オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

カラス。

 

早朝。
おれは両手にゴミ袋を抱え、つっかけサンダルでスタスタと自治会のゴミ集積場所に向かう。目の先に黒い物体がピョンピョン飛び跳ねている。ゴミ溜めから覗く残飯を狙う数匹のカラスのようだ。
おれは奴らを刺激せぬよう静かに集積所に近付いた。奴らも変な人間がやってきたので警戒しつつも無関心を装っているようだ。こいつらは頭脳が高い。遠回しに横目でチラチラとおれを観察している。

おれは静かにゴミを箱に収めると蓋を閉めた。チラッとカラスに視線を送りそっとその場を離れた。その様子を見て、奴らは ”これは害のない人間みたいだ…“ と、判断しただろうね。
その場を離れたおれを余所目に、カラスどもは安心したようにゴミ箱の上に戻る。

数メートル先でおれは立ち止まった。
その場でクルッと振り返ると、おれはつっかけサンダルをパッカパッカ鳴らしながらカラスに向かって突進した。
奴らはカラスのくせに鳩が豆鉄砲喰らったような顔になり慌てて飛び去った。

あははは♪
これだからカラスは面白い。
なんて愉快でユーモア溢れ可愛い生き物なのだろうか。奴らは鳥獣保護法の対象で飼うことは出来ないが、賢くて人間にも異常に懐くと何かの本で読んだことがある。
そんな知性ある誇り高きカラスさんを私のようにからかってはならない。
頭いいぞ!  意地悪された人間の顔を覚えているらしいから仕返しされちゃうよ。

カラスに対する悪戯で苦い思い出があります。あれはカラスの繁殖期だったのでしょうね。ある通りの数本の木々が集まっている場所。道行く人々に向かって、木の上から通常より高い声で「カアカア!」と騒がしくが鳴いていた。

 


これは明らかに威嚇行動で、こういう時の奴らを刺激しては絶対にダメ。
あの時、あまりにもカラスが騒がしいので立ち止まるとおれは木を見上げた。

おれはカラスを甘く見ていたのだ。

まるで猛禽類が獲物に飛び掛かるかのように、2匹(夫婦?)のカラスが羽ばたくと背後からおれに向かって滑空してきた。おれは振り返り手荷物で応戦する。
(カラス如きに舐められてたまるか!)
奴らはすぐに退散すると思われたが、執拗に何度も何度もおれに襲いかかる。
その執念に恐怖を感じたおれはそれから逃げるように遠ざかった。それでも、巣からかなり離れても追いかけてくる。そして這々の体で逃げ押せたのだ。

おれは反省しましたね。

奴らにとって、自分らより遥かに大きな人間に威嚇攻撃するのは余程の覚悟。
それもこれも雛、つまり我が子を守るための必死の行動なのでしょう。
(そのくせ、当然ではあるがツバメの雛や卵を狙っていやがるけどね)

我が身の危険を顧みず、我が子を守ろうとするカラス。
それに比べ、児童虐待?やら我が子殺しのニュースを見る度、こいつらカラスより莫迦で価値のない親 (人間)だと思う。
カラスどころか、カマキリだって卵を守るためならカマをもたげ、人間や猫に向かってファイティングポーズを取るぞ。

昆虫以下で恥ずかしくないのか ?莫迦

カラスは賢くて可愛いよね?
黒くて怖いとか気味が悪いと嫌う人は多いけどおれは好きだ。
カラスの生態を研究してその調教によっては警察犬ならぬ警察鴉誕生の未来があるかも。尾行出来そうだもんね?

終戦記念日? 同期の桜。

 

貴様と俺とは 同期の桜
 同じ兵学校の 庭に咲く♪
咲いた花なら 散るのは覚悟
 みごと散りましょ 国のため♫

まだカラオケボックスのない時代。
当時勤めていたのは銀座線三越前近くの会社で、私は仕事帰りに同僚数人とバー(スナック?)に入り歌いまくっていた。まだ20代半ばだった。

なぜか私は『同期の桜』を歌う。
すると、奥の席の方で愉快に飲んでいた年配者(50代?)グループがこちらに顔を向け睨んでいる。
彼らは年増のママに険しい顔で何やら訴えている様子。
そして、不愉快そうに帰っていった。

???

