オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

はるか群衆を離れて「吉永正人」

1976日本ダービー
メルシーシャダイ(16着)に跨った吉永正人は、一番人気 トウショウボーイ(2着)を羨望の目で見ていた。

それより7年後、まさか自分が天馬トウショウボーイの仔に跨ってダービージョッキーになろうとは...。
それも、自分が主戦を努めたシービークインとの間に出来た子どもでだ。

ミスターシービー、見参!

出遅れたとはいえ、ダービーでは絶望的と云われる最後方からのスタート。
常識破りの追い込み快勝劇。

夢にまで見たダービージョッキー

その時、鞍上吉永正人の脳裏に一頭の名馬が蘇ったのではないだろうか?




  ポツーーーーン・・・

  はるか群衆を離れて...



コウジョウは臆病でいじめられっ子のような馬だった。

スタートと同時に他馬と先を争って行ける馬ではなかった。
いつも馬群からポツンと離れ、それも極端に離れた位置から追走して行くのが定位置だった。
気が弱く? 他の馬がいないところをソーっと行かなくてはならない。

1971 金杯
コウジョウは馬群から30~40馬身も遅れ、たった一頭だけポツンと追走している。アクシデント発生か?
観客はどよめいた。
ところが、3コーナーから4コーナーにかけて、ジリジリと差を詰めていく。
不良馬場のハイペースで先行馬のペースがガクン!と落ちるのをよそに、コウジョウは直線に入ると最後方から猛然と前を走る15頭をごぼう抜き。
胸のすくような勝利だった。

「コウジョウはなまくらな馬。追っても追っても遅れてしまう。それでも追わないと・・・」
レース後、吉永正人はそう語った。

寡黙で不器用、自称鈍才の吉永正人は、コウジョウに自分に似たものを感じていたのかもしれない。
これは、コウジョウの一つ下の世代、同じく主戦を努めた灰色の臆病馬ゼンマツも同じだろう。


「僕は、人に迷惑を掛けるのがイヤなんですよ。馬ごみに入ると、アクシデントが起きやすい。だから、逃げや追い込みが好きなんです」(吉永正人)

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吉永正人騎乗の代表馬といえば、ミスターシービーモンテプリンスが有名だが、私はコウジョウとゼンマツが一番似合っていると思う。

ミスターシービーは才能溢れる馬であったが、ダービーを勝ち、三冠馬になったのは、吉永正人がコウジョウやゼンマツに跨った経験も大きかったと思う。特にコウジョウはミスターシービーの原型だったのだ。

日本ダービーで見せた、あのシービーの追い込みはコウジョウの魂が取り憑いていたとしか思えない。

ミスターシービーは、吉永正人でなければ三冠馬になれなかった...』


吉永正人は競馬界の力石徹(笑)。
騎手としては身体が大きく減量に苦しんだ現役生活だった。

最初の妻・富美江さんを癌で失った時は、その悲しみから。
「ただ、馬につかまって、思い出から逃げている」
と、詩人 寺山修司はそう評した。

そんな寺山修司が最も愛していた騎手は吉永正人であった。
寺山修司ミスターシービー皐月賞優勝を観ながらも、ダービージョッキー吉永正人を見ぬまま逝った。

私が吉永正人が好きになったのは、この寺山修司の影響が大きかった。

彼は競馬場を演芸の舞台に見立て、競馬を文芸にまで昇華させたのだ。

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次回の更新ではないけれど。

“ はるか群衆を離れて「寺山修司」”

として続きます(予定)。