オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

名馬 Memories アイドル編③ やつの名は?

名馬 Memories アイドル編 夜明け前
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2021/07/11/015520

名馬 Memories アイドル編② ハイセイコーオグリキャップ
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2021/07/31/165506

からの続きになります。


ハイセイコーオグリキャップ
この、競馬の歴史を動かした二頭の他に、多くのファンを湧かした名馬は?

ざっと挙げていきます。

ハイセイコーによって新たなファンを獲得した競馬界。
そこで終わっていたのならどうだったでしょうね? 違う歴史を辿っていたかもしれません。
ハイセイコーの後世代に、キタノカチドキカブラヤオーという強い馬が出てきました。競馬史に重要な役割を果たしたのは間違いないが、競馬人気という点でハイセイコーの代わりになるのは少し荷が重い。


そこで登場したのが、テンポイントトウショウボーイ。そこにグリーングラスを加えたTTG時代。

これは競馬史的に大きかった。

ハイセイコーが開拓した競馬人気を不動のものにしたのはTTG時代。
その後の競馬人気を根付かせた時代だったと思います。
あの時代があったからこそ、その後のオグリブームに繋がったのだと思う。
あの熱く、ドラマチックな時代は細かく説明するまでもないでしょう。
特にテンポイントの人気は、ハイセイコーオグリキャップに次ぐものという人は少なくありません。

TTG以降、マルゼンスキーというエイリアンのような馬は登場しましたが、しばらく冬の時代に入ります。

このままでは競馬人気が、、新たなスターホースが待望されます。

ミスターシービー見参!(笑)。

アカネテンリュウと並ぶ、私にとってのベスト・アイドルホースです。
この、トウショウボーイ&シービークインの仔が、ダービーを勝った瞬間、シンザン以来19年ぶりに三冠馬になった瞬間、鞍上の吉永正人と共に、あまりにもドラマチックで忘れることが出来ません。

時代が退屈してくると、そこに必ずこのようなスーパースターが出てくるのは歴史の必然かもしれませんね。

ミスターシービーの翌年には、皇帝シンボリルドルフ、無敗の三冠馬が登場します。
シンザンの記録を超え、あの時点では史上最強との声もありました。
強かった!
しかし、マシンのような馬で、同じ三冠馬でもミスターシービー程の人気はどうだったでしょうかね?

このように、ハイセイコーの蒔いた種。その遺産を、TTG、シービー、ルドルフ等が、しっかり受け継いだことは大きかったですね。

その成果が表れるのは?
時代は昭和から平成へ。
黄金の90年代に入ります。

90年の日本ダービー東京競馬場に20万人近い観客を集め、ナカノコールが起こり、暮れの有馬記念ではオグリキャップの奇跡のラストラン。

ハイセイコーの蒔いた種は、その後の多くの名馬がしっかり育て、オグリキャップによって満開の花を咲かせたのです。90年代は絶頂期でしたね?

ここまでの ベスト・アイドルホース候補を振り返ると?

アカネテンリュウ
ハイセイコー
テンポイント
ミスターシービー
オグリキャップ


さて、オグリキャップ以降のアイドルホースと言えば?

心に残る多くの名馬が登場しては去っていきましたが、競馬人気も成熟期に入り、ハイセイコーオグリキャップのような、社会現象になるような馬は出てきにくくなってきましたね。

天才騎手、武豊の存在が一番大きかったように感じます。

そんな中で挙げておきたい名馬は。

トウカイテイオー
ナリタブライアン
サイレンススズカ
ディープインパクト
ウオッカ
オルフェーヴル


メジロマックイーンスペシャルウィークミホノブルボングラスワンダーマヤノトップガンライスシャワーキタサンブラック、アーモンドアイ等も人気ありましたが、やはり、上記6頭、特にトウカイテイオーナリタブライアンの人気は特別でしたね?


ん?

一頭忘れてましたよ。

やつの名はゴールドシップ

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私は思うのです。

ある意味、ゴールドシップさんは、ハイセイコーオグリキャップを超えているのではないかと?


細かい説明不要です(笑)が、この馬のことは過去に記事を書いてます。

https://okeraman.hatenablog.com/entry/2020/03/21/063543



King of Idol ハイセイコー&オグリキャップ

番外として、ゴールドシップさん。

以上。

うしろの正面 だぁ~れだ?

  ツン !

   ツンツン...

ビクッとした。
ん? 今は授業中だぞ...
そっと背後を振り返ると、そこにいるのはR子である。

R子は何事もないようにジッと下を俯いていた。

お、おれの背中を軽く突いただろ?

