オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

マスオさん、ダービー的中。

https://okeraman.hatenablog.com/entry/2025/05/17/151631    からの続きになります。

 

おれはセイウンワンダーアンライバルド、その他3頭の馬連ボックス10点を500円(5000円)ずつ買った。人気?のリーチザクラウンロジユニヴァースは完全に無視。

「おじさんは中穴狙いの買い方なんですね?僕は変化球は投げられませんのでこの通り!」

また、「おじさん」なんて言いやがったと思いつつ、マスオさんの馬券に目をやった。彼はロジユニヴァースアンライバルドリーチザクラウンの3点。ロジからリーチに2000円、ロジからアンライに2000円、リーチからアンライに1000円の5000円購入している。やっぱり、真面目なマスオさんは馬には素人だな、、、皐月賞アンライバルドを買うのは分かる。敗れても連には絡みそうな気がするからだ。

皐月賞でのロジユニヴァースリーチザクラウンは1、2番人気ながら両馬とも人気を裏切り二桁着順に沈んでいる。あの負け方はダービーに向けて絶望的だとおれの目には映った。リーチザクラウンみたいな気性の荒い馬がダービーで好走する訳がない。ロジユニヴァースに至っては体調不良?から調子を崩し、どうにかこうにかダービーに間に合わせたという情報を聞いている。どっちも来るわけがない。

 

店のモニターの中。

不良馬場の東京競馬場にファンファーレが鳴り響いた。おれとマスオさんは次々とゲート入りする競走馬を固唾を呑んで見守る。

柔和なマスオさんの顔が緊張のせいか?真剣な表情になり唐揚げを口の中にポイ!と放り込むとチューハイと一緒に飲み込んだ。

1着 ロジユニヴァース  1

2着 リーチザクラウン  12

 

「あわわ、、マ、マスオさん!! 1−12の馬連買ってましたよね? 来ちゃったよ...」

「は、はい! 2000円買ってます。何倍ついたでしょうか? ま、まぐれですよ...」

 

まぐれ? 当たり前だ! 競馬ベテランのおれでさえかすりもしないのに、マスオさんのくせに当たったことを自慢しやがったらぶっ飛ばすところだった。でも、彼はあくまで謙虚だ。

 

「お見事! マスオさんおめでとうございます」

「いやぁ〜! ダービー当たったの初めてです。これも、おじさんと此処で出会ったおかげです。ありがとうございます」

 

おれはマスオさんの素直さ、その人柄に好感を持った。感動すらした。彼が馬券的中させたことは自分のことのように嬉しかった。但し、おれのことを「おじさん」呼ばわりはやめてほしい。マスオさんの方がおれより長く生きてるんだから。戦後、すぐ生まれたんだろう?

 

ダービーの払い戻しが発表された。

ロジユニヴァースリーチザクラウン 1−12

馬番連勝は37.6倍。

マスオさんはそれを2000円買っているのだから

75200円。投資5000円なので70000円の利益になるのだ。

 

「マスオさん、結構つきましたね?」

「ええ、、そこそこのお小遣いになります」

 

そこそこのお小遣い? おれなら7万も儲けたら大騒ぎだぞ! 彼の住んでいる処は世田谷区の桜新町だったような? 高級住宅街?というイメージがあるけど、おれみたいな川口や足立区のようなガサツな街に拠点を置いている男と違って裕福なんだろうな? おれは自分の姿とマスオさんを見比べた、、品が全然違う。

 

「しかし、本調子じゃないと言われていたロジユニヴァースが圧勝しましたね。重馬場は得意そうだとの情報もあったけど吃驚だね?」

「はい! 僕はロジユニヴァースを見て、何となく泥んこ遊び大好きな子どもを感じたんです。でも、この大雨の中、彼にしてみれば、一世一代の激走だったかもしれませんね? 僕はその反動が出ないかちょっと心配です...」

その通りかもしれない。あれだけの走りをすればかなりの負担があったはず。

2着のリーチザクラウンにしても、気性が荒いというより感情に起伏があり気分良く集中して走ればかなり強いとも感じた。

競馬は本当に難しい...。

 

