上野公園内をぶらぶら歩いていると、人だかりが出来ていた。
「四谷、赤坂、麹町、チャラチャラ流れる御茶ノ水、粋な姐ちゃん立ちションベン。白く咲いたが百合の花、四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水くさい...」
独特の流れるような口上に艶のある声、歯切れの良い台詞回し。
ドキッとする。もしや!?
私は人混みの後ろから中を覗いてみた。フーテンの寅こと、車寅次郎の啖呵売。憧れの寅さんがそこにいる。
その美しくも鋭い滑舌を、私は後ろの方から、うっとりしながら最後まで眺め聞いていた。
夢にまで見た寅さんである。
一日の商売を終え、店仕舞する寅さんの背中に、私はドキドキしながら思い切って声をかけてみた。
「あの... 柴又の寅さんですよね?」
「・・・」
あの細く鋭い目を、訝しげに向けてきた。明らかに警戒している。
「あ、、すいません。私はアナタのファンなので、迷惑とも思いましたが、声を掛けさせてもらいました」
「どこのどなたさんか存じませんが、ワタクシみたいな男のファンだなんて、アンタもおかしな男だねぇ...」
寅さんはそう言うと、あとは興味なさそうにスタスタと歩き始めた。
私はそんな寅さんの後を追いかけながら、何か話すきっかけを窺う。
寅さんは、煩そうに振り返る。
「 で、オレのファンだって云う、何処の馬の骨さんが何の用だい?」
「あ、あの、、もしよろしければ、その辺で一杯やれないかな?と...」
寅さんは胡散臭そうに目を私に向けてきた。
「でもよ、懐具合がよ・・・」
・・・・・・・・・・
上野~御徒町間の、ガード下で寅さんと一杯やっている。
昭和の名残ある一杯呑み屋。
最初は何処の馬の骨とも知れぬ私を不審がっていた寅さんも、話しているうちに打ち解けてきたようだ。
瓶ビールでお互いにお酌乾杯をし、肴は焼き鳥、肉豆腐、香の物 等々。
そして、寅さんと飲むなら絶対に日本酒なのだ。熱燗を注文する。
今夜はかなり酔っ払いそうだ。二日酔いになるのも覚悟で、徹底的に寅さんに付き合おうと決めている。
「この辺りではよ、日本画の青函先生や、亜米利加人のマイケルと飲んだことがあってな。懐かしいな...」
寅さんの口から、青函先生(宇野重吉)やマイケル(ハーブ・エデルマン)の名前が出てきたことが、私は無性に嬉しくなった。証券マンの富永(米倉斉加年)と出会ったのも、この辺りだと記憶する。
酔うほどに話は盛り上がる。
寅さんの話は実に面白く飽きない。これが有名な “寅のアリア” なのだろう。まるで情景が浮かび上がるようで、真打ちの噺家のようだ。
自分では「学がねえからよ...」と言うものの、本当は頭の良い人なのだろう。
話は「とらや」の面々に及ぶ。
おいちゃん、おばちゃんのエピソードがたまらなく可笑しく、日頃は冷めた性格で、めったに声を上げて笑うことのない私も、それこそ大爆笑。
こうして、寅さんと話していることが夢のようで、楽しく愉快で、こんなに笑ったのは子供のとき以来だろう。
でも、心の何処かで緊張しているのを自覚する。
その緊張感は、憧れの人を目の前にしているところから来るのか?
それとも、本当は鋭い感性の持ち主である寅さんに対する恐れなのか?
