今はなき上野松竹セントラル映画館?から、オレはトボトボと重い足取りで階段を降りてきた。
外へ出ると辺りは薄暗く、人々は忙しなく歩いている。オレもその中に俯き背中を丸め溶け込んだ。年末ということもあり少々寒かったのか?両手をズボンのポケットに突っ込む。この姿勢が一番落ち着くのだ。
(ちょっと一杯やっていこう...)
周囲は薄暗いがまだ酒場に入るには早い時間帯だ。京成上野駅の前を通り、絵描きさんがいる階段を上ると、西郷さんの銅像がある場所へ行き、その近くのベンチで時間を潰した。
季節的に “おでんでも食いてェな...” と思ったオレは、夕方5時を過ぎるとベンチから立ち上がりふらふらとアメ横の方に向かった。
年末の慌ただしさの中、アメ横は大混雑で普通に歩くのもままならない。
(こいつら邪魔くせえな。どんな暇人なんだよっっ! オレもそうだけど...)
オレは心の中で不特定対象に突っ込みを入れ、それで自分がボケるという歪な空想癖のあるおかしな男なのだ。
アメ横の人混みを歩いていると、あの年末特有の威勢の良いダミ声が聞こえてくる。頭に鉢巻を巻いたガサツそうなおっさん達が、道行く人々に「鮭が安いよ!」等と声をかけている。
(こんなナマモノ買って、電車に乗って帰れるわけねーだろがっっ!)
また、心の中で突っ込んでしまった。
すると、目の先に見覚えのある四角い顔が見えた。
「四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水、粋な姐ちゃん立小便」
そこには寅さんこと車寅次郎が来年度(1998年)のカレンダーらしきものを啖呵売している姿があった。
さすがは寅さんである。海千山千の呼び込みの猛者が立ち並ぶここアメ横でも寅さんのそれは圧倒的な光を放ち群を抜いている。その鋭く流れるような滑舌に野良猫も聞き惚れている。
ん? 待てよ。
寅さんこと渥美清さんは去年(1996年)死んだはずだぞ。寅さんのゴーストなのだろうか?
ふと我に帰った。
それは私の寅さんに対する心象風景だったのだ。若き日の渥美さんと、このアメ横のエピソードが頭にあり幻を見てしまったのかもしれない。
私は映画『寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』を松竹セントラル劇場で観てきたばかりなのだ。
去年の夏に渥美清さんは亡くなった。第48作『寅次郎 紅の花』以来、二年ぶりの公開だが、それは過去の作品の特別篇であり、主題歌は渥美さんではなく八代亜紀さんが唄っていた。
もう、寅さんの新作は観られない。
賑やかなアメ横表通りから裏に回ると酒場が軒を並べていた。
寅さんと青観先生(宇野重吉)が出会った風な趣のある暖簾をくぐると、オレはカウンター席に座った。
「生ビールともつ煮込み下さい」
おでんを食べたいと考えていたのに、酒場に入ると生ビールと煮込みをどうしても最初に頼んでしまう。
カバンから駅構内kioskで買った東スポを取り出すと、明日の第42回有馬記念の出馬表に目をやった。
下馬評ではエアグルーヴとマーベラスサンデーが断然なのだがこのニ頭で決まることはないと思っている。
当時アンチ武豊だったオレは、マーベラスサンデーを捨てエアグルーヴを軸に馬連を数点買おうと考えていた。
エアグルーヴ、メジロドーベル、ダンスパートナーといった牝馬で勝負してみようかな? でも、信頼出来る牝馬はエアグルーヴだけだ。
カウンター席。
出馬表に蛍光ペンでチェックを入れていると、隣に座っている男が遠慮がちに覗き込んできた。
(なんだ!こいつ...)
「どうですかね? 明日の有馬記念。自分はシルクジャスティスが面白いと思うんですけど...?」
オレと同世代かやや上の冴えない自信なさげな男だった。
普段のオレならば、いきなり知らない奴に話しかけられると “面倒くさいな”
という表情になりバリアを張るところなのだが、その日のオレは寅さん映画を観たせいか優しい気持ちだった。
「シルクジャスティスも展開によっては面白いですね。抑えておくべきかと思います。でも、やっぱりエアグルーヴが強いんじゃないですかね?」
この年末に上野の酒場で一人飲んでいるのだから寂しいのだろう。気軽に競馬談義に応えると男は嬉しそうだ。
“男は皆寅さん的孤独の影がある”
まぁ、シルクジャスティスが有馬で通用するとは到底思えない。
あのサニーブライアンに負けたのだからエアグルーヴやマーベラスサンデーに通用するわけがない。
「それじゃ旦那、私はこれで...」
男は無礼にもオレのことを “旦那” と呼びやがった。あんたの方が多分年上だろうが。歌舞伎町のポン引きが誰彼構わず “社長” と言うのと同じだな。
普段は無愛想なオレが、やさしい笑顔を返し男を見送った。
強烈な寂しさが込み上げてきた。
もう、車寅次郎に会うことはできないのだ。演じた渥美清さんは昭和3年生まれで父と同じ歳なのだ。
その頃、父は血液の癌を患っており入退院を繰り返していた。
一年は持たないだろう。
明日の有馬記念は中山競馬場まで行こうか浅草場外にしようか迷っている。
90年代の競馬場は多くのファンが足を運び大変混雑していた。私は人混みが苦手なのだ。
競馬のネット投票もない時代だった。
メジロドーベルちゃんよ、応援してるから頑張ってちょうだいよ。
なぜかローゼンカバリーという馬も気になった。
1997年 12/20 のことでした。
翌日、オレは浅草の場外馬券売り場に出かけ、ホッピー通りのモニターで有馬記念を観戦。
①着 シルクジャスティス
②着 マーベラスサンデー
③着 エアグルーヴ
オレは昨夜上野の酒場で出会った孤独そうな男を思い出していた。
あんたの狙い最高だぜ!
翌 1998年7月、父は亡くなった。
(享年70才)
ちょうどフランスでワールドカップが行われていた頃だ。
オレもその齢にジワジワ迫っている。
メジロドーベルちゃんはまだ健在。
凄いよ、凄い、ドーベルちゃん。