オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

妄想・オケラ街道の少女(13)一番センター〇〇くん!

中学卒業アルバムをめくりながら、おれは中山競馬場帰りに会った50年前のおれのことを思い出していた。
あの少年の脳内は遠い日の少女静香ちゃんのことで、その妄想でいっぱいのはずだ。しかし、少年は年が明けると高校受験そして中学を卒業しなくてはならないのだ。
アルバムの中のおれは何故かしかめっ面をしている。今日会った少年そのものだ。
そんなおれの近くに須藤美樹(仮名)の姿があった。その頃はまだ気付いていなかった。おれは恋多き少年だった。


・・・・・・・・・・•・・・・・・・
須藤美樹のことは以前書いてます。

恋文の想い出(前)
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2022/01/23/171138
恋文の想い出(中)
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2022/01/29/001521
恋文の想い出(後)
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2022/02/03/234803
初恋
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2020/11/15/061346
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そして、アルバムを閉じた。

懐かしい静香ちゃんが、あれから又、あの街に戻り同じ中学に通っていたというのに、そして恋い焦がれていたというのに、とうとう何もコンタクトすることなく卒業してしまった。いつも校内で彼女の姿を追い求めては遠くから眺めているだけ。向こうから気付いてくれないかなんて都合の良いことを考えていた。
静香ちゃんは一学年下で、卒業アルバムの住所欄にその名前はない。

中学の卒業アルバムを閉じると高校卒業アルバムを取り出してめくってみた。
地元の公立高校を落ち、おれは都内の私立高校に通っていた。アルバムの中のおれは中学時代より表情が柔らかくなり、いたずらっぽい笑みさえ浮かべている。

 

高校に入ると生活はがらりと変わった。
そんな中で最大の変化は新たな交友関係が生じたことなのかな? そして、野球部に入ると毎日の練習でクタクタだった。
新たな生活、あんなに恋い焦がれていた静香ちゃんのことも忘れかけていた。

そんなある日、夢の中に中学の同級生 “須藤美樹” が出てきた。三年間同じクラス、同じ陸上部に所属した彼女は、女子と話すことが苦手だったおれでも比較的話しやすかった。特別美人とか可愛いという訳ではなかったが、クールでシュッとして影のあるタイプだった。中学時代は気になる存在ではなかったがもう会えないと思うとたまらない気持ちになった。

須藤美樹の夢を見たおれは、彼女のことが好きだったのだと初めて気が付いた。

中学の卒業アルバムで須藤美樹の住所、電話番号を確認すると住宅地図を頼りにその家を探し出した。電話をしたこともあり、一度は留守、一度はお父さんらしき人が出てきたので無言で切った。名乗らなかったので、彼女はおれが電話してきたことは知らないだろう。

おれはいつか須藤美樹に告白しようと思いながらも気が付けば半年近く過ぎていた。もし、あの頃、須藤美樹と再会し告白していれば? きっと付き合うことになっていただろう…と、自惚にも似た妄想を抱く。

ふと、中山競馬場帰りに出会った、あの頃のおれである少年のことを思い出した。

”ダメだ! あんな不器用で頼りない少年が告白なんてしたのなら、顔を赤らめ絶対素っ頓狂なことを言ってしまうに決まってる”

 

高校に入学したのは1974年。

その年は部活の野球に暮れる日々。監督がやたら熱血で練習がきつい。授業中おれはノートの端に藁人形の漫画と監督の名前を書くと呪いの歌を心の中で歌っていた。それでも辞めることなく三年が退部すると、一年秋で外野一角のレギュラーポジションを奪った。足の速かったおれはトップバッター、センターに固定される。

その年の10月14日に憧れのミスターこと長嶋茂雄引退試合があった。この試合は後に三度の三冠王に輝く落合博満が会社をサボり後楽園に足を運んだというエピソードもあったな。
そして、暮れの有馬記念ハイセイコータケホープの最後のレースだというのに、空気を読まないタニノチカラがまんまと逃げ切ってしまった。そんな一年であったが、おれの頭の中にあったのは常に須藤美樹の姿。恋というものは本当にしつこい。

 

 

そして、1975年。
おれは高校2年になっていたが、此処で既述したように(妄想・オケラ街道の少女(9)ストーカー)、あの日を迎える。
川口駅バス停留所で静香ちゃんと再会(と言っても、こちらから一方的に眺めていただけ)したのだった。圧倒的な美少女。欠点があるとすれば、当時172cmだったおれと同じくらい背が高かっただろう。しかし、それは逆に彼女のスタイルの良さを強調している。
須藤美樹に思いを残したままおれは静香ちゃんのストーカーと化した。同時期に二人の女子を好きになったおれは恋多き少年だったが、情けないことにアクションを起こす勇気はない。

 

「見てくれこの脚!見てくれこの脚!これが関西の期待テンポイントだ!」

 

