オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

あしたのジョー、そして、サチ。

何十年ぶりだろうか?
南千住は山谷にこうして降り立つのは? すべてが懐かしい...。
通称ドヤ街。
その変貌した姿は驚きだ。


「ねえちゃん! へへへ、見ない顔だね。どこへ行くんだい?」

“ねえちゃん” だなんて、もう50代も後半だというのに、ちょっぴり恥ずかしい。けど、この感じがドヤ街なのだ。

「おじさん、昼間っからお酒なんか飲んで、女をからかうんじゃないよ。」


サチは三十数年ぶりに、懐かしいドヤ街に足を踏み入れた。ジョーや段平のおっちゃんと過ごした日々。この街に、追想の旅に訪れたのだ。
貧困、スラム、治安の悪さ、アルコール依存症、日雇い労働者の街...。
そんな暗いイメージがあった。かつて、サチたちが暮らした街。ここがあのドヤ街なのだろうか?
確かに街の雰囲気は、今でも退廃的でわけありな浮浪者風の人が散見される。でも、何かが違うのだ。
コンビニ、マンション、舗装された道路。生活の匂いがしない。

f:id:okeraman:20200918042419j:plain

様変わりした街に戸惑うサチ。
遠いあの頃の想いに浸りながら、しばらく歩いていると、懐かしいあの場所に辿り着いた。


泪橋

その変わりように目を見張った。
サチはここで過ごした日々を思い出すと、、胸に迫るものがあった。

泪橋を逆に渡っていこう」

サチの人生は、ジョーや段平のおっちゃん、マンモス西がそうであったように、そこから抜け出すことが最大の目標であった。
泪橋は長い時を経て「泪橋」という名の交差点となり、現在橋はなく、当然丹下拳闘クラブもない。
(実際は川もないのだが...)


ジョーの後ろ姿が見える...。

しかし、それはサチの思い出の中のジョーの姿だった。
力石、カーロス、メンドーサ等と戦うため、必死に走っている矢吹ジョーの残像だった。
現実の泪橋の風景は、多くの車が行き交う、ただの交差点に過ぎない。

f:id:okeraman:20200918042438j:plain

サチは大きくため息をついた。

泪橋を後にした。
サチたちが暮らしたドヤ街もすっかり宅地造成されきれいになっている。
ジョーと段平のおっちゃんが、よくトレーニングしていた思い出の玉姫公園。太郎やキノコたちとよく遊んだ場所は商店街になっている。

太郎、キノコ、トン吉、チュー吉...。

彼らは現在どうしているのだろうか?
もう、還暦になるのかも。
泪橋を逆に渡ることは出来たのだろうか? ずっと気になっていたことだ。
サチは今回の旅で、かつてのちびっこ軍団の仲間誰かと、偶然にでも会わないかな、、と、期待していた。
しかし、会ったとしても誰だか分からず気が付かないだろう。彼らもジョーの生き方に影響され、どこかで逞しく生きていると信じたい。


サチは尚も故郷を散策する。
時代が変わっても、かつての名残があるのだろう。現在でもこの街は、やはり、ホームレスや酔っ払いの姿が目立つ。彼らは皆、明日への希望を失ったような虚ろな目をしている。


今日の仕事はつらかった
 あとは焼酎をあおるだけ♫
  どうせどうせ山谷のドヤ住まい
   他にやることありゃしねえ♫

岡林信康の「山谷ブルース」が聞こえてきそうだ。


視線の先には文明の象徴、スカイツリーが見える。
サチはそれに違和感を覚えながらも、明日への希望の象徴になってほしいと願っている。いずれ、ホームレス達もこの山谷から追放、淘汰されることだろう。残酷だがそれが現実なのだ。


てくてく、、てくてくてく...。

サチは懐かしい故郷、山谷のドヤ街を歩き回る。しかし、誰もサチに声をかける者はいない。
かつては、このドヤ街に暮らす住民の中でも、一番有名だったサチ。「じゃじゃ馬娘」なんて言う者もいた。

それも仕方ない。
サチがこの街を出たのは20才前。どうにか高校を卒業して、泪橋を逆に渡るべく、この地を去ったのだ。あれから30年以上? 否、40年近く経っているのかもしれない。


