オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

名馬 Memories 王者編Part①

1969年 (当時11才?)以来、半世紀以上競馬を観てきました。
もう、数え切れないくらい多くの名馬を見てきたわけですが、そんな名馬にも様々タイプがあるように思います。
そんな中で、特に気になった名馬を、シリーズとして主観を込めて振り返って(メモリーズ)みようと思います。

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今回は王者(女王)タイプ。

実績や記録ではなく、あくまで私が王者のイメージ・風格を感じた(主観)名馬です。

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王者の風格。

最初に思い浮かべるのは、競争生活晩年に老雄のニックネームがあった「スピードシンボリ
天皇賞春、有馬記念2度、宝塚記念等を勝っており、日本馬として初めて凱旋門賞に出走した馬として有名ですね。
私が競馬に興味を持ち始めた当時の最強馬? 実績的にも文句なしの王者ですね。

しかし、本当の意味で彼を王者然とさせていたのは、王者として後輩スターホースに堂々と胸を貸し、それを返り討ちにして魅せたところでしょうね。
アカネテンリュウとの2年間に渡る有馬記念一騎打ちは、現在でも昭和の名勝負として、オールドファンの間で語り継がれています。
アカネテンリュウ。私が最初に好きになった競走馬、、せめて、2年目の有馬ではそんなアカテンにその座を譲ってほしかった(笑)...。
私には憎っくき王者スピードシンボリでありました。



スピードシンボリ以降、王者としての風格がある名馬は?
単に強い馬はいくらでもいましたが、思い浮かばない、、やはり、同じシンボリ牧場出身、皇帝「シンボリルドルフ」まで待たなくてはならないのでしょうね?
シンザンの記録を超えたこの馬は、王者の枠に括れない強烈なものがありました。彼の実績については説明する必要もないでしょう。
有馬記念でのラストラン。
あのシンザンの仔、後輩ミホシンザンに格の違いを魅せたレースは、まさに王者の称号が相応しい姿でした。
ホセ・メンドーサじゃありませんが、ミスター・パーフェクト。面白味のないマシンの様な馬でしたね。



昭和が終わりになろうとしていた頃。
白い稲妻2世「タマモクロス」が現役最強馬として台頭してきました。
う~ん... この馬は、確かに震えるほど強かった。しかし、王者の称号は似合うのだろうか?
王者というより、苦労の末、下から這い上がってきた馬という印象なのです。でも、この馬を挙げないわけにはいかない。

ちょうどその頃、とんでもない怪物が地方から中央に殴り込みをかけ、快進撃を続けていた。
オグリキャップタマモクロスと同じ芦毛馬です。
連勝を続けていた両雄の初対決は天皇賞秋でした。なんと、ここでタマモクロスは一番人気をオグリキャップに譲ってしまう。
結果はタマモクロスが王者の誇り、先輩の意地を魅せることになります。
続くジャパンCでも、タマモクロス2着、オグリキャップ3着(勝ち馬は米国ペイザバトラー)と、後輩に先着を許しませんでした。

素晴らしかったのはその後の有馬記念

両雄三度目(最後)の対決となったこのレースは、他にスーパークリークサッカーボーイも出走し、史上屈指のドリームレースになるのですが、今度はオグリキャップが優勝。王者タマモクロスは、その座をオグリに譲るのです。

昭和から平成へ移り変わる時。
昭和最後の有馬記念で、新たなスーパースターが誕生した瞬間。その後のオグリ伝説は知っての通りですね。
私はこれほど見事で美しい時代のバトンタッチは他に見たことがない。

タマモクロス
王者の役目は、何も後輩に貫禄を見せ付けることだけではないと、私は考えているのです。
次代のスターに、たすきを繋ぐことも王者としての佇まい。



以上。
スピードシンボリシンボリルドルフタマモクロスの3頭を「昭和王者」の称号に相応しい名馬として選ばせて頂きました。
え! 他にもいるじゃないかって?
強く魅力的な名馬でも、王者という感じではなく、天才編、怪物編、個性派編等で登場させるかもしれません。


時代は昭和から平成へ。
「名馬 Memories 王者編Part②」に続きます。
名馬Memoriesはシリーズにしたいので、更新は不定期になります。

次回の更新は一般話題になると思います。悪しからず。