その年の暮れ。
一頭の競走馬がデビューする。

”わが青春のテンポイント“ への道

 

つづく。

 

 

妄想・オケラ街道の少女(12)あっしには関わりのないことでござんす。


少年は吸い込まれるようにカウンター席のおれの横に腰掛けた。
こんな子どもが、汚い競馬オヤジばかり集まる酒場に一人、、、補導されても知らねえぞ!とも思ったが、「あっしに何か用でもあるんで?」と聞いてみた。
この時、既にこの少年が50年前のおれ自身であることに気付いていた。
少年は「おじさん、お酒飲みすぎ、もっと良いもの食べないと…」と、あの頃のおれのくせに生意気なことをのたまふ。

チグサにも同じことを何度も言われたが、彼女は表情豊かで妙に説得力があった。それに較べこの少年はあまりにも口下手だ。おれは苦笑いを浮かべるしかない。

「おじさん、こんな聖夜に独り飲んでるなんて孤独なんですね?」

こいつ! あの頃のおれのくせに、50年後のおれに向かって何てこと口走るんだ!一番痛いところを突いてきやがった。少年の澄んだ瞳でそう言われると現在のおれの生活を見透かされているようでムッとした。

「余計なお世話でござんすよ…」

少々きつい口調で言うと、少年は叱られたと思ったのか? 下にうつむき黙り込んでしまった。少年よ、お前はそういう気弱なところがあるんだよ。お前は自分のことだけ考え他人には無関心だったはずだ。軽はずみなことは口に出さない方がいい。おれは悄気返っている少年がちょっぴり可哀想になってきた。

「お前さん、腹は減ってないかい?」
「・・・・」

目の前の少年は50年前のおれなのだからその好みはよく知っている。

「すいません! コーラと、、鶏の唐揚げと焼売をこの少年にやってくれ。それから、ホッピーの中(焼酎)、おかわりもね」

少年は旨そうに鶏唐揚を食べながら言う。

「おじさん、競馬新聞見てたけど、有馬記念ハイセイコー負けちゃったね。まさかストロングエイトが勝つなんて、、」

流石はあの頃のおれだ。生意気にも競馬を語ってやがる。お前、まだ15才のコゾーだろ? 確かに50年前の有馬記念ストロングエイトが勝ったのだ。おれは競馬新聞をカバンの中に隠し入れた。何故だかこの少年に未来のことは絶対知られてはまずいという気がした。

「ケツの青いガキが、賭博(競馬)なんぞに興味を持たねぇこった! それより、来年は高校受験を控えてんじゃござんせんか? こんな処で焼売なんて食べてる場合じゃないんで…」

少年はプライベートなことを聞かれると押し黙ってしまう。

おれは少年と取り留めのない話をした。
性別、姿形、性格、、全く違うチグサに対しても “あの頃のおれだ!” と感じたのものだが、それは一種の比喩として感じたものであって、この少年はおれそのもの自身だ。
勿論、分かっちゃいる。チグサも、この目の前にいる少年もおれの妄想が生んだ幻視だということを。それでも、この妄想ともう少し遊んでみようと思った。

 

おれは一番気になることを聞いてみた。

那須野千草という、お前さんと同じくらいの年頃の少女を知らねぇか?」

「少女? ナスノチグサって、今年のオークス馬だよね?まだ4才だよ。ボクは15才…」

「知らねぇならいいんで…」

この少年はチグサが変幻したものであって中身は同じ存在のような気がしたのだが…。

「ならば少年! 〇〇静香という、お前さんと幼馴染の女の子は知ってるな?」

「・・・・」

少年の顔色は明らかに変わった。

 

おれはこの少年の歩んできた15年もこれから歩むであろう50年も全て知っている。何を考えているのかも手に取るように分かる。目の前にいるのは50年前のおれなのだから当然だ。

余計なお節介でござんしたか?」

顔色を変え押し黙ってしまった少年をからかってやりたい衝動に駆られたが、おれはそんな野暮な男ではない。静香ちゃんの名前を出されれば少年は正常ではいられない。なぜなら、この頃の少年(おれ)は静香ちゃんに恋していたからだ。その気持ちは誰にも打ち明けず心の奥にそっと仕舞い込んでいた。おれはそういう引っ込み思案な少年だったのだ。それが、こんな胡散臭いオヤジ(50年後少年)の口からその名前を出されれば動揺するに決まっている。

 

かわいそうに、、少年よ。
この4年後失恋するのだぞ。お前にはこれから起こることかもしれないが、もう過ぎてしまったこと。運命は変えられない。

「少年! 答えたくなければ黙ってる方がお前さんらしくていい。でも、恋は美しいもんでござんすよ。それに儚いもんで…」

おれは柄にもないことを少年に言い聞かせようとしている。

少年はおれを訝しそうな目で「恋?」と小さな声で呟いた。


「そうさ、、お前さん、静香とかいう少女に恋してるんじゃござんせんか?」


少年はきっと、“何故このオヤジはそんなこと知ってるんだろう?” と、不審に思っていることだろう。あの頃のおれは、そんな時、言葉に詰まるとそれをごまかそうと理由の分からないことを口走ってしまうクセがあった。


