オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

ばんえい競馬顔蹴り事件に思う。

  北海道帯広市主催の「ばんえい競馬」デビュー前の馬の能力検査にて、騎手が馬の顔を蹴っていた動画がネット上に投稿され、大騒ぎになっていましたね。

動物愛護団体からの抗議こそ来ていないそうですが? ネット上では「動物虐待」ではないか?との声も多く、一部に、ばんえい競馬の廃止論まで出ているという。

何だかなぁ...。
あれを見て不快な気分になるのは分かる。でも、なぜ、騎手があのような行為に至ったのか?
その理由はネット等で調べれば分かると思いますので、また、長くなるのでここでは触れません。

間違いないのは、競馬のことを知らないのに、ばんえい競馬のことを知らずに「動物虐待」だと騒いでいる人達より、あの騎手の方がずっとずっと馬に対する愛情が深いに決まっているじゃないか!ということ。


しかしながら。
ウマの家畜化は紀元前3500~4000年と言われていますよね?
その間、人間側の都合により、馬との関わり合いの形は、時代と共に著しく変わってきました。
人間と生死を共にした軍馬はほぼ姿を消し、農耕用や運搬用としてのウマの役割も期待されなくなりました。

ウマがこの先も生き残っていくためには、競走馬か乗馬用として人間に奉仕するしか途が残されていないのか?
(大半の競走馬は、役目を終えると、廃用、食肉となる)

競走馬は経済動物と言われますが、競馬ファンとしては複雑な気持ちになりますね。で、ありますから、ばんえい競馬での顔蹴り事件に動物虐待だと騒ぐ人達に向かって「何も知らない無知は黙ってろ!」と、非難する気にはなれないのです。当然の感情ですからね。

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ウマほど人間の生活に、文化の発展に役立った動物はいない。

私は競馬を観ていて思うのです。
ウマを操作するうえで重要な馬具に銜(ハミ)、鞍(クラ)、鐙(アブミ)等がありますが、とくにハミを発見、活用したことの意味は?


「人類の文化史上最大の技術革新」の一つではないか?と。


ハミはウマの口にかませた棒のこと。
その両端に手綱や引き綱を結び、左右の綱を引いたり緩めたりして、ウマを制御する。騎乗者の意思をウマに的確に伝える道具なのです。
そんなハミの発明により、人間は初めて家畜化されたウマを自由自在に乗りこなすことが出来るようになった。

これが、人間の生活にどれほどの進歩をもたらしたことか?

ウマは他の動物と違って、前歯と奥歯の間に隙間があるそうで、実際にはこの隙間に棒を差し込むのであり、上下の歯に噛ませるわけではない。
そこに目を付けた人間の知恵もさすがだが、応えるウマも、、、。

人間とウマの宿命のようなものを感じます。


ばんえい競馬顔蹴り事件から、色々なことを考えてしまいました。


“ ウマは何のために走るのか?”