オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

酔って候。

酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞ
酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ
1月は正月で酒が飲めるぞ♪
(以下略、12月まで続く)


土佐の鯨は 大虎で 腕と度胸の男伊達いつでも 酔って候♪



飲食店での酒類提供解禁しましたね。

単独者の家飲みは、辛気臭く、味気ないですからね。どうしても、内省的になり良い酔い方にはならない。

アルコール依存症になりやすい飲み方は、自分自身と向き合う飲み方だそうです。反省しちゃいけない。

主婦のキッチン・ドリンカーは、かなり増えているそうですね?
頷けます。


お酒は外で飲むものです。


酒場の片隅で、人々の様子を眺めながら一人黙々と飲む。
あの開放感がいいのです。

相手がいないと、一人では酒場に入れない真面目な方は多いと思いますが、
(私はオシャレな店には、恥ずかしくて一人では入れない)
自称、酒場放浪者である私は、いい店を探す嗅覚が鋭いのです(笑)。

《大衆の中の孤》

競馬新聞や文庫本を読みながら、これが落ち着ける。

コロナ騒動の最中、潰れてしまったお気に入りの店が結構あるな。


酒類解禁したからといって、まだその中に飛び込む勇気はない。


もう少し、家飲みで様子を見よう。
今夜はすき焼き風鍋。

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そういえば、しばらく友人との飲み会をしていないな。
このまま、コロナが収束するとは思えないが、年末には古い友人を誘って忘年会、有馬記念前夜祭等が出来たらいいな。

ニャロメ!

部屋の窓をガラッと開ける。

前の家の屋根に一匹の猫がいる。
猫はビクッとしたように、こちらに怪訝そうな目を向ける。

“ ニャロメ、勝負だ!”

視線がバチバチ交差すると、猫とのメンチの切り合いが始まるのだ。
私は猫を睨みつける。猫も目を逸らさない。視線を外した方が負けなのだ。

《猫はノンビリ自由で羨ましいな...》
そんなことを思いながら、私の方から目を逸らすことがある。

《バカな人間に睨みつけられてるな...》
そんな表情で猫の方から目を逸らすこともある。

私は勝手に屋根の上の猫のことを、心の中でニャロメと呼んでいた。

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そんな屋根上のニャロメとの睨み合いのことは、去年もブログでちらっと書いたように記憶する。

その屋根の家の飼い猫ではなく、多分、野良猫だろと思うのだが、ニャロメとの視殺戦は数年続いた。
日常の当たり前の光景になっていた。


ニャロメが消えた・・・。


いつ頃からだろうか?
この3月?4月? もう、半年にもなる。

ニャロメは何処へ?



ニャロメ
ケムンパス
べし

赤塚不二夫マンガに登場する愛すべきキャラクターである。
この3匹は、人間の言葉を話す恐ろしく知能の高いネコ、ケムシ、カエルのトリオで、主に原っぱの土管の中に生息する。
ネコのニャロメに至っては、人間の女の子に恋心を抱き、花束を持ってプロポーズまでしてしまう究極の知性の持ち主。

ニャロメは、かつて、磯野家のタマと共に日本で最も有名なネコでありました。

「こんニャロメ!」
と、負けん気が強く権力に逆らうニャロメは、当時、学生運動のシンボルとして祀り上げられたそうです。
目ン玊つながりの本管さんとの抗争劇は、まるで、機動隊と学生の様。
どんなに権力に踏み潰されても、不屈の闘志で立ち向かうニャロメの生き様、その姿に自らの反逆心と挫折感を重ね合わせ投射していたのだろうか?

マンガの中のニャロメは酷い扱いを受けている。
あの虐待シーンを描くのは、現代ではかなりの批判が予想され不可能だと思う。赤塚不二夫が本当に伝えたい裏メッセージがあると思うのだが..。

コンビニ郵便ポストを台に、酒盛りしているオッサン3人組をたまに見かける。迷惑な行為ではあるが、彼らを見ていると、ニャロメ、ケムンパス、べしのトリオを思い出す。

ニャロメは今はない学生運動のシンボルというより弱者の象徴?
否、今の世は格差社会
貧困層が多くなった日本、庶民の象徴なのかもしれない。
おい!小泉父、竹中、安倍、その他。
ふざけちゃいけない。

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ところで、同じ赤塚不二夫マンガの中で、ニャロメとイヤミの共演はなかったよね? 名コンビになると思うのだけど、見てみたかった。

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消えた屋根上の猫。
ニャロメは、もう戻ってこないような気がする。

あの大きく欠伸をし、伸びをする姿が懐かしい。
私は屋根上のニャロメに癒やされていたのだ。

ノラや』での、内田百間先生の気持ちが良く分かる。

もう一度、視殺合戦をして《変な人間がいるニャア~》という目でバカにされたい。

戻ってこいよ、ニャロメ!!

