オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

寅さんに会った夜。

上野公園内をぶらぶら歩いていると、人だかりが出来ていた。


「四谷、赤坂、麹町、チャラチャラ流れる御茶ノ水、粋な姐ちゃん立ちションベン。白く咲いたが百合の花、四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水くさい...」

独特の流れるような口上に艶のある声、歯切れの良い台詞回し。

ドキッとする。もしや!?

私は人混みの後ろから中を覗いてみた。フーテンの寅こと、車寅次郎の啖呵売。憧れの寅さんがそこにいる。
その美しくも鋭い滑舌を、私は後ろの方から、うっとりしながら最後まで眺め聞いていた。
夢にまで見た寅さんである。

一日の商売を終え、店仕舞する寅さんの背中に、私はドキドキしながら思い切って声をかけてみた。

「あの... 柴又の寅さんですよね?」

「・・・」

あの細く鋭い目を、訝しげに向けてきた。明らかに警戒している。

「あ、、すいません。私はアナタのファンなので、迷惑とも思いましたが、声を掛けさせてもらいました」

「どこのどなたさんか存じませんが、ワタクシみたいな男のファンだなんて、アンタもおかしな男だねぇ...」

寅さんはそう言うと、あとは興味なさそうにスタスタと歩き始めた。
私はそんな寅さんの後を追いかけながら、何か話すきっかけを窺う。
寅さんは、煩そうに振り返る。

「 で、オレのファンだって云う、何処の馬の骨さんが何の用だい?」

「あ、あの、、もしよろしければ、その辺で一杯やれないかな?と...」

寅さんは胡散臭そうに目を私に向けてきた。

「でもよ、懐具合がよ・・・」


 ・・・・・・・・・・


上野~御徒町間の、ガード下で寅さんと一杯やっている。
昭和の名残ある一杯呑み屋。
最初は何処の馬の骨とも知れぬ私を不審がっていた寅さんも、話しているうちに打ち解けてきたようだ。

瓶ビールでお互いにお酌乾杯をし、肴は焼き鳥、肉豆腐、香の物 等々。
そして、寅さんと飲むなら絶対に日本酒なのだ。熱燗を注文する。
今夜はかなり酔っ払いそうだ。二日酔いになるのも覚悟で、徹底的に寅さんに付き合おうと決めている。

「この辺りではよ、日本画の青函先生や、亜米利加人のマイケルと飲んだことがあってな。懐かしいな...」

寅さんの口から、青函先生(宇野重吉)やマイケル(ハーブ・エデルマン)の名前が出てきたことが、私は無性に嬉しくなった。証券マンの富永(米倉斉加年)と出会ったのも、この辺りだと記憶する。

酔うほどに話は盛り上がる。
寅さんの話は実に面白く飽きない。これが有名な “寅のアリア” なのだろう。まるで情景が浮かび上がるようで、真打ちの噺家のようだ。
自分では「学がねえからよ...」と言うものの、本当は頭の良い人なのだろう。


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話は「とらや」の面々に及ぶ。
おいちゃん、おばちゃんのエピソードがたまらなく可笑しく、日頃は冷めた性格で、めったに声を上げて笑うことのない私も、それこそ大爆笑。
こうして、寅さんと話していることが夢のようで、楽しく愉快で、こんなに笑ったのは子供のとき以来だろう。

でも、心の何処かで緊張しているのを自覚する。

その緊張感は、憧れの人を目の前にしているところから来るのか?
それとも、本当は鋭い感性の持ち主である寅さんに対する恐れなのか?


とらやの面々、歴代のマドンナについて、寅さんは多くを語ってくれた。
そんな中、妹のさくらと、恋人?リリーを語る時の表情は遠くを見つめるような目で、特別の思いがあるのだろう。

