とんでもない結末、、最期。
女王ホクトベガのラストラン。
異国の地ドバイで彼女は散った。
このレースを無事走り終えれば、帰ることの出来る遠い故郷に思いを馳せ、彼女は何を思ったのだろうか?
帰りたい。。。
「ベガはベガでもホクトベガ!」
彼女は中央のG1(エリザベス女王杯)を勝ったほどの名牝。
芝も走れる、、しかし、彼女が本領を発揮したのはダートに路線変更してからなのだ。その経緯は、多くの競馬ファンの知るところであり? 長くなるので省きます。
それから、長い長い彼女の旅が始まる。全国の競馬場で彼女は鬼神のような強さを魅せた。
「強い、強い! ホクトベガ。女王様とお呼び!」(南部杯での実況)
流れ流れてさすらう旅は♪
今日は函館 明日は釧路♪
希望も恋も 忘れた...♪
こんな歌がありましたね?
そんな旅路の果に辿り着いたのは、異国の地ドバイだったのです。
そして、その先にやすらぎの故郷に帰るはずだった。
あの悪夢。。。
その描写はあまりにも残酷なので控えよう。鞍上、横山典弘は今でも悔い悪夢を見るという。
その遺体は検疫の規定で日本へ帰ることが出来ず、タテガミのみ、関係者が持ち帰ったという。
人は彼女のことを敬意を込めて「砂の女王」と形容する。
そんな凡庸なニックネームで足りるのだろうか?
差別用語?かもしれないが、私は敢えて言いたい。
ホクトベガは『ドサ回りの女王』
だったのだ。
レース中の事故で命尽きた名馬は数多い。
有名なところでも、キーストン、テンポイント、サクラスターオー、ライスシャワー、サイレンススズカ 等々。
その他 数え切れないほど名馬の悲劇を目の当たりにしてきました。
しかし、そんな中でも、私は彼女の、ホクトベガの最期は納得出来ない。
全国の競馬場を旅から旅へと渡り歩いた。そして、彼女の走りに、鬼神の如き強さに地元ファンは歓喜、熱狂した。日頃は寂れている地方の競馬場も、彼女の登場に賑わったそうだ。
浦和競馬場にも来てくれた。
その全てに全力を尽くし、過酷に働きに働き続けた。
その辿り着いた先で、あまりにも残酷で切ない結末。
彼女は故郷へ帰って、ゆるゆると幸福に暮らす資格があったのだ。
彼女が走ったドバイの地で、その後、日本のヴィクトワールピサが優勝(ドバイWC・当時の馬場はAW)した時、ホクトベガは降臨し、どこかで祝福していたと思いたい。そうに違いない。
ホクトベガを思い出す時、ドサ回りのストリッパー?
あの、ジプシー・ローズの光と影に重ね合わすのだと誰かが言っていた。
ホクトベガの最期はあまりにも残酷で切ないが、競走馬の大半は現役を終えると廃用とされる。
そんな、無名の競走馬のことを思えば、ホクトベガやテンポイントやライスシャワーは、名が残っただけでも幸せだったのだと納得しよう。
否、競走馬にそんな感情はない!
ただ、故郷へ帰りたかっただけ。
“ 生きているうちが花なのよ
死んだらそれまでよ ”
残酷だがそれが競馬なのだ。