「こ、恋なんて、、 あっしには関わりのないことでござんす」

 

 

???
この少年は何を言っているのだ…。
阿呆なのか?
当時、人気時代劇 木枯し紋次郎のこのセリフは流行語にもなったが、ジョークのつもりなのか!? 唐突にも程がある。
ほら見ろ! 自分の言ったジョークに顔を赤らめているではないか? 聞いているこっちだって恥ずかしくなる。

ジョークというものは、、躊躇いながら言うものではない。なのに、お前は真顔ではないか。相手の顔色なんて気にするな!自信を持て! 否、お前はあの頃のおれなのだから仕方ないか、、そんな少年だった。

 

目立たぬように

はしゃがぬように♫

似合わぬことは無理をせず ...

 

河島英五『時代おくれ』の一節が頭の隅から流れてきた。

目の前の少年が生きている時代(1973)から13年後?に発売された大好きな曲だ。

 

「少年! これから色々あると思いやすが、まだまだケツの青いコゾーだ、もっともっと背伸びして似合わぬことをやれるのも今のうちですぜ。お前さんは消極的すぎる…」

 

もう過ぎてしまったことで手遅れだが、過去の自分に言い聞かせた。少年はそれを神妙なふりをして聞いていた。おれの話なんか聞いちゃいない。今、こいつの頭の中は、静香ちゃんの名前を出されて混乱しているだけ。こいつはおれ自身なのだから分かっている。

こんなガラの悪い酒場で、無愛想な少年相手にいつまでも飲んでいるのも異様なので、ホッピーの中身が空になると少年と共に店を出た。

 

今日の有馬記念

オケラ街道でチグサに会えると思って来た。しかし、チグサではなくあの頃のおれに会った。

これは偶然ではないような気がする。おれもチグサも少年も存在は同じなのかもしれない。

 

「少年、お前さんの名や棲家等の私事は聞かねえが、余計なお節介かしれないが、もし、帰る処なければあっしんとこ寄ってくかい?」

 

「先を急ぎやすんで、失礼いたしやす…」

 

駅の改札口で少年と別れた。

 

チグサと初めてオケラ街道で会った日。

おれはこんな少女を放っておくことが心配で、拾って連れて帰った。

快活で世渡りが上手そうなチグサに較べて、この少年は更に頼りなく不器用で大丈夫かな?とも思ったが心配はないだろう。あの頃のおれは人一倍フットワークが軽く内面の強さも持っていた。おれ自身なのだから全然心配ない。

チグサも少年も実際には存在しない。

 

部屋に戻ると、再び中学時代の卒業アルバムを捲った。思いは1974 〜 1977へ。

 

わが青春のテンポイント

 

つづく。

 

 

 

 

 

妄想・オケラ街道の少女(11)謎の少年。

嫌な夢だった…。
チグサはおれの顔を見ると子犬のように尻尾を振って寄って来ると思っていたのは自惚れだったのか? 信じられないことにシカトされたのだ。 おれのことなんか眼中にないかの如く一瞥もくれない。
否、向こうからやってきたチグサと行き交う際、チラッと横目を送ってきたようにも感じられる。おれが誰かなんて気付いていない。只の通行人でしかない?
違う!行き交ったチグサの表情はゾッとするほど冷淡だった。あれは気付いていながら無視している目だ。
何故、たかが夢のことでこんな気分になるのだろうか?

 

一週間はあっという間に過ぎた。
2023年12月23日 第68回有馬記念を翌日に控え、おれは近くの焼鳥屋でいっぱいやっていた。下馬評ではこの年の天皇賞(春)を勝っているジャスティンパレス、去年のダービー馬ドウデュースが人気を集めているようだが、絶対王者イクイノックスが去ったあとでは、その人気も割れている。
” 頼むぞ タイトルホルダー!“
おれは、この有馬がラストランになるタイトルホルダーという馬に夢を託すことに決めていた。そんなことを考えていると
往年の名馬グリーングラスにその姿が重なったのだ。思い出のグリーングラス…。

“中山の直線を流星が走りました! 
テンポイントです”

競馬史上最高の名勝負。
あの時、グリーングラステンポイントトウショウボーイに続く3着。
4着はこの年の菊花賞プレストウコウだったが前の3頭(TTG)には6馬身も遅れていたのだ。私はTTGの強さに震えた。
”その日、おれは失恋した“

 

