幻馬伝『感情移入』
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2023/05/13/155327
からの続きです。
1976年1月31日。
長い競馬史の中で最も有名な伝説の新馬戦が行われました。
(ここからは妄想)
“ わたしが一番速い!”
シービークインは女の子(牝馬)でありながら、自分のスピードに絶対の自信を持っていた。
逃げまくってやる! 誰もわたしに追い付くことなんて出来やしない。
男共(牡馬)なんか蹴散らしてやる。
その時、シービークインの目にある一頭の姿が入ってきた。雄大な茶褐色(鹿毛)の馬体に目を奪われる。
こ、こんなのと一緒に走るの? ...
首を低くして走るその姿は、まるで背中から羽が生えているかのようで後に「天馬」と称された、あのトウショウボーイとの遭遇である。
桜花賞が女子高生たちの舞いと喩えられるならば、この時期の新馬戦はまだ中学生? シービークインは未だ女子中学生に過ぎない。
しかし、目の前のデカい奴は、同じ世代にも関わらず、どう見ても体育会系のいかつい男子大学生だ。
シービークインは気を取り直した。
トウショウボーイに畏怖を感じながらも “あんな大きな体でまともに走ることなんて出来るの? わたしのスピードに付いて来られる訳がない”
ゲートに向かうトウショウボーイは、背後から何者かの視線を感じた。
ちらっと振り返る。
トウショウボーイとシービークインの視線が交錯した。
トウショウボーイは彼女に一目惚れしたのだろう?と、想像出来る。
彼にはもう一頭の気になる馬がいた。
地味ではあるが不気味なのだ。
この馬こそ、後にテンポイントを加えた三頭でTTG時代を築くこととなるグリーングラスであった。
トウショウボーイ、シービークイン、
グリーングラスが、同じレースでデビューする伝説の新馬戦。
ゲートを飛び出すと、シービークインは果敢に逃げた。調子はいい!このまま逃げて逃げて逃げ切ってみせる。
背後から何者かが迫ってくるのを感じたが誰にも抜かせやしない。
トウショウボーイは目の前を走っているシービークインに魅せられた。
向正面、第三コーナーから四コーナーにかけて、トウショウボーイは彼女に競りかけた。並んだ、、、。
このまま、彼女と一緒にどこまでも走り続けたいと思いながら...。
シービークインも並びかけてくるこのデカい奴は怪物ではないか?と恐れを感じつつも抜かせるつもりはない。
恋のランデブー飛行?
それはまるで恋の逃避行のようだ。
これが競馬ファンに長く語り継がれてきた『赤い糸伝説』である。
直線に入るとトウショウボーイは先頭に躍り出たのだが、シービークインも必死に追い縋ってくる。しかし、彼女にもう余力は残っていない。デカい奴の背中がどんどん遠ざかる。
トウショウボーイは後続を置き去りにする次元の違う圧勝劇を演じた。
シービークインは、そんなデカい奴に畏敬の念を抱いたことだろう。
1着 トウショウボーイ
4着 グリーングラス
5着 シービークイン
これで終わっていたならそれはどこにでもある単なる新馬戦。
しかし、私のような感傷的なオールドファンからすれば、トウショウボーイとシービークインの遭遇は、お互いの初恋だったのだと思いたい。
あの第三コーナーから第四コーナー、直線に入るまでのランデブー走行はとてもシアワセだったことだろう。
初恋はこの世で最も美しいもの。
また、会いたい...。
そう思っていたに違いないのだ。
その後の両馬の活躍はご存知だろう?
TTG時代を築いたトウショウボーイは説明するに及ばず、シービークインも毎日王冠等 重賞を三勝しているが交わることはなかった。
しかし、運命には逆らえない。
引退後に念願の再会を果たす。
初恋は結ばれたのです。
そして、両馬の血を受け継ぐ馬が千明牧場で誕生したのです。
牧場を代表する馬に...。
そんな期待から “ミスターシービー” と名付けられ、母シービークインにそっくりの仔馬だったそうだ。
#
デビュー戦を華々しく飾ると快進撃が続いた。鞍上には母シービークインにも跨った吉永正人。
その後、ミスターシービーの全レースに彼が跨がることとなる。
「吉永が左右を確かめて、ミスターシービー先頭だ。大地が、大地が弾んでミスターシービーだ! 史上に残る3冠の脚、史上に残るこれが3冠の脚だ。拍手がわく、ミスターシービーだ、19年ぶりに3冠、19年ぶりに3冠、ミスターシービー!」
(杉本清 実況)
こんなことってありますか?
鳥肌が立ちました。
ミスターシービーが3冠のゴールを駆け抜けた瞬間、全身に感じた震えは忘れることが出来ません。
グリーングラス、オグリキャップ、トウカイテイオーの有馬ラストラン。
ハイセイコーの仔、カツラノハイセイコのダービー制覇、無冠の帝王モンテプリンスの初戴冠(天皇賞)等々、多くの感動レースを観てきましたが、やっぱりミスターシービーの菊花賞が一番心を揺さぶられましたね。
ミスターシービーの物語をより感動的にさせていたのは、シービーの全レースに跨った吉永正人の存在も欠かすことが出来ません。
寺山修司競馬エッセイの影響だと思いますが私は彼の大ファンでした。
個性的な騎乗をすることで有名な吉永は不器用で大舞台に弱くG1レース(当時の8大レース)に勝てないでいた。
“ アクシデントが起こりやすい馬込みは嫌い。逃げか追い込みがいい”
そんな、他者を押し退けても勝とうという性格ではなかったんですね。
そんな吉永正人に大きなタイトルをもたらしたのは、モンテプリンスの天皇賞(春)でしたが、ミスターシービーは彼をダービージョッキーに導くとそのまま三冠まで駆け上がりました。
吉永スペシャル!
逃げと追い込みを得意としていた吉永は、ミスターシービーの母、シービークインを逃げに特化させ大活躍。
それから忘れてはならないのが、コウジョウとゼンマツという追い込み馬。
この臆病で地味な吉永と似ている馬のことは以前にもここで書きました。
はるか群集を離れて「吉永正人」
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2021/09/11/155249
ところで、吉永正人が初めてミスターシービーと会った時にどう思ったのでしょうね?
“この馬はトウショウボーイではなく、シービークインにそっくりだな... ”
そう思ったかもしれませんね。
長くなりそう?
あまり長文だと読むのが面倒くさくなると思われるので次回?に続く。