夢というものは、どんなに知的で年配
になっても、老若男女関係なく荒唐無稽で欲望丸出しで他人には恥ずかしくて語れないものが誰にでもあると思います。まず、教養的な夢は見ない。
(不安の夢化が一番多いかな?)
今月、65才になったというのに、またまた実に漫画チックな夢を見た。
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目の前にいる女は現実なのか?スクリーンの中なのか? それは夢というフレームの中でありどちらでもない。
その女は私の心を射抜くような眼差しを向けてきた。まるで値踏みされているようで落ち着かない。
(この女、おれに絡もうというのか?)
堅気でないことはことはすぐ分かる。
女を守るように、凶悪な目をしたゴロツキ数人がその周りを囲んでいる。
「あんさん、そこを退いてくれませんかい? 何か用でもあるんで?」
地の底から唸るような静かで威厳のある恐ろしい声だ。
「あ、、いえ! どうぞ、どうぞ...」
私は恐怖でちびりそうになりながら、相手を刺激しないよう引きつり笑顔で丁寧に道を譲った。
行き交い際、子分衆のゴロツキが私にバイオレンス的な目を向けた。
(おれは何もしてないのに...)
きっと、何処か名のある姐御さんに違いない。その佇まいは「女博徒」江波否子、藤純子、「極道の妻たち」岩下志麻のようにも感じる。
だが、夢の中故顔がぼやけている。
行き交った姐御&ゴロツキ衆の後ろ姿を私はしばらく見送っていた。するとその視線の先に黒髪の女、否、少女?がぽつねんと突っ立っている。
妙な女の出現に姐御さん一行の足も止まったようだ。
赤く咲くのは けしの花
白く咲くのは 百合の花♪
どう咲きゃいいのさこの私
夢は夜ひらく♫
少女は歌いだした。
この少女は常人ではない雰囲気、神秘的で妖気が漂っている。流石の姐御さん一行もたじろいでいる様子。
「どう咲きゃいいのさ、この私!」
姐御さんが地の底から唸るような声で威嚇するなら、この女は地獄の果てから呻くようなドスの効いた一吼え。
一瞬、女は呪文を唱えているのかと思ったが、それが昭和の名歌手 藤圭子であることはすぐに分かった。
(藤圭子は絶対妖術使いだな。下手すると口から糸を飛ばしかねない)
何の根拠もなく私はそんなことを考えていた。でなければ、あんなドスの効いた声で歌う理由がない。人間離れしており彼女は超常現象なのだ。
気が付くと雨がポツリ。
それは次第に強くなっていった。
藤圭子はカステラの箱を抱えている。
もう、そこに姐御さん&ゴロツキ一行の姿は逃走してない。
代わりにスーツ姿らしい男たちの影。その中心にいる長身男のシルエットが藤圭子からカステラを受け取った。
(内山田洋&クールファイブだな? あの長身男は前川清だろう。カステラとクールファイブ、状況からここは長崎なのだろうか? )
雨は益々激しくなっている。
藤圭子の歌は長崎に雨を降らせた。
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こんな様な夢でした。
うろ覚えで実際はもっと荒唐無稽で複雑だと思います。ブログ用に脚色してありますが(特に心理描写)、このような夢を見たのは理由があります。
ここのところ昭和歌謡曲にはまっていて、とくに藤圭子とクールファイブの曲に聞き惚れていたからです。
https://youtu.be/GARam-Btqmo
藤圭子☆新宿の女
https://youtu.be/M8-pqLIimfs
中の島ブルース☆クールファイブ
どうでしょうか?
クールファイブの前川清と藤圭子は短い間でしたが結婚していた時期がありますね? このふたりの境遇を知ると共通したものを感じ惹かれ合うのは必然だったのではないか?
藤圭子がいた時代は遠くなりつつありますが、宇多田ヒカルの母として若い人にも知られていると思う。
宇多田の音楽的才能も凄いが、藤圭子のあの卑弥呼?シャーマンを思わせる神秘性、儚げな表情からは考えられないドスの効いた歌声。
あれは唯一無二で誰も真似出来ない。
十五、十六、十七と
私の人生暗かった♫
過去はどんなに暗くとも
(圭子の夢は夜ひらくより)
この歌詞を聞いた時。
(ケッ! 15~6の小娘が、人生暗かっただと? 人生を舐めるな)
なんて思ったものですが、藤圭子の生い立ちを知ると、、、。
彼女の母は盲目の三味線弾き、母と共にドサ回りしていた少女時代。
あの暗さはそこからきていたのか?
(ドサ回りの性格上、興行師との黒い噂もありますが、そういう時代でした)
藤圭子の歌う演歌は「怨歌」とも謂われますが、当人は演歌は仕事、好きなのはロックだったとか?
一方の前川清。
まだ世に出る前は佐世保の遊民、ルンペンのような極貧生活。
キャバレーで歌っているところを、クールファイブの誰かに見出される。
ボーカルとして歌わせると、天性の超絶的歌唱力。長身で甘いマスクも相俟ってたちまち人気者に。
ちょっと前までは佐世保のトッポイあんちゃんだった男ですよ。
音楽的下地のない前川はただ歌うだけでしたが、歌手としての天賦の才があったのでしょうね?
一切のマイク・アクションをせず、真っ直ぐ東海林太郎の如く突っ立ったまま前を向いて歌う。
「あの歌い方であれだけの表現力は凄い...」と、前川清に敬意を払い、ファンだったと公言したのは桑田佳祐。
他にも前川をリスペクトする歌手は多く業界内では評価が高いようですね?
「孤独のグルメ」の五郎さんの突っ立ち方は前川清さんがルーツなのかも?
佐世保の遊民だった前川清と、昭和の家出少女を連想させる藤圭子。
(これ、褒め言葉ですからね)
影があるという部分で共通すると感じるのです。
このふたりは演歌歌手ではないような気がします。演歌臭がない。
あまり意味のないことを長々と書き連ねてしまいましたが、最近、昭和歌謡曲にはまっていたので。
まぁ、歌が上手いとか云々は主観的なことなのでご容赦を。
でも、コンピューターでそれを判定するカラオケ番組を観たことありますが何だかなぁ、、という感想しかなく。
歌は情感に訴えてこないとね。
それとも、そんな情感も機械が評価、判定する時代になるのか?