翌日、おれは昼前に中山競馬場に辿り着くと、有馬記念までの数レースの馬券を買った。自称(競馬場の)オケラマンであるおれはいつものように馬券は屑と化す。
有馬記念を勝ったのはドウデュース。
タイトルホルダーは惜しくも3着で、おれの馬券に絡むことはなかったが、この馬なりには頑張ったと思う。そんな馬券のことよりも、この秋パッとしなかったドウデュースと、怪我から復活した武豊の好騎乗に、名コンビに痺れる思いだ。

てくてくてく、、、
           てくてくてく、、、
                     てくてくてく、、、

いつものように馬券は当たらない。
おれはクリスマス・イブのオケラ街道を両手ポケットに突っ込み、背中丸め俯き加減に歩いている。
中山競馬場まで足を運んだのは、オケラ街道にチグサがいるような気がするからだ。チグサはおれの妄想が生み出した幻想?幻視?だと分っちゃいるけど、何の根拠もないのに、又、あの場所でやせっぽっちなチグサが、バンビのように震えながら蹲っているに違いない。

しかし、チグサの姿はなかった。
後ろからやってきて、おれの目を塞ぎ「うしろの正面だーれだ?!」なんてこともなかった。チグサは存在しなかった。
いつか、チグサと一緒に入った蕎麦屋の前を通ると、もしかしたらチグサがいるかもしれないと期待を胸に覗いてみた。
いない!
思いきる(忘れる)ことにしよう。
チグサはただの数枚の馬券にすぎなかった。チグサはおれの妄想にすぎなかったのだ。寺山修司風にいえばそういうことだろう。それでいいのだと思う。

 

無性に酒が飲みたくなった。
おれは西船橋駅近くの知っている焼き鳥屋に入った。
「黒ホッピーセットね。それにモツ煮込みと、焼鳥はネギマ、ボンジリ、砂肝を塩で2本ずつ。イカの塩辛もね」
おれは静かに一人飲んでいる。ほろ酔いになった頃だろうか、、店に一人の少年?が入ってきた。一瞬、おれはチグサかと思い立ち上がりそうになるが、チグサにしては背が高く女の子ではなく男の子だ。
こんなウマキチの汚いオヤジばかりいる焼き鳥屋に、少年の姿は頼りなく似つかわしくない。違和感、、、。

この少年、、何処かで見た記憶がある?

少年はカウンター席のおれの横に腰掛けると酒肴を覗いている。

「少年!あっしに何か用でもあるんで? こんなとこに一人で? 誰か大人と一緒ではござんせんのかい?」

「おじさん、あまりお酒飲まない方がいいと思いますよ。それに、もっと良いもの食べないと血圧上がるよ…」

おれは少年の顔をまじまじと見つめた。
この構え気味でシャイそうな感じ。
こいつはあの頃の、、50年前のおれではないか? 間違いなく少年時代のおれだ。

 

「おじさん、こんな聖夜に独りで飲んでるなんて孤独なんですね?」

違う、、少年時代のおれは、こんなズケズケものを言うガキではなかった。

「余計なお世話でござんすよ…」

怯んだのか? 少年はうつむいてしまった。

こいつはあの頃のおれだ!

 

つづく。

 

 

妄想・オケラ街道の少女(10)警告

部屋の片隅にチグサの存在を感じた。
しかし、それはまだ忘れることの出来ないチグサへの残想だ。
あの日、西船橋から武蔵野線に乗ると窓景色の向うからチグサがおれに向かって手を振っていた。どんどん車窓から後ろ後ろへと遠ざかるチグサ。
あれは、おれの幻視だったのだ。
詩人寺山修司の言葉を借りるならば、チグサは(50年前の)おれの比喩、否、おれがチグサの比喩なのかもしれない。

スマホに目を向けると、来週行われる第68回有馬記念の出走馬が目に入る。天皇賞(秋)ジャパンCで圧倒的な強さを魅せたイクイノックスは引退。そのジャパンCでイクイノックスの2着と好走した牝馬三冠リバティアイランドも出走回避。それでもそこそこのメンバーは揃っている。おれは有馬を最後に引退表明のタイトルホルダーに感情移入しているのだ。

ふと、チグサと有馬記念の連想から50年前の有馬記念を思い出していた。ナスノチグサは出走していなかったなぁ、、、。
地方から来た怪物ハイセイコーは、ダービーで3着と敗れてから、京都新聞杯では2着、本番菊花賞でもライバルタケホープの鼻差2着と惜敗続き。
今度こそ! 当時中三で翌年受験を控えていたにも関わらず、一週間前からドキドキして勉強どころではなかった。

ハイセイコーは敗れた。3着だった。
勝ったのは人気薄10番人気のストロングエイト、2着はハイセイコーと同世代牝馬ニットウチドリ。ハイセイコーと人気を分けたタニノチカラは4着だった。
まともなら、タニノチカラ以外には負けるような相手ではない!
ハイセイコー日本ダービーで燃え尽きたのだろうか? おれは放心状態だった。