私は酔の勢いもあり、迷いながらも思い切って聞いてみた。

「寅さんはリリーさんと一緒になって、団子屋さんを継いで、柴又で静かに暮らせなかったんですかね?」

寅さんは一瞬考えたようだが...。

「言ってみりゃ、あいつ(リリー)も俺と同じ渡り鳥よ。腹減らしてさ、羽根を怪我してさ、しばらくこの家で休んでいただけよ。いつかはパッと羽ばたいてあの青い空へ…」

何処で聞いたセリフだな。
私は苦笑いを浮かべる。

寅さんは続けてこうも言った。

「オレやリリーのような風来坊が、団子屋なんてやっていけると思うかい? 第一、オレみたいなヤクザな兄貴が近くにいたんじゃ、さくらや博に迷惑かけちまうもんな」

寅さんはそう言うと黙ってしまった。
きっと、他人には窺い知れない、定住できない者の哀しみがあるのだろう。

しんみりしてしまったようで、私は話題を変えてみた。

「寅さんと、朝日印刷の社長さんは、いつも大喧嘩してるようで、お互いに遠慮なしで仲がいいんですね?」

「なに! 裏のタコのことか? 冗談じゃねえやい。あのタコはいつも辛気臭い顔しやがって、ツラを見てるとこっちまで鬱々してくらァ」

もう少し、優しい言葉を期待したが、照れの裏返しなのだろうか? 寅さんとタコ社長の関係を疑ってしまう。


私には、どうしても寅さんに聞きたいことがあった。

「弟分の源ちゃんとの出会いって? どんな経緯で、源ちゃんは柴又にやってきたんですかね? ファンとして、源ちゃんの過去が最大の謎なんですよ...」

「・・・」

寅さんは、眉間に皺を寄せて、ジィーっと私を睨む。

「アンタも野暮なこと聞くねぇ...。誰もが他人には触れてほしくないってもんがあるんだよ。過去がどうあれ、源ちゃんは源ちゃんよ」

これが寅さんなのだ。

一見、粗野で自分勝手、やりたい放題の印象を受ける寅さんだが、実は人の痛みを知り、決してそこには踏み込んで来ない。一線を超えることはない。
車寅次郎なりの流儀なのかもしれない。

寅さんの言葉に自分を恥じ、私は黙るしかなかった。

「でもよ、、偉いのは題経寺の御前様だな。オレや源のようなバカが、どんなヘマをしようと決して見捨てることはしないもんな、、。小言はうるさいけどよ、御前様は、人を生まれや育ちで見ないし、差別しないからよ...」

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夜は更けてきた。

「じゃあ、明日も早いからよ。そろそろお開きにしようか? 今日はゴチになってありがとな。今度、お礼するからよ、連絡先教えてくんな。」

「いえいえ、お礼なんて、、今日は色々話を聞かせてもらって、ありがとうございます。楽しかったです。」

私はそう答えると、懐からスマホを取り出し、連絡先をメモして寅さんに渡す。
そのスマホを寅さんは寂しげな目でジッと見ている。
私は慌ててスマホを懐に戻した。

これは、寅さんに見せてはならない。


店を出た寅さんと私は、上野駅に向かってテクテク歩いている。

「あんたも真面目だねぇ、、もっと肩の力抜いて生きた方がいいよ」

「はい! そうします」



私は気付いていた。
 
 今、一緒に歩いているのは?

寅さんの幻であるということを。

 寅さんのゴーストと飲んでいた。



そんなゴーストの寅さんに、最後にどうしても聞きたいことがあった。


「寅さん!」

「ん。なんだい?」


「寅さんは今(令和3年)の日本をどう思いますか?」


寅さんは立ち止まると星空を見上げ
考え込んだあとに言った。


「オレには難しいことは分かんねえけどよ。う~ん、、そうだな、例えば裏のタコよ! ああいう貧しい中でも必死に頑張っているやつ。ああいうやつが報われねえ世の中はまずいんじゃねえかい? 天高く上がってほしいよねぇ。オレはそう思うよ。」


それだけで、もう充分だった。
益々、私は寅さんが好きになる。


・・・・・・・・・・・


上野駅に着くと「じゃあな!」と言い残し、寅さんは人混みの中消えた。

ゴーストの寅さんは、風の吹くまま気の向くまま、今でも全国を旅しているのだろう。


  寅さんに献杯

呑みレポ「仏像大暴れ!」

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先週の土曜日。

日暮れ時の雑踏を歩いていた。
赤提灯から、焼き鳥を焼く扇情的な匂いが鼻孔をかすめる。
それに誘われるまま、私は暖簾を潜った。この店も久しぶりだ...。

「どうも!」

「久しぶりですね!」

コワモテのマスターが黙々と仕事をしている。女将さんが愛想笑いを向ける。

「瓶ビール下さい。それからモツの煮込みね」

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この店のことは、このブログでも何度か書いているが、煮込みが実にうまい。

私は血糖値が高い。
麦酒や和酒は極力避けているのだが、たまの外飲みだ、今日ぐらいはいいだろう。明日からまた節制すればいいからだ。

「健康を祈って乾杯し、健康を損ねる」

そんな、誰かの名言があったな?

麦酒が胃を刺激する。
《 腹が減った...》

「すいませーん! レバーと、、それからボンジリを2本ずつ。塩でね」

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どーすんだよ! これ。

煮込みに焼き鳥4本を麦酒で流し込む愚かなる飲み助。
健康体ならば、このぐらいは微々たるもんで、序の口であるのだが、私は糖尿病なのだ。また血糖値が上がりまずいことになるぞ。 まぁ、今日はいいか...

