オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

聖地 競馬場で逢おう。

酒場詩人、吉田類の言葉を借りるならば。


“競馬場という聖地へ 穴馬を求め 万馬券を求めてさまよう…。”


コロナ渦による緊急事態宣言にて、不要不急の外出自粛。
目の前に、競馬場という聖地がありながら「無観客開催」という現状。
競馬ファンならば、この例えようのないストレスは理解いただけると思う。


インターネットでも馬券は買えるじゃないかって?
世間の目なんて、まだまだ 競馬=ギャンブルなんですよね。
競馬ファンとギャンブラーは、本質的な意味では正反対の人種だと私は思っています。


善良な人が尋ねる。
「なんで、何を考えているかも分からない、馬なんかに賭けるんですか?」

そんな、冷笑を込めた質問に私は、

「馬だから賭けるんです。人間なんかには賭けたくありません」


ひたすら走り、時には感情をあらわにしながらもゴールを目指す競争馬。
彼らは口を利けず、態度にでる事はあっても言い訳はしない。

世代交代が早く、親子二代、三代におけるライバル関係が実現する感涙ものは競馬だけの世界でしょう?
時には三流四流の呪われた血が、一流たる華麗なる一族に復讐することだってある。
だからこそ、競馬は観ているものの胸を打つ。スペクタクルの末に大きな感動がやってくるのです。


《勝った馬も敗れた馬も全てが美しい。》


詩人 寺山修司は言いました。

競馬ファンは“馬券”を買わない。財布の底をはたいて“自分”を買っているのである」

その通りであると思う。


コロナ禍の中、ストレスがたまっているのは、勿論、競馬ファンだけじゃないでしょうね。


まだ数カ月しか経っていないのに競馬場が懐かしい。

新コロちゃんが去ったら・・・。


競馬場で逢いましょう。