ん? 2着ニットウチドリ。
ここにも那須野千草がいたんだな…。
ニットウチドリはこの年の牝馬クラシック世代でナスノチグサ、レデースポートと共に牝馬3強と云われていた。そんなニットウチドリを通しておれはチグサのことを再び思い出す。

手元にある焼酎のロックをグビグビやりながら、スマホで過去の有馬記念勝馬に目をやる。1973ストロングエイト、1974タニノチカラ、1975イシノアラシ、1976トウショウボーイ、1977テンポイント

1977 テンポイント???
“わが青春のテンポイント”  静香ちゃん。
あの日、おれは静香ちゃんに失恋した。

不思議な感覚だった。
焼酎のロックがおれの肉体を蝕んでいる。
「おじさん、もう歳なんだから、、あんまりお酒飲まないほうがいいよ」
「むむむ! チグサおるのだろう? 隠れても無駄じゃ。 出てくるのじゃ…」
なぜ、おれはチグサの空耳に、誰もいない部屋で叫んでいるのだろう?
焼酎ロックがおれの肉体だけではなく、精神までも蝕んでいるのか?

最初に自分の体調異変を感じたのは今から10年ほど前? 50代半ばだったような気がする。それまでのおれは、同年代なら誰にも負けない健康体と慢心していた。
それでも、どこかおかしいぞ、、、と、明確に自覚したのは還暦過ぎあたり? じわじわ痩せてきたのだ。そして、健康診断を受けてみると、血糖値、HbA1c がとんでもない数値を示していた。それから、ガクンと体重が恐るべき早さで減った。

「このままでは入院、インスリン自己注射するようになっちゃうよ!」
ガタイのいい女医に怒られた。(そんなに怒らなくてもいいのに、、女医さんよ、アンタ、おれより10以上年下だろう? おっかねーんだよ。パワハラかい?)
それからというもの、徹底的に食生活を変えた。軽い運動も欠かさない。毎日飲んでいたアルコールも週に2〜3度少量飲む程度。その結果、劇的に数値が下がってきた。おれは神経質なので、一旦、自己管理を始めると度を超えてしまう。

違うんだよチグサ。
お前は「あまり飲みすぎないで…」と心配してくれるけど、おれはきちんと自己管理はしている。飲み過ぎるのはお前と一緒の時だけ。普段はそんなに飲んじゃいないんだからな。

そうだろうか???


血糖値、HbA1cが劇的に下がったことをいいことに、又、じわじわ増えてきているのは間違いない。飲むのは週末に限るのだが、一回の酒量がかなり増えてきた。
現に、今こうして焼酎ロックを何杯も飲んでべろべろではないか。以前はほろ酔いで抑えていたのが、糖質、プリン体0の安心感なのか? 酔うと抑えが効かない。

そうだったのか?
あれは「警告」だったのだ。
50年前のおれが、50年後のおれの前に、チグサという少女となって警告しにやってきたのだ。


また、チグサの気配を感じた。
もう、本当にチグサと会うことはできないのだろうか?

来週の有馬記念
中山競馬場に行ってみよう。
帰りのオケラ街道に、チグサが痩せた身体でバンビのように蹲っているはずだ。
なぜか、そんな気がする。
チグサをもう一度拾いに行こう。

その夜、飲み過ぎたおれはそのままソファーで眠ってしまった。おそらく、チクワとキャベツ位しか食べていない。身体に良い訳がない。そして明け方夢を見た。

夢の中のおれは18〜19の若者? 静香ちゃんが住んでいるであろうマンションの前にいる。もう、その頃は、あの長身の美少女が幼馴染みの静香ちゃんであることは分かっていた。あのバス停で一緒になった時に追跡してマンションの表札? あの静香ちゃんと苗字が同じだったことを確認していたのだ。それからというもの、何度も用もないのにそのマンションの周囲を自転車で周回しては、偶然にでも静香ちゃんと出くわさないかと期待していた。

マンションの入口から出てきたのは静香ちゃんではなくチグサだった。チグサはおれを無視してそのまま行ってしまった。

 

つづく。


妄想・オケラ街道の少女(9)ストーカー。

 

おれがストーカーと化したのはいつ頃だったのだろうか?
静香ちゃんとは母親同士が仲良かった関係もあり、物心がつく頃からのガールフレンド? まぁ、幼馴染みだった。
おれが小2の時に、彼女(小1)は引っ越して行った。それから7年半の時が経ち再会した静香ちゃんは見違えるほど背が高くなっていたが、あの切れ長でいつも眩しそうにしていた目は忘れるはずがない。

なんて美人になったんだ?
いつもおれの後を追っていた、あのバンビのように痩せて小柄だった静香ちゃんが、おれと同じ位(その頃168〜169?)身長があるんじゃないか?、、まるでモデルさんみたいだな。。。