生まれ故郷、この街への追想旅。
その最大の目的地に着いた。

マンモス西と、林紀子の住む乾物屋。
「林食料品店」
予想通りだった。もう、そこにはあの店はなく、立派なマンションが建っていた。サチがこの街を去って行く日、二人は上野の駅まで見送ってくれた。
もう、時代の波に呑まれ、店は閉めてしまったのだろうか?それとも...。


あの頃...。
この貧民街に生まれたサチは、太郎、キノコ、トン吉、チュー吉らと、毎日刺激のない日々を送っていた。
そんな時に颯爽と現れたのが、流れ者ジョーだった。

色々なことがあったなぁ...。

乾物屋の紀子ちゃんは、そんなジョーに思いを寄せていたと思う。
それから、白木葉子というお嬢さんもジョーのことが好きだったのだろう。
当時は幼かったとはいえ、同じ女だもの。気が付かないわけがない。ちょっぴり嫉妬もした。
そんな女心を知ってか知らずか? ジョーは狼のように目的に向かうだけ。

ジョーはサチにはやさしかったなぁ。
サチにとって、ジョーは初恋の人だったのかもしれない。
今でも忘れられない。


林紀子とマンモス西は、今でも幸せに暮らしているのだろうか?
そして、懐かしいドヤ街の面々は?

様々な思いを残し、サチはドヤ街を後にしようとしていた。
サチは現在、関西の方で平凡に暮らしている。
来月になると孫もできる。


さようなら、ドヤ街。泪橋
もう、二度とこの地に訪れることはないだろう。


ふと・・・。
背後に誰かの視線を感じる。

矢吹ジョーと丹下段平のおっちゃんがいたように感じた。

二人は
「サチ! 頑張れよ...」
と、言っていたような気がした。

       ー 終 ー

     

以上は私の妄想です。
あしたのジョー” は、私の最も好きだった漫画でした。

真っ白に燃え尽きたきり、その後(続編)が発表されないところがいい。
想像力をかき立てられます。

おでん屋台の想念

昨夜は久々におでんを食べた。

数日前までは熱中症で死ぬかと思うほど暑かったですからね。おでんなんて想像するのも暑苦しい。
それが、雨模様で急に涼しくなり、私は鍋が恋しくなったのです。

鍋というと、最初に思いつくのは?
若い頃なら圧倒的にすき焼きでしょうね。それから、鶏鍋、もつ鍋、ちゃんこ鍋等々...。
そろそろ、おじいちゃんに近い歳になると(既にじいさん?)、それが、湯豆腐やおでんになるんですよ。
湯豆腐を肴に熱燗でキュッとやるのは至福の時間だけど、まだ早いですね。もう少し寒くならないと。

おでんは安定感がある。
肉や魚介類等のような、突出して旨いネタはないけれど、どれも安定して旨い。食べていて飽きないし、胃の負担も少なく安心感がある。つまり、庶民の味なんですよ。

おでんって、地味な存在なのだから、高級な具や変わり種はいらないんですよ。牛筋? ロールキャベツ? トマト? 厚焼き卵? スゴいのになると、蟹やチーズまで入れる人がいる。それは、もはや、おでんではないだろう?
昔からある、伝統的な定番ネタで充分です。あ!チクワはいいけど、チクワブはいけません。あれだけは赦せません(笑)。

がんもどきは旨い!
ツミレ(鰯)も美味しいよね?
揚げボールだって地味ながら旨い。
若い頃は興味がなかった昆布や糸コンニャクも味わい深い。
大根、タマゴは言わずもがなですね。

f:id:okeraman:20200913053935j:plain


そういえば、近頃見かけないネタがあります。子供の頃は身近だった、大好きだったネタ。カレー粉が入ったひとくち大のボール状の練り物。
懐かしい “カレーボール” はどこへ?
調べると、東京下町の定番であって、全国的にはあまり知られていないタネだそうですね。最近じゃ、そんな下町でも売ってない。美味しいのに残念。


東京下町と、おでんの関係。
そこからの想念。。。

時代はどんどん変わり、地味なおでんもコンビニで扱われるようになり、これが悔しいけど旨い。ネタの種類も豊富になり、ポップでオシャレなおでん屋も増えてきました。


違うだろ!

