグサ。
あれは、おれの幻視だったのだ。
詩人寺山修司の言葉を借りるならば、チグサは(50年前の)おれの比喩、否、おれがチグサの比喩なのかもしれない。

スマホに目を向けると、来週行われる第68回有馬記念の出走馬が目に入る。天皇賞(秋)ジャパンCで圧倒的な強さを魅せたイクイノックスは引退。そのジャパンCでイクイノックスの2着と好走した牝馬三冠リバティアイランドも出走回避。それでもそこそこのメンバーは揃っている。おれは有馬を最後に引退表明のタイトルホルダーに感情移入しているのだ。

ふと、チグサと有馬記念の連想から50年前の有馬記念を思い出していた。ナスノチグサは出走していなかったなぁ、、、。
地方から来た怪物ハイセイコーは、ダービーで3着と敗れてから、京都新聞杯では2着、本番菊花賞でもライバルタケホープの鼻差2着と惜敗続き。
今度こそ! 当時中三で翌年受験を控えていたにも関わらず、一週間前からドキドキして勉強どころではなかった。

ハイセイコーは敗れた。3着だった。
勝ったのは人気薄10番人気のストロングエイト、2着はハイセイコーと同世代牝馬ニットウチドリ。ハイセイコーと人気を分けたタニノチカラは4着だった。
まともなら、タニノチカラ以外には負けるような相手ではない!
ハイセイコー日本ダービーで燃え尽きたのだろうか? おれは放心状態だった。

ん? 2着ニットウチドリ。
ここにも那須野千草がいたんだな…。
ニットウチドリはこの年の牝馬クラシック世代でナスノチグサ、レデースポートと共に牝馬3強と云われていた。そんなニットウチドリを通しておれはチグサのことを再び思い出す。

手元にある焼酎のロックをグビグビやりながら、スマホで過去の有馬記念勝馬に目をやる。1973ストロングエイト、1974タニノチカラ、1975イシノアラシ、1976トウショウボーイ、1977テンポイント

1977 テンポイント???
“わが青春のテンポイント”  静香ちゃん。
あの日、おれは静香ちゃんに失恋した。

不思議な感覚だった。
焼酎のロックがおれの肉体を蝕んでいる。
「おじさん、もう歳なんだから、、あんまりお酒飲まないほうがいいよ」
「むむむ! チグサおるのだろう? 隠れても無駄じゃ。 出てくるのじゃ…」
なぜ、おれはチグサの空耳に、誰もいない部屋で叫んでいるのだろう?
焼酎ロックがおれの肉体だけではなく、精神までも蝕んでいるのか?

最初に自分の体調異変を感じたのは今から10年ほど前? 50代半ばだったような気がする。それまでのおれは、同年代なら誰にも負けない健康体と慢心していた。
それでも、どこかおかしいぞ、、、と、明確に自覚したのは還暦過ぎあたり? じわじわ痩せてきたのだ。そして、健康診断を受けてみると、血糖値、HbA1c がとんでもない数値を示していた。それから、ガクンと体重が恐るべき早さで減った。

「このままでは入院、インスリン自己注射するようになっちゃうよ!」
ガタイのいい女医に怒られた。(そんなに怒らなくてもいいのに、、女医さんよ、アンタ、おれより10以上年下だろう? おっかねーんだよ。パワハラかい?)
それからというもの、徹底的に食生活を変えた。軽い運動も欠かさない。毎日飲んでいたアルコールも週に2〜3度少量飲む程度。その結果、劇的に数値が下がってきた。おれは神経質なので、一旦、自己管理を始めると度を超えてしまう。

違うんだよチグサ。
お前は「あまり飲みすぎないで…」と心配してくれるけど、おれはきちんと自己管理はしている。飲み過ぎるのはお前と一緒の時だけ。普段はそんなに飲んじゃいないんだからな。

そうだろうか???


血糖値、HbA1cが劇的に下がったことをいいことに、又、じわじわ増えてきているのは間違いない。飲むのは週末に限るのだが、一回の酒量がかなり増えてきた。
現に、今こうして焼酎ロックを何杯も飲んでべろべろではないか。以前はほろ酔いで抑えていたのが、糖質、プリン体0の安心感なのか? 酔うと抑えが効かない。

そうだったのか?
あれは「警告」だったのだ。
50年前のおれが、50年後のおれの前に、チグサという少女となって警告しにやってきたのだ。


また、チグサの気配を感じた。
もう、本当にチグサと会うことはできないのだろうか?

来週の有馬記念
中山競馬場に行ってみよう。
帰りのオケラ街道に、チグサが痩せた身体でバンビのように蹲っているはずだ。
なぜか、そんな気がする。
チグサをもう一度拾いに行こう。

その夜、飲み過ぎたおれはそのままソファーで眠ってしまった。おそらく、チクワとキャベツ位しか食べていない。身体に良い訳がない。そして明け方夢を見た。

夢の中のおれは18〜19の若者? 静香ちゃんが住んでいるであろうマンションの前にいる。もう、その頃は、あの長身の美少女が幼馴染みの静香ちゃんであることは分かっていた。あのバス停で一緒になった時に追跡してマンションの表札? あの静香ちゃんと苗字が同じだったことを確認していたのだ。それからというもの、何度も用もないのにそのマンションの周囲を自転車で周回しては、偶然にでも静香ちゃんと出くわさないかと期待していた。

マンションの入口から出てきたのは静香ちゃんではなくチグサだった。チグサはおれを無視してそのまま行ってしまった。

 

つづく。