「お客さん、あの方たちは戦時中苦労されたそうで、、、」

ママは困惑顔でそう言った。

同期の桜を歌うのは何も問題ない。
但し、普通に唄えばだ。

20代半ばといえば一番元気の良い頃で何も考えず勢いのまま。
私はネクタイを外し、それを頭に巻きハチマキ状にしてポップス風に歌っていた。まるで沢田研二の “勝手にしやがれ” を歌うように軍歌を...。

そんな歌い方すれば不愉快に感じる人がいるのは当然。
あの年配者たちから見れば (戦争を知らないガキが調子に乗るな!)と思われても仕方ない。でも、当時はそんな想像力はなかった。

このエピソードは私を知る人には何度も話し、SNS上でも何度か呟いた記憶があるので、またその話かよ?と、うんざりされるかもしれませんね?
でも、なぜかよく思い出すのです。

 


明日は八月十五日。
日本では終戦記念日とされています。

1945年。
私は1958年生まれなので、そのたった13年前ということになる。
なのに、つい最近まで日本も戦争をしていたと意識させるものはなかった。
終戦の年、父は16~7才? 母は11~2才ということになる。

父が言うには特攻隊を志願したかったが戦争は終わってしまったと言う。
母は新潟の方に疎開していたらしい。しかし、それ以上のことはあまり聞いた記憶がない。
祖母も関東大震災の恐怖はしつこいぐらい語ってくれたのだが、戦争についてはあまり話してくれた記憶がない。
私にしてもあまり興味がなく聞こうともしなかったと思う。

何故なのだろうか?
子ども心にも聞いてはいけないこと?と感じていたのかもしれませんね。


もっと色々聞いておけば良かったと私は後悔しています。戦争体験は本や語り部等から知るよりも、身内の体験談として直接聞いた方がその生々しさは全然違うと思うのです。


“特攻隊を志願したかったのに...”

普段は無口な父が、酔うとそんなことをたまに言った。

本当だろうか?
そんなバカなことがあるもんか!
あれは単なる武勇伝を語りたがる見栄っ張りなオヤジの戯言に違いない。

そこで冒頭の『同期の桜』である。

戦争については本で多少知識を得た程度で不勉強の私が迂闊なことは言えませんがあの歌詞には不快感しかありません。あの歌に込める当時の若者の気持ちは想像するしかありません。


みごと散りましょ 国のため♫

???

これは単純な意味ではなくその歌詞に込める心情はそれぞれ?

それは分かります。

でも、国のため、みごとに散る?


ふざけちゃいけない!!!


単純スポ根少年だった私のようなバカならば、それを美化して軍国少年になっていったこと確実。
そして?ゼロ戦に乗って敵艦に撃ち落とされ「○○○○バンザーイ!」と叫んで海の藻屑と消えるのだぞ。

彼らは海に散ることを誇りに思っていたのか?  否、平将門のように怨霊となって戦争を起こしたやつに復讐したいほど悔しいに決まっている。そんな彼らを「国の犠牲になった英霊」なんて美化すると呪われるぞ莫迦


『戦争は、その経験なき人々には甘美である』

そんな言葉がありますが、近頃そんな雰囲気を感じますね。

同調圧力はダメデスヨ。ホント。

”(再掲) 本能寺炎上! 黒い巨人あらわる。

 

先週の大河ドラマ本能寺の変があったので、それに関連して再掲。

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炎上する本能寺。

その炎の中から飛び出して来たのは、鬼神のような黒く大きな影だ。

「うおおおおおお!」

黒い巨人は、悪魔のような叫び声をあげながら、本能寺を包囲する明智勢に襲い掛かってくる。
その形相に恐れをなした光秀の臣下たちは、腰を抜かさんばかりに驚きのけぞるのだった。


「うわああ! なんだ、バケモノか?」


巨人の相貌は怒りと恐怖?とで打ち震えている。まるで阿修羅、鬼神、魔神の如く、明智勢を食い殺さんばかり。


「ええい! 此奴(こやつ)は、ヒトではないっ! 放っておけい。」


黒い巨人は本能寺を抜け出すと、そのまま駆け抜け森の奥深くに逃走。闇の中に身を潜めたという。

 

 