こう言っちゃ叱られそうだが、わざと言ってるのでご容赦を。

本来、おでんなんて貧乏くさく、横には日本酒一升瓶が置いてあり、冴えないオヤジたちがくだを巻き、泣きながら食うものだろう?
おでんを食う男の背中には、哀愁が漂ってなきゃいけません。
「イエーイ!」とか、「キャー!」なんて叫ぶ、明るい若い男女が食べるもんじゃございません。
シミジミと、熱燗と一緒に食べるものでございます。


おでんが一番似合うのは屋台です。

ここで、先日書いた記事。
「一人旅のファンタジー」と、似たシチュエーションになります。
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2020/08/29/095443


私はおでん屋台の似合う男になりたいとずっと思っていた。
若い頃は似合わないですからね。

季節は北風の吹く冬。
終電で降りた駅は東京下町だった。
おれはコートの襟を立て、白い息を吐きながら疲れた身体でふらついている。手がかじかんで、両手をコートのポケットに突っ込み背中を丸め歩く。

先方のガード下に灯が見える。どうやら屋台のようだ。おれは “ちょっと寄って行くか...” と呟き、その屋台に飛び込んだ。おでん屋台のようだ。

「おやじ、今夜は冷えるな。お酒、燗を浸けてくれ、熱くな。」

「ヘイ!」

「それからおでんは、大根、がんもどき、コンニャク、チクワな。」

「ヘイ! かしこまりました。」


おでん屋台のおやじは、無口でなくちゃいけない。客に愛想をふるなんてことは、間違ってもあっちゃいけない。黙々と仕事をしている姿が美しいのだ。
静かにBGMが流れている。

藤圭子「新宿の女」
ちあきなおみ喝采

私の他に客はふたり。
丹下段平に似た男が台に突っ伏して眠っている? 星一徹に似た男が、黙々と恐い顔で飲んでいる。

電車が “ゴトン ゴトン ゴトン” と通る度にガード下が揺れる。

遠くの方で、犬が「ウオオオーン!」と吠えている。

まるで「大阪で生まれた女」じゃないが、電信柱に沁みたような夜だ。

おれも少し酔ってきたようだ...。


どうでしょうか?
この感じ。
私の人生の行き着く先は、このおでん屋台のように静かでありたい。
そんなことを感傷的に想念しながら、私の感情は失禁するのであった。

これこそ、本来あるべき「おでん」の姿なのです(笑)。


このまま涼しくなっていくのかな?
鍋の季節ですね。
おでんを食べましょう!

ん?
それから、さっき、鍋で最初に思い浮かべるのは、おでんか湯豆腐と述べましたが、やっぱりすき焼きだな(笑)。

肉はやっぱり強い。

アカネテンリュウの思い出。

赤いリンゴに 口びるよせて ♪
   だまってみている 青い空♪

敗戦後の日本の心象風景を象徴する並木路子の歌う「リンゴの唄」は、焼け跡のBGMとして、敗戦後の人々を勇気づけ大ヒットしたそうですね。
私はこの曲を聞くと、なぜか一頭の名馬を思い出す。

アカネテンリュウはリンゴが大好きだったそうです。

赤いリンゴと、青い空=テンリュウ(天龍)のイメージから、そう感じたのかもしれません。もし、競走馬に入場曲があるのなら、私は絶対に「リンゴの唄」を推します(笑)。
馬といえば、ニンジンやリンゴが大好物だというイメージがありますが、アカネテンリュウほど、そのリンゴ好きが報じられた馬もいません。
腸閉塞で20年の生涯を閉じた後も、埋葬された場所には、いつも大好物だったリンゴが供えられていたという。


実は、競馬に興味を持ち始めて、私が最初に好きになった馬がアカネテンリュウだったのです。
初恋と同じですよ、最初に好きになった存在は忘れられない。その後、現在に至るまで半世紀、、数え切れないほどの名馬を見てきました。

「あなたが今まで見て来た中で、一番好きだった馬は?」

私は躊躇なく「アカネテンリュウ」と答えます。否、答えるようにしています。それが、私を競馬というロマンの世界に導いてくれた礼儀だから。

「夏の上がり馬」
「戦後最大の上がり馬」

アカネテンリュウの代名詞ですね。

3歳(旧表記4歳)春季までは下級馬でしたが、夏の函館開催から急成長を遂げ菊花賞へ。
あの菊花賞は右によれ左によれながらも、リキエイカン以下を4馬身ちぎって優勝。あれは興奮しましたね...。
好きな馬のレースを観て、心臓も爆発せんばかりにドキドキする経験は、アカネテンリュウから始まりました。
それ以降、私はアカネテンリュウを追い続けることになります。彼と出会わなければ、こんなに競馬に夢中にならなかったかもしれません。