「おじさん! もう少し時間ありますか?」

「ええ! でも、マスオさんは家族が待ってるんじゃないんですか? 奥さん(サザエさん)に怒られませんかね?」

そんな私の話しなんか聞いているのかいないのか? マスオさんはメニューに目をやっている。

 

この、おれの前にいる男は誰なのか...。

本当にフグ田マスオなのだろうか?彼の一家がこの世に誕生したのは昭和21年(1946)のはず。今は2009年なので63歳ではないのか? 否、あの時点で28歳? もう90過ぎのジジイのはず。

マスオさん、一体、アナタは何者なのだ?

時空を超えてやってきたのか?

 

つづく。

 

マスオさんとダービー談義。

2009年5月31日、第76回日本ダービー

昼過ぎからの雨模様、ゲリラ豪雨もあいまって府中競馬場は重馬場が避けられない状況。不良馬場ともなれば40年ぶり? 40年前といったらダイシンボルガードが勝ったレースだ。おれの競馬歴はこの1969から始まった。そんなことはどうでも良い。おれは後楽園の場外馬券売り場でセイウンワンダーを中心に馬券数点を買った。人気の皐月賞アンライバルドも買ったがリーチザクラウンロジユニヴァースは無視。期待を込めた馬券を大切に握りしめたおれは、そのまま近くにある酒場に向かった。

「すいません、、お隣よろしいですか?」

「ああ、 どうぞ、どうぞ!」

いかにも真面目そうなサラリーマン風情。丸メガネのやさ男がおれの前の席に座った。この柔和な若い男は何処かで見たような気がする。気にはなったが、おれは競馬新聞に目を戻した。

「おじさん、ここは何が美味しいですか?」

「う〜ん、、ここは競馬バカばかり集まる酒場だからろくなもんがないですよ。そうですね、鶏の唐揚げとかマグロブツかな...」

丸メガネの男はチューハイに唐揚げ、マグロブツを頼むと、鞄の中から丁寧に東スポを取り出し競馬欄に目をやった。こんな真面目そうな若い男が馬券を買って、こんなところで一人呑みしているのが意外だった。

「おにいさんも競馬やるんですか?この雨じゃ不良馬場確実ですね?」

「はい! ダービーだけは毎年馬券を買ってるんですよ。すいませんね、、ボクは雨男なもので降らしちゃって、、あはは♪」

つまらんギャグだな、と思ったものの、おれは男に愛想笑いを返した。それにしても、どっかで見た顔だぞ。会ったことあるぞ。

「失礼ですが、以前お会いしたことは?」

丸メガネの男は胸ポケットか何やら取り出すと紙切れをおれに「よろしく!」と差し出した。

名刺であった。

海山商事 係長 フグ田マスオ

おれは彼の顔をマジマジと見つめた。

そこにいるのは紛れなきフグ田マスオ。あのサザエさんの旦那である。おれは頭が混乱した。どうしてマスオさんがいるのだ?彼は漫画世界の住人ではないのか? マスオさんは実在の人物だったのか? 実写版フグ田マスオがいる。

「おじさん、驚かれましたか?」

おれはマスオさんに「おじさん」と呼ばれるのは抵抗がある。その時のおれは50歳。マスオさんの設定年齢は確か...。

「はい、吃驚しましたよ!ところで失礼ですがマスオさんは何歳なのですか? 私が生まれる前からいたような気がするんですが...」

「ボクは昭和21年からずっと28歳なんですよ。これからも歳はとりません。あはは♪」

おれはもっと色々聞きたいことがあったが、あまりプライベートなことに踏み込むほど野暮な男ではない。彼の正体が何者であっても構わないではないか。彼は真面目一筋、誠実なフグ田マスオであって信用できる男だ。

 

その後、2人は意気投合した。

 