ぬりかべと少年。

先の東京五輪
あまり夢中になって観ることはなかったのだが、そんな中で「おっ!」と思わせ、興味深く観たのがスケボーで金メダルを獲った堀米雄斗選手。

所詮、こどもの遊び。
ストリート系の不良がやるスポーツ。

世間でのスケボーのイメージは、まだまだそんなもので、顔をしかめる大人は少なくないかもしれない。
(私にも多少の偏見はあった...)


私は堀米選手の演技を観て懐かしさを覚えたのです。
あの自由で真剣な眼差しは、かつての野球少年の姿そのもの。
彼らは心から楽しんでいる。



  ぬりかべェ~~


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野球少年たちの原点は塀とのキャッチボールでした。

昔、伯父は小さな鋳物工場を経営しており、その構内に我が家は住んでいた。その周囲はブロック塀に囲まれ、少年時代の私は、その壁に向かってボールをぶつけては、跳ね返ってくるボールをキャッチしていた。

何度も何度も真剣に・・・。

ブロック塀と対峙した私は、想像の中で星飛雄馬となり、対する打者は田淵幸一であったり山本浩二であったりした。

ブロック塀と少年は、まるで、鬼太郎と妖怪ぬりかべの対話のようで、いくらぶつけても、ぬりかべは黙って受けてくれる。
私の野球の基本は、あの頃の塀とのキャッチボールで培ったのかもしれない。

偉大なり!ぬりかべ(笑)

どうでしょうか?
街の、、公園の片隅で一人黙々と練習しているスケボー少年と共通するものを感じるのです。




あの頃。

地域には原っぱがあった。
子どもたちは、学校から帰るとランドセルを放り投げ、のび太の如くバットにグローブを刺し肩に担いで、私服のままそこへ向かうと三角ベースボールが始まる。

A少年が投げ、B少年が打つ。
打球は原っぱを越え通りの向こう、民家のガラスが「ガチャーン!」と割れる。その瞬間、子どもたちは蜘蛛の子を散らすように逃げる。
「チームプレイ」等という退屈で面倒くさい概念はない。皆、どんな小柄な少年であろうと、ホームランを狙う。心の中では王選手になり切っている。
自分たちのルールを決めた上で、自由に楽しんでいるのだ。

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宅地造成。
街から原っぱ、空き地が消えた頃からだろうか? 野球少年が激減した。キャッチボールする場所を探すのも苦労する。

野球好きの少年は、優雅な自由で楽しい原っぱ野球を経験することなく、いきなり少年野球チームに入る。そこには監督、コーチと称する、子どもたちにとっては煩わしい大人が介入してくる。
お金のかかるユニホームも必要なのだ。

大人の指導者は、子どもたちに「チームワーク」の大切さを叩き込む。
チームのための適材適所。
かわいそうに小柄な少年は、チームプレイとしての単打、犠打を強制される。投手だってやりたいだろう。
そこに「遊びの精神」「自由な精神」はなく、何より楽しくない。

チームワークの大切さは、教えるのではなく、経験することによって自然に身につくものなのだ。

大体、場所がないということもあるが、子どもたちの遊びに大人が介入するのはいかがなものか?と、思う。
野球(スポーツ)を通した精神論を、高校生以上はともかく、野球の入口に立った子どもたちに押し付ければ嫌いになってしまうのではないだろうか?
子どもなんてそんなものだ。

『野球(スポーツ)を通して青少年の健全な心身の育成に・・・』
そんなことを言った途端に、子どもたちは野球から離れていきますよ。

健全な心身の育成なんて、スポーツではなく、親、教師、周囲の大人が見本を示すべきことです。


スケボー少年たちの姿を見ていると、塀とキャッチボールしたり、原っぱ野球でボールを追っていた少年時代のことをノスタルジーとなって甦る。
そこには、精神論を振り翳す鬱陶しい大人(指導者)は介入せず、皆、自分なりに上手くなろうと懸命に練習している。自由にのびのびと、そして楽しく遊んでいるのだ。