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戸惑った。
日頃の彼女は殆ど喋らない、かなり内向的な性格の女子である。
私は彼女と言葉を交わしたことはなく、彼女が自分から人に話し掛けるところを見た記憶もない。

何か間違って...
私の背中に触れてしまっただけ?

否、違うよな。
もしそうならば、私が振り返った際に「ゴメン!」とか反応があるはずだ。いくら大人しい性格であってもだ。
なのに目も合わさず俯いているだけ。

明らかに、あの突き方は、、、

何かしら、意思がこもっていた。

ツンツン...


これは小学校4~5年生頃の記憶。
私はやんちゃな騒ぐ少年ではなかったので、休み時間になっても「おい、さっきのは何だよ!?」と、騒ぎ立てることもなく、R子の方からも何も言ってくることなく謎のままだった。

普段全然喋らないR子が、背中を突いてきたことが意外で、その後も忘れられないでいた。

何か言いたかったのだろうか?
あれは何だったのだろうか?

50年以上も経っているのだから、考えすぎて時間と共に思い出は変化するのかもしれない。
後付けの記憶? 記憶は嘘をつくとも言われるが、なぜ、あんな取るに足らない一片のエピソードが、いつまでも心に残っているのだろうか?


  “ うしろの正面だぁ~れ? ”


キューポラのある町奇譚?

今風で云えば、都市伝説というのかな?


『川口には流れ者が多い。
人さらいが出る。
子供の手を引いて荒川の土手を歩いている。』


彼女はその後消えた。
正確に云えば、クラスメートに何も告げず転校したのです。
先生は「家庭の事情」というだけで、あまりそのことには触れたがらないように感じた。

夜逃げ?

昭和40年代。
そんな、突然消える児童は珍しくなかった。

無責任な噂もありましたね。


そんなこともあり、私は背中ツンツン事件を思い出すと、それと昭和の闇を連想して怖いのだ。

名馬 Memories アイドル編② ハイセイコーとオグリキャップ。

名馬 Memories アイドル編 夜明け前
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2021/07/11/015520
からの続きです。



前回。
「日本における元祖アイドルホースはアカネテンリュウ」である。と、書きましたが、これは主観的意見です。
スポーツ紙にアイドル的存在と記された馬が、アカネテンリュウが最初だという確証もありませんから。

1972年、春の天皇賞を最後にアカネテンリュウは引退。
その翌年(1973年)、大井で圧倒的な強さを誇っていたハイセイコーが中央へ移籍。ハイセイコーブームが起こる。

このブームの凄まじさは、今更説明する必要はないでしょう。

日本競馬史上、歴史を最も大きく動かした馬は?

シンザンでも、シンボリルドルフでも、ナリタブライアンディープインパクトウオッカオルフェーヴルキタサンブラックでもない。

“ 間違いなくハイセイコーである ”

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対抗出来るのは?

人気騎手 武豊
種牡馬としてのサンデーサイレンス
ダビスタ?(ウマ娘はやめて 笑)

競走馬に限定するならば、オグリキャップだけだと思われます。


若い競馬ファンに、よく聞かれることがあります。
ハイセイコーブームと、オグリブームはどっちが凄かったの?」

比較できない。
否、比較したくない。
(ブームとしての質が違う)

ブームとしてのインパクトなら断然ハイセイコーでしょう。
中央デビュー戦となる中山競馬場に12万以上の大観衆を集めた。
あの時代ですよ、それも単なるという言い方は適当ではないかもしれませんが、G2弥生賞でです。
その後、府中競馬場NHK杯では、観衆17万という恐るべき数字...。

ナカノコールやオグリコールのあった競馬場。その後の90年代競馬ブーム。
競馬場の熱気は凄かった。
しかし、それは前時代の遺産を受け継いだ上でのもの。
特にハイセイコーが切り拓いた道の上を走っていたのだと思う。
ハイセイコー後も、TTGが、ミスターシービーシンボリルドルフらが築いていった道があった。

ハイセイコーは?

