オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

field of dreams(前) 野球少年の見た夢

大谷翔平 2021主な成績

【打撃】
[試合]155
[打数]537
[安打]137
[打率]257
本塁打]46
[盗塁]26

【投手成績】
[先発]23
[投球回]130.1
[勝利]9
[敗戦]2
防御率]3.18
奪三振]156


 ・・・・ 驚くべき成績ですね。



私は幼少期の頃から野球少年だった。

テレビアニメ「巨人の星」が始まったのは小学三年生の頃?
あまりにも夢中になっていた私を不憫に思ったのか? 父に連れられ川口駅前にあったスポーツ用品店で野球グローブを買ってもらった。幼少期の私にとって、一番嬉しい出来事でした。
それからというもの、寝ても覚めても
四六時中グローブを手元に置き、夜寝る前にも枕元に置いた。
買ったばかりのグローブは硬いので、それにオイルを塗り、ボールを挟んで型をつける。グローブの革、それにオイルの混じった匂いをかぐと、少年時代の記憶がノスタルジーとなって蘇る。


野球選手は少年時代の私にとって、絶対的憧れの存在だった。
それは還暦を過ぎた現在でも僅かながら残っている。


あの頃。

王貞治が、長嶋茂雄が、村山実江夏豊野村克也張本勲といった、野球少年憧れのスター選手が、夢の舞台で躍動していた。それは、まさに『field of dreams』であり、自分もいつの日かあの夢の舞台に立ちたい...と、無謀な夢を持っていた。仲間内では野球がうまいと、評判の少年だったのだ(笑)。

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野球は才能のスポーツ。

隣の小学校に山岸君(仮名)というゴリラのように大きい少年がいて、彼の打球に度肝を抜かされた。
こういうやつが将来野球選手になるんだな...と思ったものだが、彼とは中学で一緒になり、その中学にはさらに野球のうまい根本君(仮名)という少年がいたのだ。
私は陸上部、根本君と山岸君は野球部に入ったのだが、川口市内には彼らよりスゴい少年がゴロゴロいるらしい。
では、埼玉県内にはどれほど?

《上には上がいる》

全国には星の数ほど野球少年がいるのだ。当たり前のことだが、私の野球選手になりたいという、幼少期の夢は無残にも打ち砕かれるのである(笑)。

中学時代の根本君とは、その後、高校が一緒になり、同じ野球部で汗を流し今でも交流が続いている。

その高校で根本君は一年秋からレギュラーとなりポジションは捕手、三年時には主将を任される。
私は二年の秋から外野定位置を掴む。
私ごときがレギュラーになるような高校ですから、当然ながら甲子園を目指すなんて夢のまた夢でした。
東・東京予選でも3回戦まで進むのが精一杯だったのです。


その頃。

神奈川県に噂の高校球児がいた。
彼は世間の注目を集めていた。

かつて、私を含め全国には星の数ほども野球少年がいた。
彼らは野球選手に憧れ、自分もいつの日かあの舞台に立ちたいという、かわいくも儚い夢を持っていた。
しかし、時を経て彼らは《上には上がいる》という現実を突き付けられる。

プロ野球選手への道。

次々と夢破れる者が大半の中、生き残った者同士が更に争う弱肉強食の世界。
生き残り淘汰の末、、その屍を越えて頂点に立ったのは?


やつの名は東海大相模高校 “原辰徳
(私と同学年)


甲子園でも大活躍した彼は、長嶋茂雄後の次代を担うスーパースター候補と期待されていた。

現、読売巨人軍監督である。



プロ野球に興味を持ったのは小学校ニ年生頃からで、巨人V9の初期だった。ファースト・インパクトは王貞治のホームラン。そして、チャンスにめっぽう強いミスターこと長嶋茂雄

それ以来、多くの名選手を見てきたなぁ...。

長嶋茂雄vs村山実王貞治vs江夏豊等のライバル対決は、ドキドキしながらテレビの前に釘付けになったものです。
しかし、どんな名選手であってもグラウンドを去る日は必ず来る。ONが中心となった当時の名選手が続々と引退する。
続く、田淵幸一山田久志鈴木啓示山本浩二大杉勝男衣笠祥雄、等々...。



《歴史の必然》

一つの時代終われば次の時代へと。

時の流れは必ず帳尻を合わせてきます。
憧れのプロ野球スター選手の系譜。
それは、現在の大谷翔平に至るまで脈々と受け継がれてきた。


この
field of dreams(前) 野球少年の見た夢は、後半に続きます。
(後)は大谷翔平考を中心に。


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その前に。
はるか群衆を離れて「吉永正人
の続き。

次週は
はるか群衆を離れて「寺山修司
で更新する予定(不確定)