おい! ぬりかべ。

お前と戯れる少年は滅びたぞ。


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ところで、近頃の少年野球チームは、少年たちの親までしゃしゃり出て応援にくるらしいね?
そして、試合があると弁当を作ったり手伝いに来るとか...。

やたら子供に理解ある親より、
「遊んでばかりいないで、たまには勉強しなさい!」って親の方が、子供にとっては気が楽なもんだぞ。

違うかな?

はるか群衆を離れて「吉永正人」

1976日本ダービー
メルシーシャダイ(16着)に跨った吉永正人は、一番人気 トウショウボーイ(2着)を羨望の目で見ていた。

それより7年後、まさか自分が天馬トウショウボーイの仔に跨ってダービージョッキーになろうとは...。
それも、自分が主戦を努めたシービークインとの間に出来た子どもでだ。

ミスターシービー、見参!

出遅れたとはいえ、ダービーでは絶望的と云われる最後方からのスタート。
常識破りの追い込み快勝劇。

夢にまで見たダービージョッキー

その時、鞍上吉永正人の脳裏に一頭の名馬が蘇ったのではないだろうか?




  ポツーーーーン・・・

  はるか群衆を離れて...



コウジョウは臆病でいじめられっ子のような馬だった。

スタートと同時に他馬と先を争って行ける馬ではなかった。
いつも馬群からポツンと離れ、それも極端に離れた位置から追走して行くのが定位置だった。
気が弱く? 他の馬がいないところをソーっと行かなくてはならない。

1971 金杯
コウジョウは馬群から30~40馬身も遅れ、たった一頭だけポツンと追走している。アクシデント発生か?
観客はどよめいた。
ところが、3コーナーから4コーナーにかけて、ジリジリと差を詰めていく。
不良馬場のハイペースで先行馬のペースがガクン!と落ちるのをよそに、コウジョウは直線に入ると最後方から猛然と前を走る15頭をごぼう抜き。
胸のすくような勝利だった。

「コウジョウはなまくらな馬。追っても追っても遅れてしまう。それでも追わないと・・・」
レース後、吉永正人はそう語った。

寡黙で不器用、自称鈍才の吉永正人は、コウジョウに自分に似たものを感じていたのかもしれない。
これは、コウジョウの一つ下の世代、同じく主戦を努めた灰色の臆病馬ゼンマツも同じだろう。


「僕は、人に迷惑を掛けるのがイヤなんですよ。馬ごみに入ると、アクシデントが起きやすい。だから、逃げや追い込みが好きなんです」(吉永正人)

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吉永正人騎乗の代表馬といえば、ミスターシービーモンテプリンスが有名だが、私はコウジョウとゼンマツが一番似合っていると思う。

ミスターシービーは才能溢れる馬であったが、ダービーを勝ち、三冠馬になったのは、吉永正人がコウジョウやゼンマツに跨った経験も大きかったと思う。特にコウジョウはミスターシービーの原型だったのだ。

日本ダービーで見せた、あのシービーの追い込みはコウジョウの魂が取り憑いていたとしか思えない。

ミスターシービーは、吉永正人でなければ三冠馬になれなかった...』


吉永正人は競馬界の力石徹(笑)。
騎手としては身体が大きく減量に苦しんだ現役生活だった。

最初の妻・富美江さんを癌で失った時は、その悲しみから。
「ただ、馬につかまって、思い出から逃げている」
と、詩人 寺山修司はそう評した。

そんな寺山修司が最も愛していた騎手は吉永正人であった。
寺山修司ミスターシービー皐月賞優勝を観ながらも、ダービージョッキー吉永正人を見ぬまま逝った。

私が吉永正人が好きになったのは、この寺山修司の影響が大きかった。

彼は競馬場を演芸の舞台に見立て、競馬を文芸にまで昇華させたのだ。

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次回の更新ではないけれど。

“ はるか群衆を離れて「寺山修司」”

として続きます(予定)。

レレレのおじさんになりたい。

おでかけですか?・・・。


今でもいるのかな?
レレレのおじさんみたいな人。
昔はよく見掛けたような気がする。

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若い頃の私は、その手の人が苦手だった。上目遣いにペコリと頭を下げ「ええ...」と答え足早に立ち去る。
シャイだったのだ。


“ 簡単な挨拶でいいじゃないか!面倒くさいな ”

“ 気安く、容易にオレの領域に踏み込むんじゃないよ!”