「おじさん! 今日のダービーは何が来ると思いますか? ドロドロ馬場ですからね...」

マスオさんのくせに、又、おれのことを「おじさん」なんて呼びやがった。

「私はセイウンワンダー中心に買いました。福永祐一にも期待したいんですよね。皐月賞を勝ったアンライバルドも捨てがたい」

「そうですか、、、ボクはロジユニヴァースから買いました。リーチザクラウン皐月賞惨敗しましたが、不良馬場では侮れないですよ。特にロジユニヴァースはチャンス。横山典弘が悲願のダービージョッキーになるかも」

真面目なマスオさんにしては案外語るじゃないか、と、思ったものの、やっぱり素人だな、、。おれはチューハイをおかわりした。

 

つづく。

誰か話しかけてこいや...。(2)垢抜けない少年。

https://okeraman.hatenablog.com/entry/2025/04/29/160404

からの続きになります。

 

高校入学後。

既に3週間にもなろうとしていたのに私は1人の友達も出来ません。もうすぐ5月のゴールデンウィークになろうとしていました。さすがにこのままじゃまずい。陰気な暗い奴というレッテルを貼られてしまう。焦りましたね。

“スカしてんじゃねーよ!”

友達が出来ない焦りから、自分が悪いのに私はいつもそんなことを思っていました。新たなクラスメートは私とは文化的価値感が全く違う。私の出身中学はキューポラのある町の奥。そこでは男子全員が丸刈りの坊主頭。高校に入ったら髪を伸ばそうと考えていましたが、卒業からまだ一か月半しか経っておらず長めのイガグリ頭。どう見ても垢抜けないイモ男子。

入学早々思ったんですけどね。あの高校はスカした奴が多かったんですよ(笑)。60年代半ば?つまりビートルズが来日したあたり?から、70年代半ば過ぎは長髪男子が多かったんですね。しかも、あそこは多くの芸能人も輩出した坊っちゃん気質の奴が多かった。川口の田舎から出てきた私は周囲の奴を見て気後れしたのかもしれない。拓郎、陽水、かぐや姫みたいな髪型の男子が、、秀樹、五郎、ひろみを意識したような奴がゴロゴロ、そこで交わされる会話なんて最新流行のものばかり。ここはおれのいるべき場所ではない!なんて思いましたね。私なんて星飛雄馬や矢吹ジョーに憧れ、長嶋茂雄を崇拝する垢抜けないイモ少年だったのですから。

話は横道に逸れてしまいました。

そんな、5月のGWに入るちょっと前、たまたまクラスの橋本(仮名)と帰りが一緒になりました。私は川口、彼は浦和出身なので帰りの電車が同じ。今思えば、高校での最初の友達は橋本だったような気がします。彼は、いかにも当時のフォーク・ソング歌手のような風貌。吉田拓郎井上陽水のファンで、自分でもギターを弾くのが趣味だと言っていた。後に私が拓郎、陽水ファンになったのは彼の影響が大きかったと思います。カセットをよく貸してくれました。

橋本も私と一緒で人見知りが激しい方で垢抜けなかったな。同じ埼玉出身でもあり、彼とは妙にウマがあった。いずれにしても、GW前に話し友達が出来たのはホッとしました。

そのGW中に皐月賞があったな。キタノカチドキの強さに呆れましたね。

 

GWが終わると私は他クラスの根本(仮名)の元に向かいました。彼は私と同じ中学出身。

同中学出身は私を含めて3人でした。根本とは中学時代同じクラスになったことがないので一度も話したことはありません。

「根本!野球部入ってるんだよな? おれも入ろうかなと、思ってるんだけど」

 

なんか、長くなりそうなので続きます。

根本は後にその野球部のキャプテン。

 

誰か話しかけてこいや...。(1)

今、GW真っ最中でありますが、4月から進学・就職した人は、この一か月で新しい環境に馴染めたでしょうか? 連休後は「五月病」なるものが話題になりますが、その症状は大抵の場合「サザエさん症候群」「ブルーマンデー」的な軽いものだと思われますが、中には適応障害から鬱に陥る方も少なくないとか? その原因は色々あれど人間関係が一番多いのかな?