菊花賞優勝後、その勢いのまま、アカネテンリュウ有馬記念へ。
古馬に挑むわけですが、当時は3歳(旧表記4歳)で有馬記念に挑むのは無謀?との声もありましたが、王者スピードシンボリとハナ差の接戦を演じ惜しくも2着。負けて強し!の印象。
そのスピードシンボリとは、翌年の有馬記念でも一騎打ちとなり、またまた惜しくも2着...。
スピードシンボリ、、憎たらしい馬だったなぁ、、、最初に嫌いになった馬です(笑)。

現役時代のアカネテンリュウは、野武士とのニックネームがありましたが、そんなイメージはなかったな。
関係者が心配してしまうほど人懐っこく寂しがりやで、人の姿が見えるとせわしなく「こっちへ来い!」と、前がきをするのだそうです。
また、音楽が好きで馬房にはラジカセか何か?で、常に音楽が流れていたそうです。音楽が止まると、流せ、流せ!と、催促するほどだったそうです。きっと、賑やかな場所が好きだったのでしょうね。


アカネテンリュウが主に活躍した時代は、68年から約3年半。
私が小学校高学年から中学にかけて。あの当時は、まだまだ競馬=賭博のイメージが強く、世間の目は冷たいものがありました。競馬場は鉄火場だったのです。

小学生が競馬のアカネテンリュウが好き♪ だなんて言えますか?

周囲の同級生にも言えず、当然、誰も競馬なんて興味がなかった。
大っぴらに競馬の話が出来るようになるのは、アカネテンリュウ引退の翌年。あの、ハイセイコーの登場まで待たなくてはなりません。
(とは言っても、中学生が競馬の話をすれば変な目で見られました...)


アカネテンリュウは野武士と言われていただけに頑丈な馬でしたね。
長距離に適正のある馬で、斤量や重馬場も苦にしない馬でした。
チャイナロック
この産駒は異常に頑丈な馬が多く、観ていても絶対に故障しないな...という安心感がありました。
タケシバオーハイセイコー、そして、国際G1レースも走ったツキサムホマレ等もそうでした。


アカネテンリュウは底力のある馬でした。ステイヤー特有の、やや決め手に欠ける点や、ズブい面もありましたが、あまりにもタフだったせいか?きついローテでも耐えてしまう。それが仇になってしまったのかな? 目標とするレースを定め、もう少しゆったりとしたローテを組めば、天皇賞有馬記念をどこかできっと勝っていたでしょう。

アカネテンリュウはファンの多い馬でした。その証拠に、有馬記念ファン投票で2年連続1位になっている。これは、アカネテンリュウ以外は数えるほどしかいません(ウオッカは3年連続)。
ハイセイコー以前に、唯一? アイドルホースと、スポーツ紙に記載された馬だったと記憶しています。


1972年、春の天皇賞を最後(ベルワイドの3着)に、アカネテンリュウはターフを去ります。
まだ、少年だった私は、アカネテンリュウを追うことによって競馬の面白さを知りました。寂しかったですね...。

しかし!
競馬に興味は失わなかった。

アカネテンリュウ去った後のターフに、新たなヒーローが登場した。

イシノヒカル
この馬もアカネテンリュウと同じように、春シーズンはもう一歩足りない馬でした。
秋に本格化すると、菊花賞を制し、そのまま3歳(旧表記4歳)の身で有馬記念に挑戦。アカネテンリュウが成し得なかった3歳でのグランプリ制覇達成。
この時、立ちはだかった古馬の代表は、アカネテンリュウと同期のメジロアサマでした。そう、メジロマックイーンの祖父ですね。

私の気持ちは、引退するアカネテンリュウから、若きイシノヒカルへ。
イシノヒカルは、残念ながら故障で、その後は活躍することは出来ませんでしたが、翌年ハイセイコーが登場し、更に後年TTGが登場することになります。