「あれ!静香ちゃんじゃないか?おれだよ、おれ、、〇〇だよ。久しぶり!」


そう言うと、静香ちゃんは目を輝かして懐かしそうにおれを見る。やがて、静香ちゃんとおれは付き合うことになる。いつもそんなことを思い描いていたが、シャイだったおれに話しかけることなんて不可能。
そんな恋心を抱きながらも、おれは受験勉強に邁進するしかなかった。
おれは第一志望埼玉県内の公立校に合格することが出来なかった。第二志望の都内私立高校に春から通うことになる。
とうとう一度として静香ちゃんに声を掛けることもないまま卒業。

恋多き少年だったなぁ…。

うう、、き、気持ちわりい、、、。
静香ちゃんのことを思い出しながら、部屋で一人陰気に酒を飲んでいると悪酔いしたようだ。安焼酎をホッピーにドボドボ溢れさせ碌に肴を摘まず何杯も飲んでしまったようだ。トイレに立つも足元が覚束ない。おれはバカなのか?

「おじさん、あまり飲み過ぎないようにって言ったでしょ? 死んじゃうよ…」
チグサの声が聞こえる。
「なんじゃと! 小生意気な小娘がわしに説教するつもりでおるのか?」
おれはチグサという幻影に向かって、誰もいない部屋で叫んだ。

おれはやはりバカ決定だな。

あの、いつも眩しそうにしていた、睫毛の長い切れ長の目。バンビのように華奢な身体付き。静香ちゃんとチグサの姿が重なった。おれがチグサに似ているのではない。そんな視覚的なものではなく記憶なのだ。あの頃の静香ちゃんの記憶が時空を超え、50年後の老いた?おれの妄想の中にチグサとなって具現化したのだ。
チグサはあの頃のおれのメモリー、おれは自身の50年前に重ねていた。だから自分に似ていると感じたのかもしれない。

中学を卒業し、静香ちゃんと再会したのはその2年後。もう会えないだろうと忘れかけていた時だった。
1975年春? 初夏? 高校で野球部に入ったおれは、その練習で毎日帰るのは夜の8時過ぎだったかな? その日は中間テストか期末テスト前で、その期間はクラブ活動は中止。部活動もなく下校すると、川口駅前でバス(〇〇循環)を待っていた。向こうの方から見覚えある女の子がこちらに向かって歩いて来る。

静香ちゃんだ!!

ずっと抑えていた恋心がまるでゲリラ豪雨のように襲ってきやがった。
彼女はおれの恋心が過剰に膨らませていたのかもしれないが、更に垢抜け、とてつもない美少女に変身していた。
こんな美少女とおれは幼馴染みで毎日のように遊んでいたのだ。泣かせてしまったことも一度や二度ではない。

向こうから歩いてきた静香ちゃんは、おれが並んでいるバス停の最後方に並ぶ。
静香ちゃんもこのバスで帰るのか? 同じ中学に通っていたのだからおれんちから近いのかもしれない。
バス内に入ると、吊り革につかまっている静香ちゃんの隣に立ち、おれも吊り革につかまった。当時172ちょいのおれと大差ない長身。女子にしてはかなりでかい。

おれは、あの時のことを強烈な印象として忘れることができない。
ずっと、車内でドキドキしていた。あの頃はあんなに仲の良かったふたりなのに、気付いてくれない。おれの方をチラッとでも目を向けてくれない。
その間、15〜20分程か? 〇〇三丁目のバス停に着き降りなければならない。しかし、静香ちゃんは降りない。このチャンスを逃せば、いつまた会えるか分からない。おれは降りなかった。
静香ちゃんが降りたのは次々の停留所だったか? おれもさり気なく降りる。

勇気を振り絞って、おれは話しかけようとした。しかし、あまりにも美少女と化した彼女に、おれ如きが話しかけるのは恐れ多い。無理だ! 無理だ無理だ。
おれは怪しまれないよう、一定の距離を保ち静香ちゃんの後を追った。
それから、二年間以上に渡る静香ちゃんへのストーカーと化すのであった。

 

 

酔っ払った。


一旦、静香ちゃんへの追憶を断ち切る。おれは和茶を飲みながら、菓子きな粉餅を口に運んだ。旨い! チグサ、お前はこのきな粉餅が好きだったな。あの頃は、こんなシャレたお菓子なんかなかったんだぞ。

 

チグサがそこにいる。

つづく。

 

 

 

 

 

 

妄想・オケラ街道の少女(8)遠い日の静香ちゃん。

 

西船橋から電車に乗り車窓から外を眺めていると、通りにチグサがぼうっと突っ立ちこちらに手を振っている。

チグサ! 否、あれはチグサではない。
あの頃のおれだ…。

そんな思いにとらわれた。
「わたしはあの頃のおじさんだよ…」
別れ際、チグサはそう言った。なぜか心にグサリと来るものがあった。それはおれも感じていたことだからだ。勿論、性別も年齢も全く違うおれとチグサが同じであるはずがない。チグサにあの頃の自分を重ねていた。チグサはおれの比喩? 否、おれがチグサの比喩なのかもしれない。

