オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

妄想•オケラ街道の少女 (5)うしろの正面だーれだ?


朝起きるとチグサの姿がない。

昨夜、あれからおれは黒霧島の水割りをしこたま飲んだ。
あんなチグサのような少女とふたりっきり酔ってなきゃ間が持たないからだ。
おれはチグサに「明日は帰るのだぞ」と何度も念を押し、彼女が予言的中させた馬券25万円を丁寧に封筒に入れると渡した。チグサは来客用の暖かい毛布にくるまりリビングのソファーで休んだはずだ。

何もこんな朝早く帰ることもないのに…。
テーブルの上にメモ。

『おじさん、お世話になりました。
あまりお酒は飲まないようにね。
お金、いらないけど、ご厚意に甘えて一万円だけ頂きます。元気でね』(千草)

たった一万円?
帰りの電車賃にもならないぞ!?

おまえは莫迦なのか?
何処へ行ったんだ。
チグサ、チグサ、チグサ!
おまえに帰るべき家なんてあるのか?

テーブルに置いてあった封筒の中身を確認すると24万残っている。
時間を見るとまだ朝の7時前。
おれは窓を開け外に目を向けるがチグサの姿はない。そのまま玄関に走ると大急ぎで靴を履き外に飛び出した。


走りながらおれは思った。
あいつはおれの心が生み出した幻覚でもましてや幻妖の類でもない。実在する血の通った女の子なのだ。
おそらく帰る家なんてないであろうチグサに、おれはなんて残酷なことを言ったのだろうか。帰らなければ、拾ってきたオケラ街道に捨てに行こうとさえ思っていた。

おれは走った。走った!走った!
駅に向かう道、周囲を見回しチグサの姿を求め必死に探しながら走った。
駅に着いてもその構内をチグサを求め必死に駆け回った。
しかし、チグサの姿は何処にもない。

部屋に戻るとテーブルの上に黒霧島のボトルとチグサの食べ残したスナック菓子が虚しく置いてあるのが目に入った。

 

 

“ おじさん、あまり飲みすぎないで ”

チグサの声が聞こえた。
幻聴? おれは一人苦笑いを浮かべた。

それからの日々。
おれはチグサが戻って来ることを期待しながら過ごした。しかし、戻ってくるはずもなく、チグサは只の妖(あやかし)であったのだと思い込もうと、そうやって自分を納得させるしかない。
幻妖でなかったなら、あんな大万馬券を的中させられるはずもなく、初対面のおれに向かって「そんなに痩せちゃって…」なんて、以前のおれのことを知っているような口を利く説明がつかない。
何故、見ず知らずの少女チグサにおれは感情移入してしまったのだろうか?
それは、チグサがおれに似ているから?

また土曜がやってきた。
おれは中山競馬場にいる。競馬場にはウマに夢を託す多くの人が一喜一憂している。先週、おれはここで大万馬券を的中させた。ついているおれは、今週も大きな馬券を取れそうな気がしていた。
しかし、幸運は二週連続はやってこない。
そろそろ潮時だと思ったその時。

チグサ!!!

バンビのように痩せた身体をブルージーンズにダボッとした白いトレーナーに身を包んだ少女がトコトコ歩いている。
その後ろ姿はチグサに似ている? しばらくおれはその姿を眺めていた。少女は人混みに紛れ消えそうだ。
あれは、チグサだ、、チグサ!!

おれは狂ったように少女に向かって走るとその肩口をポンと叩いた。

「おい! チグサではないか?!」

少女ではなかった。
その顔は20代半ば過ぎに見える。女はまるでおれを痴漢を見るような不快そうな目で睨みつけた。

「あ、ごめんなさい! 人違いです」
おれは平謝りするしかない。

その日は何の収穫もないまま帰途。あのオケラ街道を西船橋に向かってトボトボと背中を丸めて歩く。大万馬券を的中させた先週はここを颯爽と歩いていたのに。
そして、あの場所が近付いた。
先週、颯爽とここを歩いていると、そこにチグサがバンビのように蹲っていた。おれは気になってチグサを拾ったのだ。
もしかしたら、今週もそこで蹲っているのではないか?と、その周囲に目をやったがいるのは競馬場でオケラになった冴えない男ばかりだ。チグサの姿はない。

何故、おれはチグサの幻ばかりを追っているのだろうか?
チグサがおれに纏わり付いて離れない。、纏わり付いているのはおれの方か? 自嘲気味の笑みを浮かべた。もう、チグサのことは忘れよう…。このまま西船橋駅前の焼き鳥屋で飲もう。。。

しばらく歩いていると、背後に人の気配を感じる。真後ろに歩かれると良い気分がしないものだ。おれは避けて道を譲ろうとしたその時だった。背後の人物が小走りに近付いてきたように感じる。すると、いきなり後ろから両目を塞がれた。
驚いたおれはそれを振り払おうとする。

うしろの正面、だーれだ?」

、チ、チグサ!!!

その声は紛れもなくチグサのもの。
振り返ると那須野千草がニッコリと微笑んでいた。

(続)