幻馬伝『赤い糸伝説』
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2023/05/24/200615
からの続きです。
漆黒のビロードのような肌は陽光を浴びると反射するかのよう。顔付きは母シービークインとそっくりで、特にそのクリッとした瞳に見つめられると、皆、シービーの虜になったそうだ。
「まるで歌舞伎の女形のようだ...」
誰かがそんなことを言っていた。
父トウショウボーイに比較すると華奢ではあったがしなやかで全身がバネ。
その牡馬としては小柄の身体を、まるでゴムまりのように伸縮自在に躍動させダイナミックに走る。
ミスターシービーの走る姿は美しい。
昭和のグッド・ルッキング・ホースといえば、タイテエム、テンポイント、ゴールドシチー等の名を挙げる人は多いが、ミスターシービーも決して負けてないんじゃないかな?
そこで疑問。
父も母もその天性のスピードによる先行力が特徴であった。
その血を受け継いだミスターシービーも本来ならスピード馬だと思われる。
事実、デビュー戦は先行策から直線抜け出すと2着に5馬身差の圧勝。
なぜ、吉永正人はシービーを追い込み馬にしていったのだろう?
「あんな乗り方をしていたら、近代競馬では通用しない...」
シンボリルドルフの主戦ジョッキー、岡部幸雄騎手はそう評した。
それでも、吉永正人だからこそ本来はマイラー?であるミスターシービーを三冠馬に導けたのだとも。
もし、ミスターシービーが他の騎手で正攻法の乗り方をしていたら?
当時、無敵マイラー、中距離馬になっていたかもしれない。しかし、三冠馬にはなっていないと思う。
そして、あれだけファンを湧かせる華のある馬にもなっていないはずだ。
センチメンタル的に言うならば。
吉永にはかつて愛したコウジョウやゼンマツのことが頭にあった。
ミスターシービーという究極の垢抜けた馬の走りは、シービークインやトウショウボーイではなく、地味で野暮ったいコウジョウやゼンマツが原型。あの経験があったからこそシービーを三冠馬にさせることが出来た。
他の騎手では絶対に不可能だと思う。
そうとしか言いようがないのです。
(逃げや追い込みといった極端な作戦は
吉永正人ならではの職人芸です)
まぁ、シービーが追い込み馬になったのは、2戦目、3戦目にスタートで出遅れて、、その時の走りに吉永なりに閃いた何か?があったのでしょうね。
皐月賞は順当勝ちしたものの、ダービー、そして菊花賞を見据えると、距離不安のあるシービーにとって一番いいのは後方待機策。
う~~ん。
ここで偏屈者の仮説。
吉永正人はミスターシービーに嫉妬していたんですよ。
だって、自称凡才で地味な吉永にしてみればシービーは余りにも眩しい。
日本競馬史上最も華のあるシービーは
プロ野球に例えれば長嶋茂雄。
だって同じミスターですからね(笑)。
私はミスターシービー以上に垢抜けた華のある馬を知らない。(敢えて言えばトウカイテイオーぐらいかな?)
そんなシービーと吉永では余りにも釣り合いが取れない。
そのルックスも走りも究極の美形であったミスターシービーに重ね合わせたのは、冴えないコウジョウやゼンマツだったと思うと興味深いですね。
“ シービーよ、おまえはゼンマツ、コウジョウになるんだ!”
そんな思いで吉永正人は乗っていた。
まぁ、以上は冗談です。
細かいことは長くなるので省きますが
シービークインが生涯で残した産駒はミスターシービー一頭だけです。
ミスターシービーに兄弟はいない。
(競走馬の世界では父親が同じでも兄弟とは呼ばない。同じ母親から生まれた馬たちを兄弟という)
天衣無縫!
あんなダイナミックにターフを躍動し危うさも兼ね備え、多くのファンをハラハラドキドキさせた馬はいない。
鞍上の吉永正人と共に忘れられないコンビです。思いが強すぎて何を言いたいのか?まとまらない。
書き足りないことも沢山ありますが、
それは又の機会にでも。