競馬場=鉄火場というイメージがあった時代に、突然登場したのです。
シンザンらが黙々と耕していたとはいえ、まだまだ荒れた大地でした。
競馬に興味のない人たちまでも目を向けさせ、賭博のイメージを払拭? レジャーの舞台に変わるきっかけを作った馬がハイセイコーでした。

競馬場の景色を、地方出身の一頭の馬ががらっと変えてしまったのです。

そういう意味では、オグリブームでさえ、ハイセイコーブームに遠く及ばない。インパクトが違いすぎる。


私は思うのです。

もし、オグリキャップが、あのラストランで敗れていたのなら? その後のオグリコールがなかったのなら?
ハイセイコーと並び称される人気馬として後世に伝えられたのか?
多分、テンポイントミスターシービートウカイテイオーナリタブライアンディープインパクトらと同程度の評価に終わったと思います。

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ハイセイコーのいた時代を知る人は少なくなりました。
それを差し引いても、オグリキャップの記憶はハイセイコーより強烈です。
ブームという現象から後世に語られることの多いハイセイコーに較べ、オグリキャップはその走り自体が伝説になっています。
それは、マスコミ先導のブームであったハイセイコーに較べ、オグリキャップのそれは、最初はそんなに人気があったとは思えなかったのに、彼の走りに人々が感動し、気が付けば大変な人気馬になっていた。
それを決定付けたのが、奇跡のラストランからのオグリコールだと思う。

勿論、ハイセイコーの走りにも感動はあり、名勝負も多いのですが、オグリキャップは特別なのです。


ハイセイコーも、オグリキャップも、あれだけの過酷なローテの中、引退するまで故障もなく走り続けた。
それが、国民的アイドルホースになった最大の理由でしょうね。

どちらも、アイドルという称号に違和感あるほどの実力馬(特にハイセイコーの真の実力を誤解している人は多い)ですが、歴史的人気馬といえば、この二頭が圧倒的だと思います。

アイドルホースを語るということは、ハイセイコーオグリキャップを語るということ。



次回はこの二頭以外の人気馬を。
特に、記憶に新しい? あの馬は時代が時代なら(笑)...。

三日とろろ 美味しゅうございました。

父上様母上様三日とろろ美味しゅうございました。干し柿モチも美味しゅうございました。
敏雄兄姉上様おすし美味しゅうございました。


(中略)


父上様母上様幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒 お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。


前回の東京五輪(1964)、マラソン銅メダリスト、円谷幸吉の遺書。

この遺書は人々の心を突き刺す。
当たり前だろう...。

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文豪川端康成をして。

「売文の徒である私は・・・己の文章を恥じ自身を問責し絶望する。社会の辛酸をなめた大人は、時として、子供の純朴さに触れるとき、己の穢れた姿をみるのだろう。」

と、述べている。


円谷幸吉の物語は、沢木耕太郎著『敗れざる者たち』の中に収録されている、「長距離ランナーの遺書」をオススメしたい。
涙なしには完読できませんね。


国家の犠牲?
家(族)による過剰な期待?
個人の思いより、国の代表としての意識を優先させるのが美徳とされた?
今風に例えるならば、パワハラの犠牲者と言えるかもしれない。

でも、それを昭和、戦後という時代の空気、風潮のせいにばかり出来るのだろうか?

厳然と現在でも残っていますよ。

「私がここまで来られたのは、周囲の支えがあったからです...」
周囲の期待に応えるというプレッシャー。
地元のために、会社のために、母校のために、支えてくれた周囲のために、そして家族ために。
そういう考え方はやめませんか?

スポーツに限らず、様々なプレッシャーで苦悩している人は多いはず。

組織のため、悪に手を染める・・・。

円谷幸吉のように繊細で純粋なひとならば、そりゃ自死を選びかねませんよ。


そこで、周囲の期待より己の夢を胸に、ワガママと言われながらも海外に渡った野茂英雄のことを思い出すのです。




多くの問題を残して、今日開幕する
2021東京オリンピック

ここへ来て、また一悶着ニ悶着ありましたね。
オリンピックは何のためにあるのか?

純粋なスポーツの祭典ならいいけれど、一部の銭ゲバ野心のためならば、オリンピックという祭典は終わりにした方がいいですね。個々スポーツの世界大会があるのだから。

このブログを書きながら、多くの政治家や竹中平蔵の顔が散ら付いてイラッ💢としてくる。
唾棄したい程です。

ホッピー通り☆泥沼男

最終レース。
おれは期待の馬券をポケットに突っ込むと、その酒場に入った。

「ごめんなさいよ! 生ビールと枝豆もらおうかな..」

「はい、生ビールと枝豆ね!」

しかし、テンションの高い店員だな。

おれは新聞を広げると、競馬中継をやっているテレビに目をやった。
生ビールを喉に流し込む心地良さ。
枝豆はビール最高の友である。

“ もう、そろそろ大きな馬券を的中させてもいい頃だよな ... ”


最終レースが始まった。

予想通り軸にした馬が来た。
そして、狙っていた人気薄⑧番の馬が逃げて逃げて粘り抜いている。
おれは心の中で “このまま、このまま” と、絶叫していた。
万馬券だぞ! やった、やった~!

