オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

史上最強馬論争

日本競馬史上最強馬は?

以前にも書きましたが、私はこの手の史上最強馬論争が嫌いです。
時代の違う馬を比較して、どっちが強いかって?
競馬初心者のこどもなら別だが、ある程度キャリアを積んだものが、こんな幼稚なことを言って恥ずかしくないのだろうか?

これは、競馬だけでなく、他のスポーツ、分野でも同じですね。

ある若いファンがこんなことを言う。

シンザンだ、シンボリルドルフだと言っても、所詮、発展途上の昭和の馬じゃないか! 今の時代なら通用しない。G1ひとつも勝てないよ」

ならば。
近年の最強馬が、シンザンのいた時代に来て、あの時代の育成を経て、あの時代の調教を積んで、あの重い馬場を走れるのか? 近年の恵まれた高速馬場を走ってきた彼らが、あの時代の馬場で満足のいく走りが出来るのだろうか?

そんなことを言うと、頭が古い、老害だ!なんて言われるかもしれません。

異時代の名馬を比較したがるファン。
彼らは “競馬愛が足りない” のです。
なぜなら、競馬はブラッドスポーツだから。

親から子へ、子から孫へと...。
子々孫々と、、時代を経て、競争馬はどんどん進化してゆく。
あなたが推す近年の最強馬は、あなたが貶す発展途上昭和名馬の子孫です。


つまり、現在の最強馬は、過去の名馬の進化した姿だと言えるでしょう。


科学や医学のように、時代と共に競争馬も進化していくのであって、仮に過去の馬より退化していったのなら?
競馬というスポーツはとっくに滅びていたはずです。


アイザック・ニュートンは、こんな言葉を残しています。

『私が遠くを見ることができたのは、巨人たちの肩に乗っていたからです』

この言葉に尽きますね?

だからこそ、時代の異なる名馬を「どっちが強い?」で比較するのは違うのではないか?と、思うわけです。


とは言え...。

私も史上最強馬論争を全否定しているわけではなく。
あくまで、過去の名馬に敬意を称したうえで、自分なりの視点であれこれ語り合うのは楽しいもんですね。

次回(来週)は「極私的 史上最強馬考」
として、このブログで書いてみようと思います。