一頭の名馬が去れば、次から次へと、新たなヒーロー(ヒロイン)が登場するのが競馬です。

これじゃ、やめられませんね・・・。


アカネテンリュウがいたからこそ、現在の馬バカである私がいます(笑)。


競馬ファンならば。
誰でも、私のアカネテンリュウ的存在を心に抱えている。

一人旅のファンタジー。

てくてく てくてくと...。

オケラ街道を歩いている時のことでございます。向こうの方から見知った顔がやってきました。こいつが、ちょいと煩い、、否、面倒な要注意人物。


「へへへ、オケラ街道の旦那。来週、北海道へ旅に出るんですって?」

「・・・」

「あっしもね、ちょいと暇なもんで、ご一緒出来ねえかな?と、思いましてねぇ...」

「・・・」

「どうせ、オケラの旦那のことですから、馬を追って、札幌の競馬場が目的なんでございましょ?」


「あっしは、旅の道連れは勘弁してるんで、、独りにしてやっておくんなさい。」


「・・・ 旦那! 来週札幌開催のレース、耳寄りの情報がありまして、お役に立てると思いやすぜ...」


「それでは、先を急ぎやすんで失礼致しやす。道中ご無事で。」

「・・・」


このように、旅(旅行)っていうのは、一人旅に限りますね。
まぁ、一緒に旅に出るような親しい友も少ない私ですが、例えいても同行はご遠慮願いたい。
私にとって旅とは、競馬場と馬がセットで、一日中競馬場にいるのが基本。そして、夜はネオン街に消え、土地の名産に舌鼓を打つのが極上の楽しみ。

「せっかくここまで来たんだから、馬券だけ買ったら観光地へ行こうぜ...」

昔、グループ(4人)で京都の旅に行った時のこと。そう言って、私の行動を規制しようとした奴がいた。
これだから、旅の道連れがいると面倒くさい。
私は観光地はあまり興味がない。稀にあるところもあるが、あちこちまわるのが面倒で嫌なのだ。
旅は自由であるべきだ! グループ活動じゃあるまいし、行動規制されるのは我慢ならない。当然単独行動である。

まぁ、普通はグループで行けば、一緒に行動しようというのが当然であって、私が特殊で偏屈なのは自覚しています。だからこそ、極力、旅は一人と決めているのです。
こんな私ですから、団体での観光バス旅行なんて苦行以外の何物でもない。かつての農協団体のように、ゾロゾロと... ストレスMAXになりそう。

なんで凡人(私も凡人だが...)は、お土産屋さんが好きなのだろう?
あんなの、ちょこっと寄ればいい。

なんで、凡人は旅に出ると写真を撮りたがるのだろう?
景色や建築物はいい。集合写真嫌い!

ピース✌✌← これが赦せない(笑)。

写真撮る時のピース✌サイン。
あんな、カッコ悪いポーズ。義務教育を終えてから一度もやったことありません。あのノリが好きになれなくて、私の美意識が赦さない。

やっぱり、私は斜に構えた偏屈なひねくれ者なんですね(笑)・・・。


とは言え、旅は一人がいいと強がりを言ってみても、水戸の御老公一行の、うっかり八兵衛のような道先案内人がいれば楽しいかもしれませんね?
そして、一日の終わりに温泉に入り、なんとそこが混浴で、立ち上がる蒸気の向こうに、かげろうのお銀(由美かおる)がいたら、それもまた楽し。否、相当楽しいでしょうね(笑)。


私は基本的に、明るく健康的で清潔な観光地の大通りを大勢で闊歩するような旅には興味ないんですよ。

f:id:okeraman:20200829095554j:plain

つげ義春「やなぎ屋主人」より。


ちょっと暗く、危険な匂いのするような路地裏を、たった独りで、コートの襟を立て、両手をズボンのポケットに突っ込み俯き加減で徘徊する。
路地を抜けると港町があってね、粉雪がちょっとちらついている。
遠くの方に灯りが見えて、そこに行ってみると、山口いづみ似の美人女将が一人で居酒屋をやっている。

「女将さん、ぬる燗ね。肴は炙ったイカでいいよ...」

女将さんは無口で、灯りはぼんやりともっているだけ。私はそのまま、女将さんといい仲になって、そこに居着いてしまう。なんてね(笑)。
まぁ、そんな高倉健のようなわけにはいかないが、それが旅の理想ですね。