 

1974年4月。

地元の志望校を落ちた私は、都内文京区にある私立高校に入学しました。地元の高校ならば同じ中学出身の知る顔も多かったと思いますが、入学式後、配属されたクラスの初顔合わせ。全員が違う中学出身で初対面。シーン...としていましたよ。この静けさは居心地が良くて私は好きでしたね。とは言っても、この年頃の高校生は一番元気の良い年頃。1〜2日すると、あちこちに小グループが出来る。1週間もすれば?もう煩いほどの賑やかさ。誰だって、新しい環境に身を置けば新たな友達が欲しいのが人情。

 

私はと云えば?

1週間経っても2週間経っても誰とも口を利きませんでした。さすがに4月も終わり頃になると孤独に強い私でも焦り始めました。

友達を作るためには、自分から誰かに話しかけないと、、とは思うものの、私はそういうのが苦手でした。自分から尻尾を振って愛想を振りまくなんて “友達になろうよ〜” と言ってるようで、 そんなのは オレではない!自分から話しかけたら負けだ! そんな歪な自己顕示欲があったのかもしれない。 否、それは自分自身に対する言い訳であって、その実は単なる人見知りが激しかったというだけですね。

人見知りが激しいやつなんて他にもいくらでもいましたけどね、でも、そういうやつだって、1週間、2週間経てば話友達ぐらいは出来る。それは、話しかける奴がいたからでしょう。そんなきっかけがあったのでしょう。

でも、私には誰も話しかけてこない...。

(おれは誰とも群れないぞ、、、)と装っていても、それが話しかけずらいオーラを発していたのかもしれません。心の中では (誰か話しかけてこいや!) と思っていたのだけど、誰一人寄って来ないのです。4月もそろそろ終わりゴールデンウィークを迎えようとしていました。その時まで私は誰とも喋りませんでした。

やばい、、このままでは暗い陰気なやつだと思われてしまうぞ。

今風の言葉で言うならば、「スクールカースト」最下層になってしまうぞ。。。

 

その後はどうなったのか?

続きはGW中に更新します。

 

 

 

 

 

女湯の思い出(後)

https://okeraman.hatenablog.com/entry/2025/03/14/220533

https://okeraman.hatenablog.com/entry/2025/03/16/141753

からの続きになります。

 

保護者付きではありましたが、久美子ちゃんとは数度銭湯に入ったかな?そんなある日のこと湯船で仲良く遊んでいると、脱衣所の方が何やら騒がしい。目を向けると女の子数人(多分2人だった)が私と久美子ちゃんの方を指差して騒いでいる。まだ小学校に入学したばかりですが同じクラスの女の子です(久美子ちゃんは別の小学校)。これは困ったことになった...。

その後のことは記憶ないのですが、学校へ行った時に “〇〇君、知らない女の子と一緒にお風呂入ってたのよ、エッチね...”  なんて噂になったなんてことはなかったですね。小学校1年生の性に対する意識なんてそんなものかもしれませんね。それでも、私はその一件以来、久美子ちゃんと一緒に銭湯へ行くことは勿論のこと、祖母や母と一緒でも女風呂に入ることはなくなりました。そうやって成長するのです(笑)。

 

久美子ちゃんとは小学校が別々となって、お互い別の友達が出来ても家が隣同士ということもありその後も一緒によく遊びましたね。小学校低学年の頃なんて異性として意識していませんよ。ガールフレンドではなくただの友達。

時は過ぎ、素直でおっとりした性格であった私も3〜4年生頃になると多少性に目覚めてきます。いくら久美子ちゃんが幼馴染みと言っても気軽に話しかけられなくなりました。彼女の方は内向的だった私と違い、活発で口が達者でしたから平気で私を弟のように接してきます。それも長続きすることはありませんでした。ちょうどその頃、TVアニメ『巨人の星』が始まる。

 

 

この頃になると男の子は少年になってくる。

少年は星飛雄馬に感情移入すると野球に夢中になる。少女と遊んでも面白くも何ともない。放課後学校から帰るとランドセルを部屋に放り投げバットとグローブを持って学校のグラウンドや近所の原っぱに向かう。小4頃になると久美子ちゃんと2人っきりで遊ぶことはなくなり(男女複数人で遊ぶことはあった)、やがて会っても言葉を交わすことも稀になってきました。

