何十年ぶりだろうか?
南千住は山谷にこうして降り立つのは? すべてが懐かしい...。
通称ドヤ街。
その変貌した姿は驚きだ。
「ねえちゃん! へへへ、見ない顔だね。どこへ行くんだい?」
“ねえちゃん” だなんて、もう50代も後半だというのに、ちょっぴり恥ずかしい。けど、この感じがドヤ街なのだ。
「おじさん、昼間っからお酒なんか飲んで、女をからかうんじゃないよ。」
サチは三十数年ぶりに、懐かしいドヤ街に足を踏み入れた。ジョーや段平のおっちゃんと過ごした日々。この街に、追想の旅に訪れたのだ。
貧困、スラム、治安の悪さ、アルコール依存症、日雇い労働者の街...。
そんな暗いイメージがあった。かつて、サチたちが暮らした街。ここがあのドヤ街なのだろうか?
確かに街の雰囲気は、今でも退廃的でわけありな浮浪者風の人が散見される。でも、何かが違うのだ。
コンビニ、マンション、舗装された道路。生活の匂いがしない。
様変わりした街に戸惑うサチ。
遠いあの頃の想いに浸りながら、しばらく歩いていると、懐かしいあの場所に辿り着いた。
『泪橋』
その変わりように目を見張った。
サチはここで過ごした日々を思い出すと、、胸に迫るものがあった。
「泪橋を逆に渡っていこう」
サチの人生は、ジョーや段平のおっちゃん、マンモス西がそうであったように、そこから抜け出すことが最大の目標であった。
泪橋は長い時を経て「泪橋」という名の交差点となり、現在橋はなく、当然丹下拳闘クラブもない。
(実際は川もないのだが...)
ジョーの後ろ姿が見える...。
しかし、それはサチの思い出の中のジョーの姿だった。
力石、カーロス、メンドーサ等と戦うため、必死に走っている矢吹ジョーの残像だった。
現実の泪橋の風景は、多くの車が行き交う、ただの交差点に過ぎない。
サチは大きくため息をついた。
泪橋を後にした。
サチたちが暮らしたドヤ街もすっかり宅地造成されきれいになっている。
ジョーと段平のおっちゃんが、よくトレーニングしていた思い出の玉姫公園。太郎やキノコたちとよく遊んだ場所は商店街になっている。
太郎、キノコ、トン吉、チュー吉...。
彼らは現在どうしているのだろうか?
もう、還暦になるのかも。
泪橋を逆に渡ることは出来たのだろうか? ずっと気になっていたことだ。
サチは今回の旅で、かつてのちびっこ軍団の仲間誰かと、偶然にでも会わないかな、、と、期待していた。
しかし、会ったとしても誰だか分からず気が付かないだろう。彼らもジョーの生き方に影響され、どこかで逞しく生きていると信じたい。
サチは尚も故郷を散策する。
時代が変わっても、かつての名残があるのだろう。現在でもこの街は、やはり、ホームレスや酔っ払いの姿が目立つ。彼らは皆、明日への希望を失ったような虚ろな目をしている。
今日の仕事はつらかった
あとは焼酎をあおるだけ♫
どうせどうせ山谷のドヤ住まい
他にやることありゃしねえ♫
岡林信康の「山谷ブルース」が聞こえてきそうだ。
視線の先には文明の象徴、スカイツリーが見える。
サチはそれに違和感を覚えながらも、明日への希望の象徴になってほしいと願っている。いずれ、ホームレス達もこの山谷から追放、淘汰されることだろう。残酷だがそれが現実なのだ。
てくてく、、てくてくてく...。
サチは懐かしい故郷、山谷のドヤ街を歩き回る。しかし、誰もサチに声をかける者はいない。
かつては、このドヤ街に暮らす住民の中でも、一番有名だったサチ。「じゃじゃ馬娘」なんて言う者もいた。
それも仕方ない。
サチがこの街を出たのは20才前。どうにか高校を卒業して、泪橋を逆に渡るべく、この地を去ったのだ。あれから30年以上? 否、40年近く経っているのかもしれない。
生まれ故郷、この街への追想旅。
その最大の目的地に着いた。
マンモス西と、林紀子の住む乾物屋。
「林食料品店」
予想通りだった。もう、そこにはあの店はなく、立派なマンションが建っていた。サチがこの街を去って行く日、二人は上野の駅まで見送ってくれた。
もう、時代の波に呑まれ、店は閉めてしまったのだろうか?それとも...。
あの頃...。
この貧民街に生まれたサチは、太郎、キノコ、トン吉、チュー吉らと、毎日刺激のない日々を送っていた。
そんな時に颯爽と現れたのが、流れ者ジョーだった。
色々なことがあったなぁ...。
乾物屋の紀子ちゃんは、そんなジョーに思いを寄せていたと思う。
それから、白木葉子というお嬢さんもジョーのことが好きだったのだろう。
当時は幼かったとはいえ、同じ女だもの。気が付かないわけがない。ちょっぴり嫉妬もした。
そんな女心を知ってか知らずか? ジョーは狼のように目的に向かうだけ。
ジョーはサチにはやさしかったなぁ。
サチにとって、ジョーは初恋の人だったのかもしれない。
今でも忘れられない。
林紀子とマンモス西は、今でも幸せに暮らしているのだろうか?
そして、懐かしいドヤ街の面々は?
様々な思いを残し、サチはドヤ街を後にしようとしていた。
サチは現在、関西の方で平凡に暮らしている。
来月になると孫もできる。
さようなら、ドヤ街。泪橋。
もう、二度とこの地に訪れることはないだろう。
ふと・・・。
背後に誰かの視線を感じる。
矢吹ジョーと丹下段平のおっちゃんがいたように感じた。
二人は
「サチ! 頑張れよ...」
と、言っていたような気がした。
ー 終 ー
以上は私の妄想です。
“あしたのジョー” は、私の最も好きだった漫画でした。
真っ白に燃え尽きたきり、その後(続編)が発表されないところがいい。
想像力をかき立てられます。