《当然ながら、以上は私の妄想、幻想です。誰も見ていないのだから...》

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本能寺から逃走した黒い巨人は、名を「弥助」という。
弥助、、勿論、本名ではない。
ヨーロッパ宣教師所有の奴隷?で、 信長への献上品として日本ヘ連れてこられたと伝えられる。

弥助のはっきりした出自は不明である。自ら志願して伴天連の召使いになったのか? それとも平和に暮らしていた故郷(モザンビーク)から連れ去られてきたのか?定かではない。
信長は彼の黒く大きな身体に大変関心を寄せ、気に入ると「弥助」と名付け正式に武士の身分を与え、家臣として召し抱えたそうである。


そういえば、NHK大河ドラマ麒麟がくる」にて、もうすぐ本能寺の変が迫っていますね。

信長はなぜ殺されたのか?
その黒幕は?
その他 “本能寺の変” にまつわる多くの謎が残されており、歴史学者や作家から検証されてきました。


そんなことはどうでもいい!
私は織田信長が大嫌いなのだ。


私の敬愛する作家、藤沢周平はエッセイの中でこう述べている。

「(信長を)嫌いになった理由はたくさんあるけれども、それをいちいち書く必要はなく、信長が行った殺戮ひとつをあげれば足りるように思う」

その通りだと思う。

信長が後世に残した功績を評価する向きもあるが、彼が行った数々のジェノサイドは悪魔の所為にほかならない。

藤沢周平氏は続けてこう述べている。

「虐殺されたのは、戦力的に無力な者たちだった。これをあえて殺した信長の側にも理屈はあっただろうが...
(中略)
こうした殺戮を戦国という時代のせいにすることは出来ないだろう。ナチスドイツによるユダヤ人大虐殺、カンボジアにおける自国民大虐殺。殺す者は、時代を問わずいつでも殺すのである。しかも信長にしろ、ヒットラーにしろ、あるいはポル・ポトの政府にしろ、無力な者を殺す行為をささえる思想、あるいは使命感といったものを持っていたと思われるところが厄介なところである。権力者にこういう出方をされては、庶民はたまったものではない」


シリアル・キラー信長は、サイコ・パスではないだろうか?

本能寺での織田信長の最期。
あれは歴史の必然。
天罰だと私は思っている。


・・・・・・・


話を弥助に戻そうと思う。

本能寺の変

弥助もその日、本能寺に宿泊しており、明智光秀の襲撃、その異変を信長の跡継ぎ信忠に知らせるため二条城に走り、信忠を守るため明智軍と戦った末に投降し捕縛される。
光秀に情けをかけられたのか? 弥助は処刑されず、南蛮寺に送られ一命を取り留めたと伝えられる...。

本当だろうか?

その後、弥助の消息は資料に残されておらず不明だという。


ここで私は考える。

弥助が自ら志願してキリシタンになり、何か意図があって日本へ連れて来られたのなら?
彼がそれに使命感を持っていたのだとすれば? 私は同情しない。

違うでしょうね?
モザンビークの歴史を調べてみると、彼が伴天連の奴隷であって、信長のもとに売られた可能性は極めて高い。

日本での弥助を、その信長に対する忠義心を美談として語る人は多い。

そんなバカな話はないだろう?

彼にそんな日本的心情、センチメンタリティがあったとは思えない。
後世研究家の都合のいい解釈だ。
心は遠く故郷にあったはずだ。

アレックス・ヘイリー原作の小説『ルーツ』(後にテレビドラマになる)を思い出す。

私は弥助が不憫でならない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここで、冒頭の本能寺炎上。
妄想の続き。

「此奴(こやつ)はヒトではない、放っておけい!」


黒い巨人は、本能寺を抜け出すと、そのまま走った。
走って、走って、、森?山? の奥に身を隠したのだ。


もう、弥助ではない。
おれは自由の身になったのだ...。


その後、本能寺周辺では、バケモノを見た、もののけを見た、という目撃情報が相次いだという。

なんでも、全身が炭で塗ったように黒く見上げるような巨人だったという。それが夜な夜な泣いているのだ。

黒い巨人は、遠くアフリカ、モザンビークの自然の中を走リまわっていた頃を思い出していた。
懐かしい故郷。
父や母、ファミリーのことを思って満月に向かって慟哭するのであった。

 

 

千の天使がバスケットボールする。

 