その時である。
大外から一頭すっ飛ん来る馬、発見。

( 」`Д´)」<おおおおお!

ギャ━━━Σヾ(;`・Д・)ノ━━━!!!!


茫然自失。
無意識のうちに、店内で叫んでしまったようだ。
ハズレ馬券を握りつぶし、生ビールのジョッキが震えている。
気を取り直し、周囲を見廻すと、皆こちらを見ている。
目が合いそうになると、その目を逸らすやつがいる。クスクスと、笑いを堪えている女もいた。
恥ずかしい、、いたたまれなくなったおれは、目立たぬようそっと店を出た。枝豆しか食ってねぇ。

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一瞬の夢だった。
あの馬さえやって来なければ...。
それもこれも、鞍上福永祐一のせいなのだ。大人しく後ろのほうにいれば万馬券、150倍以上はついていたはずで、5百円が7~8万円に化けていた計算だ。
福永祐一くん。
己はおれをおちょくっているのかい? おれが買えば馬群に沈み、買わないと馬群を鋭く抜け出してくる。恨みでもあるのだろうか?

夕暮れの浅草ホッピー通りを、心の中で、福永祐一を罵倒しながら、夢遊病者のようにおれは歩いている。

万馬券的中なら、今頃は浅草すしや通りで、まぐろ、うに、イクラ三昧だったはずだ。しかし、福永祐一が意地悪したおかげで、おれは安酒場で焼き鳥と胡瓜を肴にホッピーを飲むはめに。


悪酔いしたのだろうか?
気が付いたら終電近くまで飲み歩いていたようだ。
越谷に向けて浅草は始発駅。座れてしまうんですよね。酔に任せて、おれは心地好い眠りに入ったのだろう。

「北春日部、終電です!」

駅構内放送に酔いが覚めた。

やばい! 越谷を通り過ぎた。

おれは急いで戻るため、ホームを走り階段を駆け上がった。

「一番線、上り最終、出発します!」

間に合わなかった。

呆然と一番線ホームから、おれは遠ざかる電車を見送るのであった。

財布の中身は千円もないだろう?
タクシー代はない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上は限りなく事実に近い妄想です。
馬券泥沼男なんて、大抵はこれに近い経験をしていると思いますよ。
馬券は希望と期待です。
自信を持って投票した馬券なんて一度もないですね。
競馬に絶対なんてない。
絶対と思ったのは、キタノカチドキ皐月賞ぐらいかな?
でも、そんな馬券を買ってもリターンは極少。所詮、万馬券なんてドリーム、運が左右する世界なんです。
(資金力のある人は別)
それでも、どんな泥沼にハマろうと、競馬バカはそれが楽しいんですよね。

新型コロナ自粛騒動で、しばらく競馬場にも浅草場外にも行ってないな。
どうも、私はネットと相性が悪いらしく、ネットで買うようになって回収率が惨劇になってきた(笑)。

早く、正常な世の中になって、皆さんと競馬場で逢いたいですね。

福永祐一騎手、ごめんなさい(笑)。

名馬 Memories アイドル編 夜明け前

王者編、怪物編、天才編に続き、今回からアイドル編といきます。

アイドル?
どうしても芸能界アイドルを連想し、一部?(私も..)に、あまり好いイメージを持たない人もいるかと思いますが、名馬でのアイドルは違う意味合い。


『多くのファンに愛された存在。
成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍した名馬。』


まだ、競馬場が鉄火場だった時代。
私が競馬に興味を持つ、、否、生まれるずっと以前から活躍した馬の中にも、多くの人気馬は存在しました。

強さ=人気だったのかな?

きっと、女傑クリフジ等は人気があったであろうし、初代3冠馬セントライトも、それなりに人気があったのでしょうね?