つげ義春の「やなぎ屋主人」という漫画をご存知だろうか?
そこに描かれている旅の切ない風景が、私の旅のイメージかもしれません。興味のある方は一読を。


何だかんだと、旅を感傷的に語りましたが、旅で一番感動するのは大自然の中に身を置いた時ですね。
自然は圧倒的だ! 全ての理屈がそこでは通用しない。

百恵vs聖子

あなたに 女の子のいちばん
 大切なものをあげるわ ♫
  小さな胸の 奥にしまった
    大切なものをあげるわ ♫


山口百恵の「ひと夏の経験」を初めて聞いた時の衝撃は忘れません。
これ程、青い性?を大胆にストレートに表現した曲はそれまでなかったんじゃないかな?
当時、山口百恵15才?
そりゃあ、びっくりしますよね? ある意味、奥村チヨの「恋の奴隷」に匹敵、否、山口百恵の年齢を考えれば、それ以上のインパクトでした。

百恵は私と同世代(学年)なのですが、15才当時の私なんて、マジンガーゼーット♪とか、デビルマーン♪なんて、無邪気に歌ってましたからね(笑)。
芸能界に入って演出されたものとはいえ、坊主頭の垢抜けない中学生だった私からすると、山口百恵は大人びていて眩しい存在でした。


こんな曲も歌ってましたね?

あなたが望むなら
 私何をされてもいいわ♫
  いけない娘だと
   噂されてもいい♫

こんな、親が聞いたら正気を失いそうな歌詞を、自己主張なく挑発的にもならず淡々と無表情で歌っていました。
無表情とはいっても能面ではなく、静かな笑みを浮かべており、この神秘性こそ山口百恵の個性、魅力なのかもしれません。

芸能界のモナリザ山口百恵のその後の活躍はご存知の通りです...。

f:id:okeraman:20200822053131j:plain


そして...
山口百恵、絶頂期のなか、映画「伊豆の踊子」等で共演した三浦友和とあっさり結婚してしまいました。まだ、21才の時です。
女性の自立が叫ばれ始めていた風潮のなか、結婚引退、専業主婦になるのは時代に逆行、封建的ではないのか?との批判も一部にありました。

そんな、批判の声に対して百恵は。

《世間に出て、活躍していくばかりが「自立」だとは決して思わない。男性社会のなかで突っ張って、女性の立場を叫ぶより、ふさわしい自立の道だってある。》 山口百恵「青い時」より。

山口百恵の結婚引退に賛否両論あるものの、彼女が偉かったのは、これ以降マスメディアの前に姿をさらすことは一度たりともなかった。
原節子もそうでしたが、その神秘性は
高まるばかりです。



山口百恵引退後、それに取って代わって登場したのが松田聖子でした。
私は同年齢である山口百恵には思い入れが多少あるけれど、嫌いではないが、松田聖子には理解し難いところがありました。

山口百恵松田聖子
ふたりの生き方はまったく対照的。
年齢からすると、もはや落ち着いた感のある百恵と、ブリっ子と言われた聖子。両者のイメージの差は何だろう?
調べてみると、ふたりの年齢は三つしか違わないのだ。
あの70年代末から、80年代初という時代は、女性の意識が変わる転換期だったのかもしれませんね?

松田聖子は保守的だった山口百恵とは対照的に、熱愛、破局、結婚、出産、離婚、再婚、子育て、愛人騒動 等々...と、スキャンダラスに自分の生き方を貫き、時代を駆け抜けてきました。
それがまた、彼女の人気の源となってきた稀有の存在です。
松田聖子は強くしたたかで、あのブリッ子にしても計算尽くであったような気もする。
まさにプロフェッショナル!

f:id:okeraman:20200822053200j:plain


山口百恵の生き方は「男の願望」
松田聖子は「女の願望」なのかもしれませんね。違うかな?
まぁ、良し悪しではなく、対照的ではあっても、ふたりとも自分の生き方を貫いてきたという点では共通するところがあると思うのです。


まぁ、老害と言われるのを承知で言うならば、山口百恵松田聖子というふたりのビッグタレントに較べれば、近頃流行り?の、グループ系アイドルなんて、あきんどが扱う商品に過ぎませんね。無個性にも程がある。
(ファンの人はごめんなさい)