記憶というものは遠くなるに従い、それは後付の記憶も混じり大袈裟に夢かうつつか判断に困るものがある。


まだ20代半ば40年程むかしのこと。

真夏、暑い日だった。

池袋のビヤホール(ライオンか?)にて友人3人と飲んでいると独逸人のグループだろうか? 陽気に愉快そうに騒いでいたのは間違いない記憶。
ここからは後付の記憶が混じっているかもしれないが、そのグループの中にスタン・ハンセン(に似た大男)がいたような気がする。彼らは腕を組んでグルグルまわるフォークダンスを踊りながら乾杯している(これは後付記憶)。

おれたち3人もしこたま飲んだ。
帰りに赤羽のスナックのような処でだるまウヰスキーを一本開けた。ベロンベロンに酔った3人は赤羽ホームで別れる(当時埼京線はなく赤羽線)。
独り暮らしの安アパートに戻ると扇風機を全開に着ているものも全部脱ぎ捨てあっという間に入眠す。

暑い、暑い、暑い!
(貧しい故クーラーはない)


朝になる。


鈍い日が照ってて 風がある。
 千の天使が バスケットボールする。 
 (中原中也「宿酔」より)
 

二日酔いのおれは全裸だ。
窓という窓も全開で眠ってしまったようだ。皮膚に蚊に刺された跡がある。
2階の窓から全裸のまま外を眺めると熱いトタン屋根の上に猫がいて私に向かってニャアと鳴いた。

朝の光が眩しい。

ジグザグに交錯した旭光が二日酔いのおれを襲ってくる。
これが千の天使の正体なのか?
奴らが “バンバンバン” と、バスケットボールをドリブルする音がおれの頭の中に鳴り響く。

うう、、頭が痛いんだが...。

千の天使がバスケットする?

二日酔いの比喩表現。
中原中也は天才なのだろうか?
小心者で酒癖の悪いダメ人間である中也におれは親近感を抱いている。
勿論、当時のおれは中也の「宿酔」という詩の存在は知らない。

暑くて暑くて、千の天使が騒いで頭も痛いし、こんな陰気な部屋に籠もっていたら発狂しそうだ。

まずはパンツを穿こう。

とにかく馬券買いに行かねばならぬ。
夏競馬は府中も中山も開催しておらず
後楽園か浅草にしようか迷う。

昨夜の酒が残っていて気持ち悪い。
それでもお腹は空く。

安アパートから西川口駅に向かう道は殺風景だ。西口はリトル歌舞伎町とも謂われソープランドが立ち並ぶ怪しい彩りの街だが、東口側は何もない。

おれは産業道路沿いの吉野家に入る。
汁だくの大盛り牛丼が旨い。

どうやら、千の天使はドリブルしながら遠くに去ったようだ。

おれは駅のKIOSKで競馬新聞を買うと水道橋に向かった。

買ったウマがまた裏切りやがった。

水道橋の雑踏を不機嫌そうに歩いているとプロ野球ファンが騒いでいる。
今夜は巨人vs阪神か?
先発は江川かな?西本かな?

そんなことはどーでもいい。
馬券も外れお金もなく早く帰ろう。

西川口に戻るとスーパーで唐揚げ弁当&ビールを買い部屋に戻った。

この部屋暑いんだよ莫迦

テレビを点けるとサザエさん

おれはどんなにサザエさんがドジを踏んでも心からは笑えない。

会社行きたくねえなァ~!

サザエさん症候群に陥っているのだ。

銭湯にでも行こうかな?

風呂上がりに弁当を肴に缶ビールを数本飲んだ。

千の天使が戻ってきた。
今は大人しくしているが、そのうちにバスケットボールするだろう。

ええ~い! 面倒くせえ。
ダンクシュートしやがれ!


「あの、、ちょっと頭痛が...」

そうウソ電話をして明日は会社休んでしまおう。
そんなことを考えるおれがいた。

 

こんな夢を見た『圭子の一吼え、長崎に雨を降らせる』

 

夢というものは、どんなに知的で年配
になっても、老若男女関係なく荒唐無稽で欲望丸出しで他人には恥ずかしくて語れないものが誰にでもあると思います。まず、教養的な夢は見ない。
(不安の夢化が一番多いかな?)