中学生の頃からそういう傾向があったのかな?
だから、私はとっつきにくそうと思われるのだろう。


こんなことがあった。

高校入学初登校日。
私立高校ということもあり、配置されたクラスは全員が初対面。

シーーーン...

クラス約50名が全員違う中学出身なのだから当然である。

しかし、時間と共にあちこちで自己紹介的な会話が交わされ、数日過ぎると小グループが見られるようになる。

私は?
一週間過ぎても誰一人とも話さず、話しかけられることもなかった。
気が付けば、そのまま五月の連休に突入してしまった。

友人からの後日談。
「お前は話しかけ辛い雰囲気を発していたからな! 恐いやつだと思ってたよ...」

否々。
本当は話しかけられるのを待っていたのだ。流石に一ヶ月近く一人の友達も出来ないことに焦っていた。

でも、自分から話しかけるのは負けだと思っていた。
何が負けなのだが意味不明なのだが、そうやって自分の弱さを頑なに悟られぬよう隠していた。
高校生の歪な自己顕示欲?
目付きもあまり良くなかったのかもしれない。だから敬遠されたのだろう?

これ、ヤンキーの心性と似ているのかもしれない。
根っからのバカもいるが、自分の弱さを隠すために突っ張っているヤンキーは多いと思うのだ。
まぁ、自分はツッパリさんとは真逆の人間ですけどね(笑)。

その後、野球部に入ってからは一気に友人が増え楽しい高校生活を送る。


こんなこともあった。


親戚関係の結婚式に出席。
ああいう席になると必ずいますよね?

お節介 ババー
ハラスメント ジジー


私は離婚経験者である。

「なんで別れちゃったの?」

周囲の目がある席で、絶対触れてほしくなことってあるものだ。
答えようがないだろう?
私は苦笑いを浮かべながら、心の中で《テメー、お節介ババー!》

向こうの席ではセクハラジジーが、年頃になった娘に禁断の一言。

「○○ちゃん、美人になったね! 彼氏いるのかな? ワハハハ!」

今の時代なら訴えられかねないね?
彼女は真っ赤になって俯いて、心の中で 《うるせい、キモおやじ!》と、罵倒していたに違いない(笑)。


うむ! 何を言いたいのか分からなくなってきました...。


とにかく、場をわきまえない老害的発言は控えるのは大前提で。

近頃、差別だ!パワハラだ!と、下手にジョークも言えない時代になってきましたね。
それに違和感を持つ人も少なからずいると思います。


こういう時代だからこそ、レレレのおじさんが大切なのです。
彼はいつも明るく挨拶してくれる。
「おでかけですかー?」以上の無駄なことは言わない。

明るく挨拶を交わしたあとは、気持ちが良いですからね。



クリン クリン クリン♪

 おでかけですかー?
  レレレのレ!


すると、小ワルそうなコゾーに。
「うるせい! ジジィ」
と、罵倒されるようになったら、そこまで人生が到達したのなら素晴らしい。
勝ち組である。


私はレレレのおじさんになりたい。

大谷翔平、生きる伝説。

ふざけちゃいけない!

大谷翔平が狂っている。
日本人がMLB本塁打40本超えなんて天狗の仕業だろう?

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負けると卓袱台をひっくり返すほど、熱狂的巨人ファンであった私は、その出身である松井秀喜がメジャーで30本超え(31本)した時は嬉しかったね。
この記録を破る日本人は絶対出てこないと思ったもの。
だって、松井は口から火を噴く大怪獣ゴジラなんだぞ。
その絶対不可域である記録をいとも簡単に超えてしまうなんて。

ヽ(; ゚д゚)ノ OH MY GOD!


