オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

終戦記念日? 同期の桜。

 

貴様と俺とは 同期の桜
 同じ兵学校の 庭に咲く♪
咲いた花なら 散るのは覚悟
 みごと散りましょ 国のため♫

まだカラオケボックスのない時代。
当時勤めていたのは銀座線三越前近くの会社で、私は仕事帰りに同僚数人とバー(スナック?)に入り歌いまくっていた。まだ20代半ばだった。

なぜか私は『同期の桜』を歌う。
すると、奥の席の方で愉快に飲んでいた年配者(50代?)グループがこちらに顔を向け睨んでいる。
彼らは年増のママに険しい顔で何やら訴えている様子。
そして、不愉快そうに帰っていった。

???

「お客さん、あの方たちは戦時中苦労されたそうで、、、」

ママは困惑顔でそう言った。

同期の桜を歌うのは何も問題ない。
但し、普通に唄えばだ。

20代半ばといえば一番元気の良い頃で何も考えず勢いのまま。
私はネクタイを外し、それを頭に巻きハチマキ状にしてポップス風に歌っていた。まるで沢田研二の “勝手にしやがれ” を歌うように軍歌を...。

そんな歌い方すれば不愉快に感じる人がいるのは当然。
あの年配者たちから見れば (戦争を知らないガキが調子に乗るな!)と思われても仕方ない。でも、当時はそんな想像力はなかった。

このエピソードは私を知る人には何度も話し、SNS上でも何度か呟いた記憶があるので、またその話かよ?と、うんざりされるかもしれませんね?
でも、なぜかよく思い出すのです。

 


明日は八月十五日。
日本では終戦記念日とされています。

1945年。
私は1958年生まれなので、そのたった13年前ということになる。
なのに、つい最近まで日本も戦争をしていたと意識させるものはなかった。
終戦の年、父は16~7才? 母は11~2才ということになる。

父が言うには特攻隊を志願したかったが戦争は終わってしまったと言う。
母は新潟の方に疎開していたらしい。しかし、それ以上のことはあまり聞いた記憶がない。
祖母も関東大震災の恐怖はしつこいぐらい語ってくれたのだが、戦争についてはあまり話してくれた記憶がない。
私にしてもあまり興味がなく聞こうともしなかったと思う。

何故なのだろうか?
子ども心にも聞いてはいけないこと?と感じていたのかもしれませんね。


もっと色々聞いておけば良かったと私は後悔しています。戦争体験は本や語り部等から知るよりも、身内の体験談として直接聞いた方がその生々しさは全然違うと思うのです。


“特攻隊を志願したかったのに...”

普段は無口な父が、酔うとそんなことをたまに言った。

本当だろうか?
そんなバカなことがあるもんか!
あれは単なる武勇伝を語りたがる見栄っ張りなオヤジの戯言に違いない。

そこで冒頭の『同期の桜』である。

戦争については本で多少知識を得た程度で不勉強の私が迂闊なことは言えませんがあの歌詞には不快感しかありません。あの歌に込める当時の若者の気持ちは想像するしかありません。


みごと散りましょ 国のため♫

???

これは単純な意味ではなくその歌詞に込める心情はそれぞれ?

それは分かります。

でも、国のため、みごとに散る?


ふざけちゃいけない!!!


単純スポ根少年だった私のようなバカならば、それを美化して軍国少年になっていったこと確実。
そして?ゼロ戦に乗って敵艦に撃ち落とされ「○○○○バンザーイ!」と叫んで海の藻屑と消えるのだぞ。

彼らは海に散ることを誇りに思っていたのか?  否、平将門のように怨霊となって戦争を起こしたやつに復讐したいほど悔しいに決まっている。そんな彼らを「国の犠牲になった英霊」なんて美化すると呪われるぞ莫迦


『戦争は、その経験なき人々には甘美である』

そんな言葉がありますが、近頃そんな雰囲気を感じますね。

同調圧力はダメデスヨ。ホント。