オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

名馬 Memories アイドル編 夜明け前

王者編、怪物編、天才編に続き、今回からアイドル編といきます。

アイドル?
どうしても芸能界アイドルを連想し、一部?(私も..)に、あまり好いイメージを持たない人もいるかと思いますが、名馬でのアイドルは違う意味合い。


『多くのファンに愛された存在。
成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍した名馬。』


まだ、競馬場が鉄火場だった時代。
私が競馬に興味を持つ、、否、生まれるずっと以前から活躍した馬の中にも、多くの人気馬は存在しました。

強さ=人気だったのかな?

きっと、女傑クリフジ等は人気があったであろうし、初代3冠馬セントライトも、それなりに人気があったのでしょうね?

幻の馬トキノミノルは、そのドラマチックな生涯から大変な人気であったそうで「初出走以来10戦10勝、目指すダービーに勝って忽然と死んでいったが、あれはダービーに勝つために生まれてきた幻の馬だ」
という、作家吉屋信子さんが毎日新聞に寄稿した文章はあまりにも有名です。
この馬は『幻の馬』というタイトルで映画にもなり、元祖アイドルホースであったかもしれませんね。

日本競馬史上最高峰の名馬、シンザンも大変な人気があったでしょうし、先輩競馬ファンからは、メイズイの人気も度々聞かされてきました。

でも、それは競馬サークル内限定の人気ではなかったでしょうか?
競馬というスポーツは、まだまだマイナーであって、鉄火場のイメージが付き纏っていたと思うのです。
とは云っても、私の知らない時代。多くを語る資格は私にはありません。
ただ、シンザンは競馬界夜明けのために、黙々とその大地を耕していたであろうことは想像できます。


1971年。
ひとりの少女が歌手デビューします。

南沙織

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私の記憶するところ “アイドル” という言葉が一般的になったのは、この南沙織からだと認識しています。
それ以前は、青春スターと言っていたのかな? 60年代のグループサウンズや、後のジャニーズ、フォーリーブスにしても、アイドルという呼ばれ方はしていなかったと思う。
南沙織から始まり、天地真理新御三家麻丘めぐみ、花の高三トリオ等に続く。それがアイドルの始まりだったのかな? 芸能界のことはあまり詳しくありません。

そんな時代に活躍していた人気馬に、私が歴代で最も愛していたアカネテンリュウがいました。
はっきり憶えています。アイドルという言葉が一般的になった、当時最も人気があったアカネテンリュウのことを、アイドル的存在と紹介した記事を。報知新聞だと記憶します。

いやぁ~!
アカネテンリュウは人気あったなぁ。
二年間に渡るスピードシンボリとの有馬記念は、有馬記念史上屈指の名勝負であったと思うし、そんな有馬記念ファン投票でも2年連続1位になった程の人気。
王者スピードシンボリに挑む若きアカネテンリュウの姿に、ファンは感情移入したのだと思う。
アカネテンリュウの登場により、鉄火場であった競馬場に、少し光が射したように感じます。

私の(知っている)中では、日本における元祖アイドルホースはアカネテンリュウだと認識しています。

なぜか、アカネテンリュウを思い出す時、私は南沙織のことも同時に思い出すのです(笑)。彼女もまた、私が最初に好きになったアイドル歌手だったからです。


競馬界がメジャーになる夜明け前。

アカネテンリュウが引退した翌年に、とんでもない馬が地方から中央へやってきます。


King of Idol 大本命。

ハイセイコーの登場です。

次回に続きます。