気のせいだろうか? 幾分チグサの背が伸びたような気がする。それにその表情も大人びて見える。6日前の日曜朝、チグサが消えてからというもの、心配で心配でおれは眠れぬ夜を過ごしていた。それに追い出してしまったようで自己嫌悪もある。
目の前でニッコリ微笑んでいるチグサを見ておれは込み上げるものがあった。その小さな身体を抱きしめてあげたい。
「どうしたチグサ!どうしてこんなところにおる、、 那須塩原だったかな?帰ったのではないのか?」
「うん。わたし、那須出身とは言ったけど、そこに住んでるなんてこと、一言も云ってないよ…」
「うむ! ならば、何処に住んでおる。ご両親も一緒なのだろうな? 先週もここらで会ったな。若い娘がこんなオケラ街道で何をしておったのじゃ?」
「ここにはおじさんみたいな人が一杯いるからね。それに、わたしは何処にでも行けるし帰れるんだ…」
「何処にでも行ける? 帰れる? どういうことだチグサ。おまえは何某なのだ?」
これはおれの心が生み出した幻の少女なのだろうか? 小説や映画の中ではありがちなストーリーだが、これは現実に起きていることなのだ。
チグサはただ黙っているだけ。
「まぁ、おまえが何処の誰でも構わん。で、今日は腹は空いておらんのか?」
「空いてるよ! いつもお腹ペコペコなんだよね。先週行ったお蕎麦屋さんで親子丼食べたいな。それに狐うどんも」
おれはチグサを連れ駅の方へ向かった。
もっといいものを食えばいいのにと思いつつ、先週、美味しそうに親子丼を食べていたチグサの表情を思い出した。
おれは蕎麦と塩辛で一杯やろうと考えている。きっと、チグサに「おじさんお酒飲みすぎ!」と、叱られるだろう。そんなことを考え心の中で苦笑する。
てくてくてく、、
てくてく、、
てくてくてく、、
しばらく歩いていると、背後に歩いているはずのチグサの気配がない。
「チグサ! 妙に大人しいの…?」
振り返るとそこにチグサの姿はない。
「チグサ! チグサぁ〜!」
おれはチグサの名前を叫びながら周囲を半狂乱になって探し回った。そんなおれを馬券敗残者のような冴えない顔をした男数人が不思議そうに見ている。
しかし、チグサの姿はどこにもない。
おれは蕎麦屋で盛り蕎麦と塩辛を肴に和酒で1杯やっている。先週、チグサを連れ入った店だ。テレビでは大相撲中継。
いつもお腹ペコペコだって?
親子丼と狐うどんが食べたいと言ってたのに何処に消えやがったんだチグサ。
それでも、さっきオケラ街道にいたチグサはおれの幻覚だったと納得しよう。そう思わないとやりきれない。
人が店に入って来る度に目を向ける。
今にも「おじさん、お酒飲みすぎだって言ったでしょ!」とチグサがやってくるような気がするのだ。さっき目の前にいたチグサを幻覚とするにはあまりにも現実感があり諦めきれない。
このまま店を出て帰ってしまったら親子丼と狐うどんをご馳走するという約束を果たすことが出来ない。きっと、チグサは何か急用を思い出しただけ、それを済ませば顔を見せるかもしれない。そこにおれがいなければ親子丼が食えない。そう思うと帰ることなんか出来ないのだ。気が付くと夜の8時になろうとしていた。もう2時間以上も一人で飲んでいることになる。
「旦那、、さっきから競馬新聞を仏頂面で眺めてるけど、当たらなかったみたいだな? へへへ、俺もおんなじさ」
不遜な態度の肥えたオヤジがやってくると、無遠慮におれの前の席に腰掛けた。おれは一人でいたいのだ。“おれの真ん前に座るんじゃねえオケラオヤジ!” 心のなかでそう毒づいた。チグサがやって来てこんな汚いオヤジと一緒にいるところを見られたら同類と思われてしまう。
おれは酔っている。
そんなおれに向かって、オヤジは自らの馬券論を唾を飛ばす勢いで捲し立てる。不快感が込み上げる。我慢も限界だ。
「うるせい、デブ! 誰に向かってモノを言ってるんだ?去れ!」
オヤジは一瞬にして大人しくなると、頭を掻きながら他の席に移った。その後ろ姿があまりにも情けない。この手の男はオケラ街道周辺には多いのだ。
待てよ、、、。
チグサは「ここ(オケラ街道)にはおじさんみたいな人が一杯いるから」なんて言ってたな? デブにチラッと目を向けると、自分自身を見ているようで情けない気分になってきた。(こいつは、おれか?)
さっきから、パトカーが行ったり来たり外の方が騒がしい。
チグサのことを諦めたおれは、伝票を持ってレジに向かった。チグサは幻であって存在しなかったのだ。厨房で店員同士が深刻そうな顔で話している。
「何かあったんですか?」
「ええ、、オケラ街道の方で若い女性の死体が発見されたらしくて…」
銭を払うとおれは走った。
おれとチグサの物語はラブコメであってくれと期待していた。彼女の正体が、その落ちが、おれの大嫌いなウマ娘だったらどんなに良かったか、、、。
サスペンス劇場になってしまうのか?
いやだ、いやだ、、いやだ!
老いた身体で酔っているのに走った。
おれは思いっ切り転倒した。
(続く)