今月、65才になったというのに、またまた実に漫画チックな夢を見た。

・・・・・・・・・・・・・・・・

目の前にいる女は現実なのか?スクリーンの中なのか? それは夢というフレームの中でありどちらでもない。
その女は私の心を射抜くような眼差しを向けてきた。まるで値踏みされているようで落ち着かない。

(この女、おれに絡もうというのか?)

堅気でないことはことはすぐ分かる。
女を守るように、凶悪な目をしたゴロツキ数人がその周りを囲んでいる。

「あんさん、そこを退いてくれませんかい? 何か用でもあるんで?」

地の底から唸るような静かで威厳のある恐ろしい声だ。

「あ、、いえ! どうぞ、どうぞ...」

私は恐怖でちびりそうになりながら、相手を刺激しないよう引きつり笑顔で丁寧に道を譲った。
行き交い際、子分衆のゴロツキが私にバイオレンス的な目を向けた。
(おれは何もしてないのに...)

きっと、何処か名のある姐御さんに違いない。その佇まいは「女博徒」江波否子、藤純子、「極道の妻たち岩下志麻のようにも感じる。
だが、夢の中故顔がぼやけている。

行き交った姐御&ゴロツキ衆の後ろ姿を私はしばらく見送っていた。するとその視線の先に黒髪の女、否、少女?がぽつねんと突っ立っている。
妙な女の出現に姐御さん一行の足も止まったようだ。

赤く咲くのは けしの花
  白く咲くのは 百合の花♪
どう咲きゃいいのさこの私
  夢は夜ひらく♫

少女は歌いだした。

この少女は常人ではない雰囲気、神秘的で妖気が漂っている。流石の姐御さん一行もたじろいでいる様子。

「どう咲きゃいいのさ、この私!」

姐御さんが地の底から唸るような声で威嚇するなら、この女は地獄の果てから呻くようなドスの効いた一吼え。

一瞬、女は呪文を唱えているのかと思ったが、それが昭和の名歌手 藤圭子であることはすぐに分かった。

(藤圭子は絶対妖術使いだな。下手すると口から糸を飛ばしかねない)

何の根拠もなく私はそんなことを考えていた。でなければ、あんなドスの効いた声で歌う理由がない。人間離れしており彼女は超常現象なのだ。

気が付くと雨がポツリ。

それは次第に強くなっていった。

藤圭子はカステラの箱を抱えている。

もう、そこに姐御さん&ゴロツキ一行の姿は逃走してない。
代わりにスーツ姿らしい男たちの影。その中心にいる長身男のシルエットが藤圭子からカステラを受け取った。

内山田洋&クールファイブだな? あの長身男は前川清だろう。カステラとクールファイブ、状況からここは長崎なのだろうか? )

雨は益々激しくなっている。

藤圭子の歌は長崎に雨を降らせた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

こんな様な夢でした。

うろ覚えで実際はもっと荒唐無稽で複雑だと思います。ブログ用に脚色してありますが(特に心理描写)、このような夢を見たのは理由があります。

ここのところ昭和歌謡曲にはまっていて、とくに藤圭子とクールファイブの曲に聞き惚れていたからです。

https://youtu.be/GARam-Btqmo
 藤圭子☆新宿の女

https://youtu.be/M8-pqLIimfs
 中の島ブルース☆クールファイブ

どうでしょうか?

クールファイブの前川清藤圭子は短い間でしたが結婚していた時期がありますね? このふたりの境遇を知ると共通したものを感じ惹かれ合うのは必然だったのではないか?

藤圭子がいた時代は遠くなりつつありますが、宇多田ヒカルの母として若い人にも知られていると思う。
宇多田の音楽的才能も凄いが、藤圭子のあの卑弥呼?シャーマンを思わせる神秘性、儚げな表情からは考えられないドスの効いた歌声。
あれは唯一無二で誰も真似出来ない。

 十五、十六、十七と
私の人生暗かった♫
 過去はどんなに暗くとも
(圭子の夢は夜ひらくより)

この歌詞を聞いた時。
(ケッ! 15~6の小娘が、人生暗かっただと? 人生を舐めるな)
なんて思ったものですが、藤圭子の生い立ちを知ると、、、。
彼女の母は盲目の三味線弾き、母と共にドサ回りしていた少女時代。
あの暗さはそこからきていたのか?
(ドサ回りの性格上、興行師との黒い噂もありますが、そういう時代でした)

藤圭子の歌う演歌は「怨歌」とも謂われますが、当人は演歌は仕事、好きなのはロックだったとか?