チグサの姿は車窓から後ろへ後へと遠ざかる。チグサも言っていたように、もう二度と逢うことはないだろう。
“心の中に潜むチグサと訣別しよう“ と、気持ちの整理がついたからだ。オケラ街道の少女は現実には存在しない。すべてはおれの妄想だったのだ。

部屋に戻ると久しぶりに中学時代の卒業アルバムを取り出しあの頃に思いを馳せめくった。アルバムの中のおれは無表情でニコリともしていない。そんな15才のおれと、チグサの残像を重ね合わせた。
(全然似てないじゃないか!姿形は勿論のこと、快活で表情豊かだったチグサと、いつも構え気味で口数の少なかったこの少年とでは似ても似つかない)
それなのに、なぜ似ていると感じたのだろうか?  否 似ているというより、何か懐かしさみたいなものを感じていた。
いかん! チグサのことは忘れよう。

そろそろアルバムを閉じようとしたその時だった。母校の校門が目に映った。閃光のような記憶が蘇る。

土曜の昼過ぎ。
あの日、おれは午前中の授業を終えると下校のため校門に向かっていた。夏の大会を終えた三年生は、午後の部活動(陸上)もなく受験勉強に専念する秋。
校門を出ようとした時だった。目の前に背の高い女の子が歩いている。そのスタイルの良さに惹かれたおれは、追い越し際チラっと後ろを振り向いた。
ドキッ! 何処かで見た?否、記憶のある顔だ。同じ中学に通っているのだから見知った顔なのは当然かもしれないが、何処か遠いところから呼びかけられているような感覚がする。懐かしさが襲う。

あの切れ長の涼しそうな目、、はっきり憶えている。
“ 静香ちゃん、どうしてこの中学にいるんだ? ○○○の方へ引っ越したんじゃなかったのか?“
7〜8年の時を経て、信じられないくらい背が伸びていても面影は残っている。
(自分の思い違いかもしれない)と、半信半疑ながらも、その後、何度か校内で見かけるとその女の子が静香ちゃんであると確信した。おれは常に彼女の姿を追い求め校内を彷徨っていたように思う。

静香ちゃんはおれのことを覚えているのだろうか?  残念ながら卒業するまで声を掛ける勇気はなかった。
当たり前だ! 昭和40年代、キューポラのある街にある垢抜けない中学校、あの時代の中学生男子が校内で女子に声をかければあっという間に噂が広がる。ましてや、シャイで無口な少年だったおれにそんな真似が出来るわけがない。
しかし、その数年後、静香ちゃんと再会するとはその時は思いもしない。

我に返った。
アルバムを閉じると、おれは焼酎のソーダ割りを作りキュウリを肴に飲んだ。明日の馬券検討に集中しよう。
先週日曜開催のことを思い出していた。チグサの言う通り馬券を買うと大万馬券が的中した。もし、チグサが妄想の存在ならばそれをどう説明すればいいというのだろうか? そんなことを考えながら微睡むのであった。

月日が経ち、チグサのことは忘れかけていた。2023年11/26、テレビの中では第43回ジャパンカップのファンファーレが鳴り響いている。各馬ゲート入りで緊張の瞬間である。おれは三冠牝馬リバティアイランドの単勝一万円一点勝負。
“強いものは強い!” 
王者イクイノックスの圧勝。リバティアイランドは2着。
そのあまりもの強さにあきれ、自分の馬券のことなんて忘れ慄えるしかない。

なぜだろう?
このリビングで競馬中継を観ているとチグサの気配を感じる。

「おじさんこのレース荒れるよ。この馬とこの馬で絶対決まるから買って!」
チグサはそう呟いた。

そして、それは現実のものとなった。
250倍という信じられない超万馬券であった。あれから数ヶ月が経ち忘れたつもりでいても、チグサの声が表情が競馬中継を通して蘇る。彼女の残像が矢のように襲ってきては落ち着かない気分にさせる。
おれはこのままチグサを忘れられないのだろうか? 妄想に取り憑かれたのか?

ん? 待てよ! あの時も同じだった…

競馬中継を観る度に思い出す少女。
1977年12/18 おれは失恋した。
遠い日の少女 静香ちゃん。
静香ちゃんとチグサの顔が重なった。

チグサ! お前はあの頃の静香ちゃんなのか? チグサは静香ちゃんの比喩なのか?

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静香ちゃんとのエピソードは、以前このブログの中でも書いていおります。
ジャイアンと静香ちゃん」
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2022/06/05/043903
チグサは妄想作り話ですが、静香ちゃんとのエピソードは全て事実になります。
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つづく。







妄想・オケラ街道の少女(7)あの頃のおれ?

 


おれは思いっ切り転倒した。
この数年急激な体力の衰えを自覚していながら自分の歳も省みずこんなに飲んで走ってしまったから当然だ。

そんなことより、、チグサ!チグサ!