でもなぁ、、、

池袋文芸座で『聖なる酔っぱらいの伝説』という映画を観たことがある。どういう話だったのか? 内容は覚えていない。

聖なる酔っ払い?

違うな、私は絶対に莫迦なのだろう。



あとから入ってきた、肥満気味で仏像に似たオヤジが、生ビールと煮込みを注文している。この店の売りはモツ煮込みなのだ。

仏像は生ビールをグビグビ呷る。


本来、麦酒なんて、ああやってゴクゴク喉を鳴らして飲むものなのだ。
そんな仏像の飲みっぷりを横目に感心している私は、麦酒をちびちびと愛おしげに飲んでいる。
そろそろ、麦酒がなくなりそうだ。
麦酒と和酒は糖尿にはよくないそうだ。これでやめようか、それとも焼酎は良い?らしいので、烏龍割かお湯割りにしようか考える。

その時、横の仏像が動いた。

「え~~と、ネギマ、レバー、ツクネをタレで2本ずつ。それから、タン、ハツ、砂肝を塩で2本ずつ。あ、生ビールもおかわりね。」

一人で12本かい!?
そんなんだから肥えるんだぞ。
食いすぎだろがっっ!
糖尿病になっても知らねーぞ。

私はネギ焼きか椎茸焼きを追加しようかどうか考えているのに、この仏像ときたら、無遠慮に肉を食いまくっている。

お! また喉鳴らして飲んでやがる。


私のビール瓶の中が空になったようだ。
お湯割りでも頼むか...。


「すいませーん! 八海山下さい」


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ビューティフル!
見事な表面張力である。

やっちゃったよ... 禁断の和酒。



「お前はなぜそんなに酒を飲むのだ?」

「忘れるためさ」

「何を忘れたいのだ?」

「忘れたよ そんなことは」

そんな酒に関するジョークが頭を過る。


自分の健康状態や懐具合が気になるのは、最初の一杯だけなのだ。
 
  私は莫迦なのだと確信する。


美味しい
 美味しい
  美味しい。

私はこの八海山が大好きなのだ。
この店に来ると、必ず頼むのがこの酒とモツ煮込み。
この店との付き合いは長く、20年近くなるんじゃないかな? 最初は今は無きレバ刺しが目的で通っていた。ここのレバ刺し旨かったなぁ~ もう一度食べたい。

シミジミと独飲しながら、私はスマホで明日のエリザベス女王杯の情報を眺めている。レイパパレという馬の母系にロマンを感じ、この馬を固定にして、馬単を数点流してみようかと考えている。
(結果はアカイイトの優勝でした)



再び横の仏像が地響きを立てた。

「あ、マスター、ビールおかわり。カキフライももらおうかな、タルタルソース付きで。肉豆腐も下さい」


自分がまだ身体のことなんて気にせず、自由に飲み食いしていたころは、この仏像と同じだったのだろうな?
下手すると、帰りにラーメンを食べて、更にコンビニに寄りアイスクリームを買って自宅で食べた。

この仏像は私と同年代かやや下かな?
きっと、そのうち病気になるぞ...。

そんなことを考えながら、八海山が美味しくて、おかわりしたくなる。
目の前の焼き鳥は食べ尽くし、煮込みの豆腐が僅かに残っているだけ。

「あの... シロをタレで2本下さい」

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どんなもんだい!
アルコールが少し入ったので気が大きくなっちゃったもんね。

焼き鳥のタレは糖分が多く厳禁なんだぜ。私は莫迦なのだ。

リンカーンの言葉にあったね?
「酒の害は酒が毒だからでなく、すばらしいが故につい飲み過ぎるからだ」

まだ全然飲み過ぎてはいない。
店も混んで来たので、八海山のおかわりは控えて帰ろう。

横にちらっと目を向けると、仏像が大暴れしている。
ジョッキのビールを呷り、タルタルソースの付いたカキフライをパクパク喰らい、尚もビールをおかわりしそうだ。

健康って素晴らしい。そして、一生懸命に生きているんだろうな。
私はそんな仏像さんに好感を持った。同時に滑稽で哀しくもある。

私は席を立った。

「おあいそ、お願いしまーす!」

これ以上、飲みすぎてはまずい。

さて、部屋に戻って飲もう。

 ・・・・・・・・・・・・

ん! まだ飲むのかって.?