一方の前川清
まだ世に出る前は佐世保の遊民、ルンペンのような極貧生活。
キャバレーで歌っているところを、クールファイブの誰かに見出される。
ボーカルとして歌わせると、天性の超絶的歌唱力。長身で甘いマスクも相俟ってたちまち人気者に。

ちょっと前までは佐世保のトッポイあんちゃんだった男ですよ。

音楽的下地のない前川はただ歌うだけでしたが、歌手としての天賦の才があったのでしょうね?
一切のマイク・アクションをせず、真っ直ぐ東海林太郎の如く突っ立ったまま前を向いて歌う。

「あの歌い方であれだけの表現力は凄い...」と、前川清に敬意を払い、ファンだったと公言したのは桑田佳祐
他にも前川をリスペクトする歌手は多く業界内では評価が高いようですね?

孤独のグルメ」の五郎さんの突っ立ち方は前川清さんがルーツなのかも?

佐世保の遊民だった前川清と、昭和の家出少女を連想させる藤圭子
(これ、褒め言葉ですからね)
影があるという部分で共通すると感じるのです。

このふたりは演歌歌手ではないような気がします。演歌臭がない。

あまり意味のないことを長々と書き連ねてしまいましたが、最近、昭和歌謡曲にはまっていたので。

まぁ、歌が上手いとか云々は主観的なことなのでご容赦を。
でも、コンピューターでそれを判定するカラオケ番組を観たことありますが何だかなぁ、、という感想しかなく。

歌は情感に訴えてこないとね。
それとも、そんな情感も機械が評価、判定する時代になるのか?

蒸発。

昨日は七夕だったので関連?した遠い日の記憶を書きたいと思います。


キューポラのある街(川口市)に越して来たのは物心が付いてきた頃か?
父が働いていた鋳物工場(伯父経営)構内にある空き家に住むためです。
小さな工場で、従業員は伯父と父以外は常時5~6人程度だったと記憶。

Yさんは野球好きでジャイアンツの堀内恒夫投手の大ファン。
これまた、野球大好き少年だった幼少期の私をかわいがってくれ、昼休みや仕事を終えると裏の空き地でよくキャッチボールの相手をしてくれた。そんなYさんに私も懐いていた。


Yさんが蒸発した。


急に仕事を無断で休み近くに住んでいる独り暮らしのアパートも蛻の殻。
当時の私には “蒸発” の意味が分からず
「Y君が消えた、アパートに行っても荷物を置いたまま誰もいない...」なんて聞くと、部屋で一人液体が気化するように消えるYさんを想像し、ちょっとゾッとしたのを憶えています。

Yさんは父が知人の紹介か何かで連れてきたらしく「今時の若いやつは辛抱が足らない...」等と言って嘆いていたような?  鋳物工場での作業は重労働で定着する人は少ない。

しかし、事態はそれだけに留まらず。
数日後事務員のKさんも消えた。

Kさんは工場の事務を担当するベテラン従業員で、やさしく笑顔を絶やさない明るい女性。小学生だった私の頭を撫でてくれたのを憶えている。
多分、父と同年代ぐらいに見えたので40近かったのだろうか?
現代からすれば40なんてまだまだ若くおネエさんの部類だろうが? 当時の私の目には完全なオバさんと映った。

そんなKさんとYさんが同じタイミングで消えた。それが意味するものは?

 


「あの野郎! 見つけたらただじゃおかねえ! 恩を仇で返しやがって...」

伯父も父も激怒していた。

私はまだ10才ぐらいでませたガキでもなかったので、大人の色恋沙汰は何も分からないし興味もなかった。

そんな子ども心に感じたことは。

“ 気持ち悪いな...”

私の目にはKさんはかなりのオバさんに見え、Yさんは多分20そこそこだったと思う。ふたりは親子ほども年の差があるように感じたからだ。

そんなふたりがなぜ?