ちなみに、私は山口百恵松田聖子のファンではありません。
南沙織桜田淳子キャンディーズのファンでありました。

キャンディーズの動画を観てごらんなさい。アイドルとしての格が、次元が全然違いますから(笑)。

ファンというものは、このように勝手なものなのです。

微睡む夏。

コロナ禍の中の夏(盆)休み。

例年なら海や山へ、、と、賑わう夏でございますが、今年は自粛でステイホームなのねん。


帰省
花火
イカ
盆踊り
かき氷
生ビール


吉田拓郎が歌ってたね。

麦わら帽子は もう消えた♫
田んぼの蛙は もう消えた♫
きれいな先生 もういない♫
それでも待ってる 夏休み♫


部屋に引きこもって、たまに本屋で時間をつぶし、蕎麦やラーメンを食べに行った夏休みでございました。


f:id:okeraman:20200817052550j:plain



コロナだけじゃないんだもの。

暑くて、熱中症になっちまうよ。

ゲリラ豪雨? カミナリ怖いよ。


そんな時は、だらぁ~っと、寝っ転がって、缶ビールで水分補給しながら、ゆるゆると好きな本でも読んでいるうちに、微睡むのでございます。
それが一番。


そんな夏休みでございました。


さて、日常に戻りましょう。

【怪談?】真夜中の電話☎

怪談と云っても、私は霊の存在なんて微塵も信じていないし、当然、霊体験も全くないのです。


しかし、あれだけは今でもよく分らない。


ニ十年以上前だろうか?
深夜零時は過ぎていたと思う。

リーン♪ リーン♪ リーン♪

深夜の電話は不吉でドキッとする。
誰だろう?...と、恐る恐る受話器を取った。

「もち、もち、、」
幼い声(男の子)が聞こえる。
「誰かな?...」
と、私はやさしく答えた。

男の子は電話の向こうから声がして安心したのか? その後は何を聞いても泣いているだけ。
お父さんは? お母さんは? と聞いても、要領を得ずただ泣いているだけなのだ。
こんな真夜中に3~4才だろうか? 知らない男の子から電話がかかってきて、何を聞いても泣いているだけ。私は少し気味の悪さを感じ、適当なことを言って電話を切ってしまった。
再びかかってくるのではないか?と、しばらく電話機を見つめていたが、その日はかかってくることはなかった。
“ ただの間違い電話だな・・・ ” と、自分を納得させた。


翌日。。。

深夜零時過ぎ。
前日と同じ時間帯である。
リーン♪ リーン♪ リーン♪
その瞬間の激しい恐怖感は忘れない。
「もち、もち、、」と、幼い声。
その後は前夜と同じ展開。
男の子は要領を得ず、何を聞いても泣いているだけ、、その激しい泣き方に尋常ではないものを感じ、怖くなった私は、無責任な慰めを言って受話器を置いてしまった。

その後は、再びかかってくることはなかった。
たったそれだけのこと...。


あの男の子は誰だったのだろうか?

この話を友人に話すと、、
「お前の隠し子じゃないか? 何かあったらここに電話しなさいって、母親から言われてるんだよ。年頃からすると4~5年前だぞ、覚えあるだろ?」
と、冗談混じりにからかわれる。
残念ながらそれはない!そんな事情があれば何よりそれを思い浮かべるはずで、天地神明に誓って、私はそういうタイプの男ではない(笑)。

これは私の想像だが。
男の子はあまり恵まれた環境ではなさそうだ。何かの事情で留守番をしていたのだろう。夜中に目が覚めると、ママ(パパ)はいない。男の子はママ(パパ)がいるところ(職場?)に電話をかけたのだが、番号が似ている私のところにかかってしまったのだろう。
まぁ、そんなところじゃないのかな?と、考えているのだが、そう合理的に説明できないと怖くて仕方ない。

深夜の電話に悩まされた経験のある人は多いそうですね?
今でこそケータイ(スマホ)になりましたが、あの頃は、深夜に電話機を見つめていると、今にも肩を揺すって鳴り出しそうでした。


以上を怪談(体験談)と言えるのだろうか?奇談? 私の考える怪談とは、説明することの難しい、想像力を刺激する怖い噺のことだと思っています。

「本当に怖いのは幽霊より人間です」と言う人がいます。
あれはウソですね。怖さの種類が違う。人間の怖さなんて説明出来る。
人間は誰でも心に闇を持っている。悪の部分があるから怖いのです。

そんな現実的で理論的に説明できる思考的恐怖よりも、説明できないもの。瞬間的、生理的で理性の判断を超えた恐怖。だから幽霊は正体不明で恐ろしい、、、というより、気味が悪いのです。


霊の存在を信じないと言っておきながら、こんなコワイ、コワイ、、と。
私は幼稚で臆病なんでしょうね(笑)。