ゴジラ松井の記録を超えるどころか、現在ホームラン数独走状態(現在41本)ですからね。
このまま本塁打王のタイトルを奪ってしまう勢い。
まぁ、そこまでは有り得るかもしれません。が、大谷は打撃だけでなく投手としても既に8勝しています。

ベーブ・ルース以来の投打二刀流で活躍?
でもねぇ、時代が全然違いますからね。ベースボールの質も変わり、分業制が進む現代において、大谷の投打での活躍はより価値があると思う。

ベーブ・ルース超え” ですかね?

ベーブ・ルースエジソンキュリー夫人ナイチンゲール同様、伝記上の世界にいる偉人ですからね。
超えてしまったら不敬罪ですよ(笑)。

とにかく、本塁打王と投手としても10勝すれば三冠王よりスゴいことです。
「大谷は地球外生命体ではないか?」誰かがNASAに調査依頼したというジョークがあるようだが、その気持ちも分からないわけでもない。


圧倒的な才能を持つ極少数の者のうち、更に選ばれたほんの一握りの者だけが、世間から「生きる伝説」という称号を与えられる。
それはたぶん、人々が眼前で繰り広げられるプレーを演じる人物が、歴史的存在であると確信された時に与えられる尊称なのだと思う。

我々野球ファンは、大谷翔平という偉大なる才能と同時代に生き、生きる伝説を目の当たりにしているのだ。


今シーズンの大谷の活躍に注目ですね。

こんな夢を見た「髑髏の怪人」

こんな夢を見た...。

馬鹿馬鹿しくも恐ろしい夢を見た。


私は深夜の闇を飛んでいる。
否、飛んでいるというよりフワフワと浮遊しながら旋回している。
木の枝に止まっているカラスがこちらをジィ~っと見ている。
カラスは警戒しているのか?
用心深く威嚇するように、嘴をカチカチ鳴らしている。
私はカラスを刺激しないよう、ゆっくり旋回し、民家が並ぶ方へ向かった。

人に見られてはまずい。
人間が宙に浮いているなんて尋常ではない。見つかれば大騒ぎになる。

ある一軒家。
私はフワフワ浮遊しながら二階の窓から中を覗いてみた。

痩せた老人が茶を飲んでいる。
その風格ある和服姿はただ者ではない。

《どこかで見た顔だぞ...。》

うむ、あの老人は糖尿病で痩せてしまった私自身の姿ではないのか?
ならば、今、こうして宙を浮遊している吾は何者なのか?
嫌々、私はあんな品が良くないし、ヨボヨボのジジイではない。

老人がこちらを見た。
一瞬、目が合ってしまったようだ。
私は慌てて逃げようとする。
スーパーマンのように速く飛べるわけではなく、必死に逃げても、蝶のようにフワフワと舞っているだけ。

屋根から無数の黒いものが飛び立ち、こちらに向かってくる。
コ、コウモリのようだぞ。。。

老人は怖い顔をしながら、窓に寄るとバッと開けた。
和服を脱ぐと、黄金色に輝く異様な姿。手には杖を持ちマントを羽織っている。
老人は黄金色の髑髏の怪人と化し、窓から翔び立った。

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ワハハハハハ!


深夜の闇に、笑い声が鳴り響く。


髑髏の怪人とコウモリの一群は宙に浮遊している私を追いかけてくる?
あっという間に捕まってしまうだろう。殺されてしまうのだろうか?

すると、先程のカラスが、髑髏の怪人とコウモリの一群に向かって、嘴をカチカチ鳴らし威嚇している。
私はその隙に木につかまると、そっと地上に降りた。

ここはお寺の境内のようだ。
そこに髑髏の怪人も降り立ってきた。

私は緊張で身構えた。

髑髏の怪人は、元の老人の姿に戻ると、何事もなかったかのように、お寺の建物の中に消えていった。

私はその後ろ姿を見て、その老人の正体を知った。


そうか!
そうだったのか...。

黄金バットの正体は?

葛飾柴又は題経寺の御前様。
つまり、笠智衆さんだったのである。

黄金バットが圧倒的に強いのは、正体が笠智衆だったからなのだ。

私は妙に納得した。



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ブログに書くネタがない時は「こんな夢を見た!」シリーズが一番ですね(笑)。
飛ぶ夢を見る人は多いと思いますが、若い頃は猛スピードで飛んでいたのに、年を取ると、夢の中まで衰えるのです。飛ぶのではなく舞う。