彼女の方は会っても素っ気ない私に戸惑っていたのかもしれない。とてもシャイだった私は何を話して良いのか分からなかったのです。かつては一緒にお風呂に入ったというのに...。

小6の時? 友達とキャッチボールしていると、久美子ちゃんの家の庭にボールが飛び込んでしまった。庭の周りには柵がありましたので忍び込むわけにはいかない。「ボールが入っちゃたので取らせて下さい!」と云えば何も問題なかったのに簡単に諦めてしまった。すると久美子ちゃんがボールを持って家の中から出てきたのです。あの時、何を話したか記憶はないのですがあれが最後だったかな?話したの。。。

 

あれから50年以上が過ぎたんだな。

もう、お互い爺さん婆さんという齢だけど、現在どうしているだろうな? 静香ちゃんとは再会出来たけど久美子ちゃんとはない。会いたいような会いたくないような、、何処かで暮らしてはいるだろうね。

一緒にお風呂まで入ったんだぜ。女湯だぜ。

 

遠い日の思い出でした。

まとまりありませんが終わり。

 

 

 

 

女湯の思い出(中)

https://okeraman.hatenablog.com/entry/2025/03/14/220533  からの続きです。

 

“女湯には何歳まで入ることが許されるのか?”

ちょっと調べると、概ね現代では6才迄とありました。私が祖母や母に連れられ入っていたのは小学校ピカピカの1年生(6才)あたりですから昭和39年? 当時は9才とか10才迄という表示もありましたね。10才と云えば小学校4年生でずよ。あの頃の子どもは現代に比べ発育が遅く大らかな時代であったと考慮してもそれはいくら何でもまずいですよね...。

 

 

話を元に戻します。

祖母はどうして久美子ちゃんまで銭湯に連れて行こうとしたのだろう? 孫とそのガールフレンドですからね、、、小さいとは云え、一応小学校1年の男の子と女の子。祖母にしてみれば二人とも男女の範疇に入らず幼児に過ぎなかったのかもしれませんね。おばあちゃんと言っても、当時の祖母は現在の私より少し年下です。まぁそんなことはどうでもいい。問題は銭湯に誘われた久美子ちゃんは大喜び。彼女の家には内風呂があり銭湯初体験だったのかも?

脱衣所で3人は全裸になると手拭いで前を隠し洗面用具を持って風呂場に突入。まだ異性を意識する年頃ではありませんでしたが、久美子ちゃんを前にちょっぴり恥ずかしい。寧ろ、彼女の方が気にしていない。広い風呂場は温泉気分だったのか? 大はしゃぎ。何としたことか、、、彼女はプラスチック製のお人形を持ち込んできたのです。人形も全裸です。

そう云えば、お人形といえば、幼少期にダッコちゃん人形が流行っていたんですね。それを私も持っていて銭湯に持ち込んだ事があります。ビニール製で、湯船に浮かしていると空気が抜けてシワシワになる。あれば空気一杯にしてパンパンに張って太ってるから愛嬌があるんですよ(ないか?)。萎んでシワシワに痩せていると不気味でとても怖い。

 

 

久美子ちゃんが持ち込んできたお人形の恐ろしさはダッコちゃんの比ではない。だってね、胴体から首、両手足を取り外せるんですよ。バラバラ死体のようにして、それを湯船に浮かすのですからホラー? もう、楳図かずおワールド全開なのですから、そんなもん悲鳴を上げそうになりますよ。

バラバラにした人形を湯船に浮かして遊んでいる久美子ちゃんから距離を置きました。そんな私の様子を不思議そうに見ている久美子ちゃんでしたが、いきなり、首だか胴体だか?を持って私に「ほら!」と言って渡そうとする。

 

「ギャ〜 うわぁぁ〜!」

 

逃げますよ。当たり前じゃないですか...。

 

