オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

横田滋さん

北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父、横田滋さんが亡くなられました。

胸が詰まる・・・。


きっと、最期の一瞬まで娘のことを思い、会いたい、、微かな希望をも捨てず亡くなったのでしょうね。
無念だったろうな、悔しかったろうな、、どうして自分の娘が...と、周囲のありふれた幸福に暮らす人たちを見て、世の中を恨んだことだってあったことでしょう。人間だもの、それは当たり前の感情。

ところが・・・。
記憶するところ、横田滋さんが声を荒げたり取り乱す姿は見たことがなかった。
いつも、涙を押し隠すように静かな笑みを浮かべていた。
ただひたすら「娘をかえしてほしい」と、切実に訴え続けてきた。
40年以上ですよ!
堪えがたかったでしょう。心痛に血の涙を流す思いだったことでしょう。


こんなことを言うとあれですが...

小泉元首相が初訪朝した際、死亡と聞かされた時の姿は忘れられない。
そして、遺骨が帰ってくるのだけど、DNA鑑定をすると他人のものであった。そんなすぐに分かってしまうウソを、国家ぐるみ?でやっていることが信じられない。

“日本は死んだ人間を返せというのか? 遺骨は洪水で流された...”

この言い訳。
それじゃ、なぜ偽の遺骨を返したのか? そんな都合のいいウソがあるもんか!と言う人も多かったが、内心、治水も満足に出来ていないあの国じゃ、本当かも知れない...と、感じた人もいたに違いない。
だからと言って「はい、そうですか」なんて口が避けても言っちゃだめ。


子に先立たれた親ほど悲しいものはない。しかし、忘れることはなくとも、時がそれを薄れさせ、思い出の中で生きていくことは出来るでしょう?
しかし、すぐ近くの国で、ツラい思いで暮らしているかもしれない娘。その生死さえ分からない。
想像することしか出来ないが、これは本当に本当に生き地獄だと思う。
そんな日々を40年以上も送ってきた横田滋さん、どんな思いで最期を迎えたのだろうか?


娘を思う父親の姿。
娘の無事を願い、返してほしいと必死に訴え続けてきた横田滋さん。
あの誠実な姿は忘れられないし、忘れてはいけないと、胸に刻んでおこう。

そして、私のような者が言及するのも無責任な話しですが、めぐみさんの母、早紀江さんの今後も心配です。
最後まで希望を捨てず、、いつかめぐみさんと再会し、滋さんの墓前に報告出来たらいいですね。


横田滋さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。