とらやの面々、歴代のマドンナについて、寅さんは多くを語ってくれた。
そんな中、妹のさくらと、恋人?リリーを語る時の表情は遠くを見つめるような目で、特別の思いがあるのだろう。
私は酔の勢いもあり、迷いながらも思い切って聞いてみた。
「寅さんはリリーさんと一緒になって、団子屋さんを継いで、柴又で静かに暮らせなかったんですかね?」
寅さんは一瞬考えたようだが...。
「言ってみりゃ、あいつ(リリー)も俺と同じ渡り鳥よ。腹減らしてさ、羽根を怪我してさ、しばらくこの家で休んでいただけよ。いつかはパッと羽ばたいてあの青い空へ…」
何処で聞いたセリフだな。
私は苦笑いを浮かべる。
寅さんは続けてこうも言った。
「オレやリリーのような風来坊が、団子屋なんてやっていけると思うかい? 第一、オレみたいなヤクザな兄貴が近くにいたんじゃ、さくらや博に迷惑かけちまうもんな」
寅さんはそう言うと黙ってしまった。
きっと、他人には窺い知れない、定住できない者の哀しみがあるのだろう。
しんみりしてしまったようで、私は話題を変えてみた。
「寅さんと、朝日印刷の社長さんは、いつも大喧嘩してるようで、お互いに遠慮なしで仲がいいんですね?」
「なに! 裏のタコのことか? 冗談じゃねえやい。あのタコはいつも辛気臭い顔しやがって、ツラを見てるとこっちまで鬱々してくらァ」
もう少し、優しい言葉を期待したが、照れの裏返しなのだろうか? 寅さんとタコ社長の関係を疑ってしまう。
私には、どうしても寅さんに聞きたいことがあった。
「弟分の源ちゃんとの出会いって? どんな経緯で、源ちゃんは柴又にやってきたんですかね? ファンとして、源ちゃんの過去が最大の謎なんですよ...」
「・・・」
寅さんは、眉間に皺を寄せて、ジィーっと私を睨む。
「アンタも野暮なこと聞くねぇ...。誰もが他人には触れてほしくないってもんがあるんだよ。過去がどうあれ、源ちゃんは源ちゃんよ」
これが寅さんなのだ。
一見、粗野で自分勝手、やりたい放題の印象を受ける寅さんだが、実は人の痛みを知り、決してそこには踏み込んで来ない。一線を超えることはない。
車寅次郎なりの流儀なのかもしれない。
寅さんの言葉に自分を恥じ、私は黙るしかなかった。
「でもよ、、偉いのは題経寺の御前様だな。オレや源のようなバカが、どんなヘマをしようと決して見捨てることはしないもんな、、。小言はうるさいけどよ、御前様は、人を生まれや育ちで見ないし、差別しないからよ...」
夜は更けてきた。
「じゃあ、明日も早いからよ。そろそろお開きにしようか? 今日はゴチになってありがとな。今度、お礼するからよ、連絡先教えてくんな。」
「いえいえ、お礼なんて、、今日は色々話を聞かせてもらって、ありがとうございます。楽しかったです。」
私はそう答えると、懐からスマホを取り出し、連絡先をメモして寅さんに渡す。
そのスマホを寅さんは寂しげな目でジッと見ている。
私は慌ててスマホを懐に戻した。
これは、寅さんに見せてはならない。
店を出た寅さんと私は、上野駅に向かってテクテク歩いている。
「あんたも真面目だねぇ、、もっと肩の力抜いて生きた方がいいよ」
「はい! そうします」
私は気付いていた。
今、一緒に歩いているのは?
寅さんの幻であるということを。
寅さんのゴーストと飲んでいた。
そんなゴーストの寅さんに、最後にどうしても聞きたいことがあった。
「寅さん!」
「ん。なんだい?」
「寅さんは今(令和3年)の日本をどう思いますか?」
寅さんは立ち止まると星空を見上げ
考え込んだあとに言った。
「オレには難しいことは分かんねえけどよ。う~ん、、そうだな、例えば裏のタコよ! ああいう貧しい中でも必死に頑張っているやつ。ああいうやつが報われねえ世の中はまずいんじゃねえかい? 天高く上がってほしいよねぇ。オレはそう思うよ。」
それだけで、もう充分だった。
益々、私は寅さんが好きになる。
・・・・・・・・・・・
上野駅に着くと「じゃあな!」と言い残し、寅さんは人混みの中消えた。
ゴーストの寅さんは、風の吹くまま気の向くまま、今でも全国を旅しているのだろう。
寅さんに献杯!