怖がって逃げる私が面白いのか? 久美子ちゃんは人形の首を持って「キャッキャ!」言いながら追いかけて来る。女の子は残酷です。

小柄だった私より彼女は大きくて口が達者で気も強かったですからね。私は駆けっこ以外は何をやっても勝てなかったですね。

余程楽しかったらしく?その後も一緒に銭湯へ行ったことがあるのですが、まずいことが起こりました。この『女湯の思い出』は3回に分けます。今月中に更新予定。

 

つづく。

 

女湯の思い出(前)。

ちょいと下世話な話しですが。

 

幼い頃、祖母や母と一緒によく銭湯に行ったんですよ。当然、女湯ということになります。当時(昭和30年代)は内風呂のある家は少なかったですからね。それに、幼いので一人で銭湯に行くことは出来ません。

 

 

他にも母親と一緒に女湯に入って来る男の子がいたと記憶します。 一般に男の子(女の子のことは分からない)が性的なことに感心を持つのは何歳ぐらいなんでしょうね? 何かの記事で5〜6歳頃だと読んだような気がします。私はと云えば、そういうことに鈍感な子どもだったので、おそらくは小学校3〜4年生頃だったような?  私が母や祖母と銭湯の女湯に入っていたのは小学校入学前後だったと思う。全然、性に目覚めていない年頃ですから、女の人の裸を見ても何の感情もわかない。当然です。

当時、近所(隣家)に久美子ちゃん(仮名)という私と同級生の女の子がいました。彼女とは家が隣同士ということもありよく遊びました。とは言っても久美子ちゃんは姉御肌タイプ、小柄でどちらかと云えば大人しめだった私は常に主導権を握られていた。リカちゃんだか何だか忘れましたが、おままごと人形セットみたいな物を持っていてよくその相手をさせられました。

 

男と女が まーめんち♪

まーめが 出来たらちょうだいな♪

 

私と久美子ちゃんがおままごと等で遊んでいると、近所の同年代の悪ガキ連が物陰から意味不明の冷やかし唄を歌いながら飛び出てきます。女の子と遊んでいるところを見られて恥しくなった私は、久美子ちゃんを放って彼らのは後を追いかけて行きます。一人取り残された彼女はどう思ったでしょうね? でも、私の記憶では気が強く大人びていた久美子ちゃんは、男の子たちの馬鹿さ加減を鼻で笑っていたかもしれません。昔も今も女の子はメンタルが強い?

 

 

後年、構え気味で表情に乏しくなっていった私は女子からすれば話しづらいタイプの男子だったかもしれません。しかし、幼少期の私は素直で穏やかな小柄な男の子だった。自惚れかもしれませんが、近所の女の子たちから一番持てたんじゃないかな? このブログの『オケラ街道の少女』にも登場した静香ちゃん(仮名)もそうでしたし、他にも一人かなり親しいガールフレンドがいました。まぁ、持てたという表現は違うのかもしれません。キューポラの町ですから乱暴なガキ、洟垂らし小僧みたいなのばかりなのでその中ではという意味です。

 

幼少期のガールフレンドの中では久美子ちゃんとの思い出が一番多い。静香ちゃんのような目を見張る美少女ではありませんでしたが、彼女は小学校1年で引っ越しましたからね。思い出は過剰に美化されることを差し引いても、色白の久美子ちゃんも結構可愛かった印象があるのです。彼女が引っ越したのは中学1年の時だったかな? 家は隣同士でしたが、小学校も中学も違う学校でした。それでも小4ぐらいまでは会うとよく話していましたね。

 

女湯の話に戻ります。

 

そんなある日のこと。私はピカピカの1年生。

ちょうど久美子ちゃんが遊びに来ていた時のことです。祖母が銭湯に行かないか?とのこと。さすがに女の子と一緒にお風呂?ちょっと恥ずかしいな、、と思いましたが、久美子ちゃんは大喜びで家に戻ると親の許可を得て洗面用具を持ってやって来ました。

祖母と久美子ちゃんと私は、赤い手ぬぐいマフラーにして(笑)近所の銭湯に向かいました。当然ながら女湯の暖簾を潜ることになります。

 

この続き(後編)は、今月中に更新します。