それを “気持ち悪い” と感じるのは偏見でそれは差別に繋がるのでしょうが、少年期に感じた正直な気持ちでした。昭和という時代は偏見が多く、そんな大人に子どもは影響されてしまう。


男と女の間には 
 深くて暗い河がある ♪
誰も渡れぬ 河なれど
  エンヤコラ今夜も 舟を出す 
Row&Row Row&Row ♫
 振り返るな Row-row
      (黒の舟唄より)


聞くところによると複雑な家庭に育ったというYさんだが、まだ二十歳過ぎで前途洋々の若者。
Kさんは離婚歴はあるようだが穏やかでやさしい中年女性だった。
若い男と中年に差し掛かった女が手を取り合って蒸発した?
ふたりは心に何か悲しみを抱えていたのだろうか? 別に不倫というわけでもないのに、なぜ黙って逃げるように消えたのだろうか? 逃げなくてはならない理由があったのだろうか?
現代の観点からならば、同性婚でさえ議論されるのに、、そこで考えられるのは昭和という闇ですね。

きっと、少年には窺い知れない世界があったのだと想像出来る。


まだふたりとも工場にいた頃、KさんとYさんが、昼休み等の休憩時間に仲良く話している姿を度々見かけた。
従業員同士、別に気にもしていなかったが、私に見られていることを気にしている素振りを感じたことがあった。
私はなぜか見てはならないものを見てしまったような気持ちになった。
あの空気、、何だったのか?

その時のKさんが私に向けた視線。
紙のように白い顔で怖かった。

これは後付の記憶かもしれない...。

 

球星伝『お~~~い、のび太よ!』

越谷レイクタウン近辺をウォーキングしていると、中川近くのグラウンドで子どもたちが野球をしていた。
ちゃんとした試合であり、この蒸し暑い中 “ガキは元気いいなぁ” と思いながらそのままネット裏で観戦。
コンビニで買ったペットボトルのウォーターをごくごく飲む。私は野球少年を見ると無性に嬉しくなる。

 

 

 

元気の良さそうな少年バッターが空振りをすると、キャッチャーをしているやや小柄の少年が後逸。
バッターは一塁ランナーに向かって大きく腕をまわし “まわれ、まわれ!” のアクション。
キャッチャーがボールを追ってまごついている隙に、すばしっこそうな少年ランナーは二塁を過ぎ三塁まで到達してしまう。それを見ていた監督らしき大人(30〜40代?)が頭を抱えている。それでも怒鳴りはしない。

次の展開。
バッターの打球は平凡なファーストゴロ。ファーストの少年は軽いファンブルするも必死に一塁ベースを踏む。

「ホーム、ホーム!」

監督?が叫ぶ。
三塁ランナーの少年は果敢にホームに突っ込んできた。ファースト少年はキャッチャーに向かって投げた。

一瞬の判断遅れ?

 捕球したキャッチャーがランナーにタッチするより先に生還されホームゲッツーの失敗である。
こういう地味な攻防が面白いのだ。

また、監督?が頭を抱えた。

しかし、今の監督はやさしいな。
決してミスした少年を怒鳴らない。
それもそのはずで、今は精神論等色々と煩いし少年たちの親御さんも応援しに来ているのだから。

それはどうでも良い。


やっぱり、野球って素晴らしい。
とくに子どもたちの野球は観ていてとても癒やされる。
彼らのプレーする姿は美しいのだ。

ふと、自分が少年時代だった頃の三角ベースボールに思いが及ぶ。

目の前の少年野球に対する違和感?

全員お揃いのユニホームで、設備の整ったグラウンドで大人の監視のもとでプレーしていて楽しいのか?

 

お~~~い、 のび太ジャイアンスネ夫! 君らは滅びたのか?

お~~~い、カツオ!中島くん!
君らは幻想に過ぎないのか?


野球は遊びだった。

皆、学校から帰るとランドセルを放り投げバットにグローヴを刺し私服で出かけて行った。
土管の置いてある原っぱだった。
人数なんか集まらなくても三角ベースボールとか色々工夫して遊んだ。皆、のび太ジャイアン、カツオだった。

そこに指導者と称する大人が介入すれば遊びではなくなる。
大人は邪魔者でしかないのです。

野球少年はまだいる。
でも、遊びの文化ではなくなった。


みんな、キャッチボールしよう(笑)

 

野球ネタは「球星伝」

競馬ネタは「幻馬伝」

に統一しています。

(検索が楽なので)