オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

幻馬伝 『一徹 vs 段平』(中編)

暖簾を潜り抜けこちらに怖い顔で向かって来る男を見たとき、段平は一瞬鬼面を被っているのかと思った。

「き、きさまぁ~! こんなところで愉快そうにいい気なもんだな!」

段平はその男が馬券発売所で「タケホープタケホープ、、」と呟いていたのを思い出した。この男のおかげで段平は美味しいお酒にありつけたのだ。

 

「旦那もタケホープで大儲けですか? わしも旦那の独り言でこの通り愉快にやってます。へへへ」

「なんだとぉ! おのれはタケホープを買ったのか? 絶対来んと言っておったではないか! き、貴様のせいでわしは帰りの電車賃しか残っておらん。騙しおったな、この詐欺海坊主!」

「へ? 旦那は自分が信じたタケホープ買わなかったんですかい? 他人の言葉に惑わされちゃ、旦那、あまりにも信念がなさすぎですぜ...」

「き、貴様は野球の精神というものを知らんのか!チームワークというのは信頼関係が大切なんじゃ! 」

一徹はそう言うと、段平の胸ぐらを掴み殴り掛からん勢いだ。

「へへへ、嫌ですぜ旦那。わしゃ野球知らんし、旦那とはチームメイトでも何でもありません。それにわしは拳闘をやってたんで、それは相手との駆け引き騙し合いが大切なんで...」

「なんだ? お主は拳闘をするのか?」

一徹は段平にただならぬものを感じ、
掴んだ胸ぐらから手を引っ込めた。殴り合いになればのされてしまう。

カウンターのマスターは、そんな大声で怒鳴り合っている二人を、どっちも理屈に合わないことを言い合っていきなり野球だの拳闘だの意味不明だろ。アホじゃないか?と思ったが、立ったまま怒鳴っている一徹に目を向けた。

「お客さん、他のお客さんの迷惑になりますから静かにお座り下さい」

「う、うむ! わしはこの海坊主のせいで金が無い。失礼する」

肩を落として帰ろうとする無愛想な鬼面男の後ろ姿を見て、段平は少しかわいそうになってきた。

「待ちなよ旦那。ほれほれ、わしの隣に座って飲んで行きなよ。旦那のおかげでうまい酒が飲めるんだ。さ、さ、奢るから遠慮せずに...」

「何だと! 貴様はわしを憐れむのか?
おのれの様な海坊主に酒を恵んでもらうほど落ちぶれちゃおらん!」

段平は激昂する一徹に向かってニッコリすると、生ビールを隣の席にドンっと置いた。まぐろぶつとイカフライも追加したようだ。

一徹は我慢出来なかった。

 

「それじゃ、ちょっとだけ付合うことにする。娘(明子)がうるさいんで、あまる長居出来ないがな...」

一徹は実直で真面目人間。おまけに怖い顔に無口なのでいつも独り酒で飲む相手がいない。段平も怖い顔だが自由奔放のおしゃべり。でも、からみ酒のせいか?誰も近寄ってこない。

そんな奇人二人は飲み相手が出来て意気投合。寂しい男なのだ。
お互い友が出来て?嬉しそうだ。

 

知らぬ同士が 小皿叩いて ♪

 チャンチキおけさおけさ切なや♫


気が付くと、段平が店の小皿叩いて三波春夫の『チャンチキおけさ』を歌っている。それを仏頂面で聞いていた一徹だが、時間が経つに連れ口数が多くなってきた。いつも無口で自制心の塊である一徹は、酒が入ると意外とよく喋る。ストレスが溜まっていたのだろう。本当に愉快そうだ。

エゴイストで友のない二人が、お互いに肩を組んで歌っている。


「ところで旦那、何でタケホープが勝つって独り言呟いてたんで? 普通ならハイセイコーが勝つと思うのに」

「ふふふ。ハイセイコーを買っても儲けにならん。それに、タケホープの姉(タケフブキ)は、去年のオークスに勝っておる。鞍上はタケホープと同じ嶋田功じゃ。嶋田は先週のオークスでもナスノチグサで勝っておるんじゃ。府中の、あのコースを熟知しておる。それに、何と言っても父インディアナステイヤーの血が騒ぐと思っとった」

段平は自慢げに自説を主張する一徹の話をニヤけながら聞いていた。
(なのに、なぜわしの適当なインチキ情報を真に受けたのだ?)


今度は段平が語った。

「旦那は大井時代のハイセイコーの走りを観たことあるかい?」

「ない!」

「そうですかい。あれは地方の怪物という触れ込みで中央にやってきたが、正真正銘のバケモノさ! いくらステイヤーの血が騒いでも、まともならタケホープ如き相手にならない」

「大井はダートじゃろ? いくら向こうでバケモノでも、芝とダートじゃ適正が違ってくるんじゃ。距離もハイセイコーには長い。さすが海坊主!競馬は素人のようじゃな。ワッハッハ!」

段平は初対面の相手に海坊主と何度も言われ、このオヤジだってナマハゲのくせに...と思ったのだが、それは我慢して黙っていた。

「いや、芝適正、距離のことを差し引いてもハイセイコーは強い。増沢も悪くないけど、今日のレースにサブロー(高橋三郎)が乗ってたら勝ったな...」

一徹も段平も自説を主張して絶対譲らない。お互い奇人なので誰も近寄って来ない遠心力あるタイプなので、久しぶりの話し相手に愉快だった。

時間も忘れベロンベロンに酔った。

「旦那! もう一軒付き合ってくれないかな。娘さんに叱られるかい?」

「娘なんか怖がっておらん!わしはいいけど、金は大丈夫かな?」

「なぁーに! 宵越しの金は持たんタイプさ。今夜はとことん飲もう」

 

時は50年前なのだ。

競馬史において、ハイセイコー以前と以降に分けることはよくある。

まだ、競馬場が鉄火場だった時代。
一徹や段平のような男はそこら中に存在した。いずれ淘汰される男たち。


肩を組んで浅草ホッピー通りを練り歩く奇人ふたり。
一徹と段平の夜はこれからだ。

(続)