立ち上がった。
挫いたのか? 思うように歩けない。
足を引きずりながらも前に進んだ。

「おじさーん!大丈夫?」

何処にいたのだ!?  チグサが凄い勢いで走ってやってきた。そして、足を引きずり歩いているおれの体を支えようとする。

「チグサ! お前、、何処におった?」

「おじさん、足大丈夫?どこかケガしなかった? あんなに飲み過ぎないようにねって言ったのに。お酒臭いよ…」

「なんじゃと! 小娘が小生意気な口をきくでない。オケラ街道で若い娘の死体が発見されたと、、わしはてっきり…」

「うん、、心配してくれて嬉しい。でも、わたしはここにいるから大丈夫だよ」

柄にもなく涙が込上げそうになる。
それにしても神出鬼没な少女だ。これがおれの幻覚や妄想でないならどう説明すればいいというのだ? この世のものとは思えない。言いたいことは山ほどあるが、チグサの華奢な身体を見ると胸が締め付けられ言葉を失った。

「チグサ、親子丼が食べたいと言っておったな?腹ペコではないのか?」

「うん、もう大丈夫…」

「うむ! 何故、急に消えたのじゃ?わしは必死に捜したのだぞ…」

チグサはそれには答えず、ジッとおれの様子を心配そうに見ている。

「どう? その足で帰れる?」

時計を見ると9時近くになっていた。

「大丈夫、時間も遅いようだな。今夜は帰る処あるのか? なければ、わしの棲家まで着いてくればよい。帰りに弁当でも買おう。明日は日曜じゃからな…」

「うん、また遊びに行きたいけど、、遠慮しておきます。これ以上、わたしと関わらない方がいいと思うよ…」

一瞬、月明かりに照らされたチグサの姿が影法師のように薄く頼りなく映った。

「何故、チグサと関わらない方がよいと思うのじゃ?  何か気を悪くするような無礼なことをわしは言ったかな?…」

「おじさんだって、わたしと関わらない方がいいと思ってるでしょ? その時代がかった喋り方は無意識にわたしとの距離感を測ってるからでしょ? 」

「むむむ! お前は年の割に随分と大人じゃの? 小娘はそんなこと考えんでよい」

チグサは黙ったまま。
「駅まで送ってあげる」
そう促され、ふたりで駅に向かった。
どうしても聞いておきたいことがあった。
このまま別れたのでは疑念が残る。

「じゃ、おじさん。わたしは此処で、、もう会うことはないと思うけど、あまりお酒飲まないで。身体を大切に元気でね…」

「チグサ! こんなこと聞いて良いのかどうか分からんが、那須野千草という少女は存在するのか? お前は何処から来て何処へ向かっておるのじゃ?  一体、お前は何者なのだ? わしの幻覚なのだな?」

「わたしはあの頃のおじさんだよ…」

「あの頃のわし?」

チグサはにっこり微笑むと手を振った。
そのまま踵を返すと人混みに消えた。
釈然としないものが残ったが、チグサはオケラ街道の少女、おれは奇人なのだ。似た者同士、、それでいい。

足を引きずりながらホームのベンチで電車待ち。懐からスマホを取り出すと、チグサと電話番号、メルアド交換しておけばよかったと後悔、、が、今どきの女の子には珍しくスマホを持っていなかったのを思い出した。服もまるで少年のようだった。
何気にスマホ検索していると “オケラ” という文字が目に入る。
「昆虫のオケラは飛ぶこと、泳ぐこと、地に潜ることも出来るが、格別の能もないといふところから出たもの」
チグサは「此処(オケラ街道)には、おじさんみたいな人が大勢いる」と言っていたのを思い出し苦笑い。確かにおれは無能なのだ。しかも、オケラのように特技は何もない。競馬場帰りにオケラ街道をトコトコ歩くおれのような男は大勢いる。

おれのような孤独な単身者に懐いてくれ、
頼ってくれたことが嬉しかった。
そんなチグサにおれはどんどん感情移入していった。自分の娘?否、孫と言ってもいい年頃の少女に、これ以上関わってしまうことを恐れていたのは間違いない。
「(おじさんは)無意識のうちに、わたしとの距離感を測っている…」
言葉の壁? 一線を越えることは赦されなかった。おれが「わし」なんて一人称?
人間関係において、絶対に越えてはならない壁は存在するのだ。

電車がやって来たので、スマホから目を離すと慌てて飛び乗った。
これでいい! チグサはおれの妄想、幻覚だったのだ。もう忘れることにしよう。
吊り革に掴まると外の景色を眺めた。時間は9時半になろうとしていた。

電車から外の景色を見下ろすと、通りに一人の少女がぽつねんと突っ立っている。
少女は電車に向かって手を振っている。

チグサだった。

違う! あれはあの頃のおれだ!

 

つづく