幻の馬トキノミノルは、そのドラマチックな生涯から大変な人気であったそうで「初出走以来10戦10勝、目指すダービーに勝って忽然と死んでいったが、あれはダービーに勝つために生まれてきた幻の馬だ」
という、作家吉屋信子さんが毎日新聞に寄稿した文章はあまりにも有名です。
この馬は『幻の馬』というタイトルで映画にもなり、元祖アイドルホースであったかもしれませんね。

日本競馬史上最高峰の名馬、シンザンも大変な人気があったでしょうし、先輩競馬ファンからは、メイズイの人気も度々聞かされてきました。

でも、それは競馬サークル内限定の人気ではなかったでしょうか?
競馬というスポーツは、まだまだマイナーであって、鉄火場のイメージが付き纏っていたと思うのです。
とは云っても、私の知らない時代。多くを語る資格は私にはありません。
ただ、シンザンは競馬界夜明けのために、黙々とその大地を耕していたであろうことは想像できます。


1971年。
ひとりの少女が歌手デビューします。

南沙織

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私の記憶するところ “アイドル” という言葉が一般的になったのは、この南沙織からだと認識しています。
それ以前は、青春スターと言っていたのかな? 60年代のグループサウンズや、後のジャニーズ、フォーリーブスにしても、アイドルという呼ばれ方はしていなかったと思う。
南沙織から始まり、天地真理新御三家麻丘めぐみ、花の高三トリオ等に続く。それがアイドルの始まりだったのかな? 芸能界のことはあまり詳しくありません。

そんな時代に活躍していた人気馬に、私が歴代で最も愛していたアカネテンリュウがいました。
はっきり憶えています。アイドルという言葉が一般的になった、当時最も人気があったアカネテンリュウのことを、アイドル的存在と紹介した記事を。報知新聞だと記憶します。

いやぁ~!
アカネテンリュウは人気あったなぁ。
二年間に渡るスピードシンボリとの有馬記念は、有馬記念史上屈指の名勝負であったと思うし、そんな有馬記念ファン投票でも2年連続1位になった程の人気。
王者スピードシンボリに挑む若きアカネテンリュウの姿に、ファンは感情移入したのだと思う。
アカネテンリュウの登場により、鉄火場であった競馬場に、少し光が射したように感じます。

私の(知っている)中では、日本における元祖アイドルホースはアカネテンリュウだと認識しています。

なぜか、アカネテンリュウを思い出す時、私は南沙織のことも同時に思い出すのです(笑)。彼女もまた、私が最初に好きになったアイドル歌手だったからです。


競馬界がメジャーになる夜明け前。

アカネテンリュウが引退した翌年に、とんでもない馬が地方から中央へやってきます。


King of Idol 大本命。

ハイセイコーの登場です。

次回に続きます。

再掲 下唇を噛む娘

今週は過去の記事再揚でお赦しを。
ちょっと疲れ気味で頭がまわらない。

以下は、2020 6/14 のものです。


若いころ 読んで、いつまでも心に残る一篇の詩があります。
これを読んだあとは、いつも腕組みをし “ う~~ん...” と、天を仰いで考え込んでしまうほどです。
心のやさしい人ならば、誰にでも思い当たりのある?心の風景、葛藤ではないでしょうか。
少し長いのですが、この感動の詩を紹介しようと思います。



『夕焼け』   吉野弘


いつものことだが
電車は満員だった
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりがたっていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが座った。
礼も言わずとしよりは次の駅で降りた。

娘は座った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。

娘は座った。
二度あることは と言うとおり
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。

次の駅も
次の駅も
下唇をキュッと噛んで
身体をこわばらせて....

僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。

何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。

やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。


         ー 以上 ー



どうでしょうか?
真っ当な心の持ち主ならば、この娘の気持ちは痛いほど分かりますよね?
新コロ騒動で人々の利己的な行動を見るにつけ、この娘の心情が染みる。

弱肉強食の競争社会。

「やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。」

このような心やさしい娘を「どんくさい」等と言って、イジメの対象にする人非人も少なからずいそうで嫌です。


私もこの娘のような経験あるな...。

でも私は、この娘に較べだいぶ心が汚れているので、座っている私の前にお年寄りが来れば、表面上は親切そうな笑顔を浮かべ「どうぞ、どうぞ」
でも、心の中では...。

“ こっち来るんじゃねえよババア(ジジイ)! オレは疲れてんだから、向こう行けよ。シッシッ! ”

と、正直思うこともあるだろう(笑)。
まぁ、見てみぬふりよりはマシですけどね。

ふと、思いが自分の老後に及ぶ。

もう10年もしたら、おれも席を譲られるのかな?
心の美しい娘の前には行かず、へらヘらとスマホでゲームをしている若者の前にわざと立ち、席を譲らんかったら「けしからん!」と、磯野波平のように怒鳴り、若者の肩口を杖でペシン!と、叩いてやろう。
そうしよう(笑)