だって。

ビンビール一本
八海山一杯
モツ煮込み
レバー、ボンジリ 塩各,2本
シロ タレ 2本

これだけだからね。

まるで、パリ・コレクションのモデル並みの極少飲酒。

そんな私より、あの、大暴れしていた仏像さんが正常なのです。

では。

剣聖

「ちょっと勝っちゃんをイジメてくるからな...」

若き日の松方弘樹
そう言い残して出かけて行く、父の後ろ姿が印象深いと、そんな回想録?を何かの雑誌で読んだことがある。

座頭市血煙街道』
その、勝新との対決シーン撮影の日のことである。誰もが認める? 時代劇役者最高峰剣技の持ち主。松方弘樹の父である近衛十四郎のことである。

松方弘樹の話によれば、通常は撮影本番の日でも前夜からの二日酔い状態でお酒大好きの父が、勝新相手には一滴も飲まず、それなりの覚悟、緊張を持って撮影に臨んだそうだ。

「若手時代劇役者で、一番巧いのは?」との問に、近衛十四郎勝新太郎の名前を挙げたそうである。
所属する東映俳優を差し置き、勝新の名を挙げるなんて、どれだけ認めていたか?ということだろう。

近衛十四郎
あれだけの長刀を縦横無尽に操れる役者は近衛十四郎を置いて他ない。
速い!完全無欠の殺陣。
対する勝新座頭市の居合は鋭く、緊張感あり殺気と情感があった。
当時の頂上決戦と言っても過言ではない。私の知る限り、時代劇史上、龍虎相打つ最高の一騎打ちと断じたい。
座頭市が負けてしまうのではないか?という緊張感。
特に、近衛十四郎の剣技は圧巻。
「剣聖」という称号は伊達ではない。

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時代劇役者史上、最強殺陣の持ち主は誰なんでしょうね?


近頃のテレビ番組は面白くない!
なので、私は時代劇チャンネルで古い時代劇を観ることが多い。
すると、当時は気にもしなかった松方弘樹の殺陣が鋭いのに気付く。
あれは、父(近衛十四郎)の血ですね。
松平健里見浩太朗北大路欣也高橋英樹杉良太郎、、等々。
近衛、勝新以降でもそれなりに巧い役者はいたのだが、私は松方弘樹の殺陣を評価したい。

では、歴代最強は?

月形龍之介大河内傳次郎、市川歌右衛門市川雷蔵、その他。
う~~ん... ごめんなさい。
そういう声もありますが、古すぎて詳しくは知りません(笑)。
時代劇全盛の時代。とんでもない名人はいたかもしれませんね?
近衛十四郎だ、勝新太郎だと言うけど、本当にうまいのは月形龍之介大河内傳次郎だ!」と、古き時代を知る老人が言っていました。
それは、肯定も否定も出来ません。

それは省き、私の知る限りでは?

一般的には。

近衛十四郎
勝新太郎
三船敏郎
中村(萬屋)錦之助

が、四天王とする説が強く、それに加えて「オレよりうまい!」と、勝新に言わせる、その兄、若山富三郎
若山さんは本当に凄い! あの近衛十四郎に匹敵するかも? でも、申し訳ないけど、なんせ華がない。


近衛十四郎勝新太郎は文句なし。

三船敏郎中村錦之助は賛否ありそうですね?
特に三船敏郎は不器用だと言う人も少なくありません。
勝新の鋭さ、近衛さんの懐の深さなく雑な感じも受けますが、野性味と力強さがありますよね?
三船さんの真骨頂は騎馬シーンにあります。黒澤明曰く、あれは他の役者に絶対真似は出来ない。
中村錦之助は? 三船敏郎の殺陣とは対照的に器用ではありますが、小さくまとまり過ぎている。しかし、圧倒的な華がある。あれは天賦の才。
宮本武蔵を演じた役者といえば、絶対的に中村錦之助佐々木小次郎を演じた、あの高倉健錦之助のオーラの前に霞んでしまっている。


殺陣のうまい役者は? というのは、多分に主観的なものであると思います。

でも「るろうに剣心」の佐藤健と、勝新近衛十四郎を較べるような失礼なことはなしね。
(ファンの人はごめんなさい)

やられ役の福本清三さんは認める。


時代劇が滅びそうですね...。

素浪人 花山大吉
,「木枯らし紋次郎
子連れ狼
鬼平犯科帳
大岡越前
「必殺仕掛け人」
大江戸捜査網
破れ傘刀舟
銭形平次
「遠山の金さん」
暴れん坊将軍
水戸黄門

等々。

閉じろ!チューリップ。

「おいコラ!💢 ガン飛ばしてんじゃねーぞ」

「・・・」


高校時代、下校中の京浜東北線
不良校のヤンキー3人組にからまれ、O駅のホームに引きずり降ろされたことがあります。
私は電車に揺られ、車窓を眺めていただけで、彼らにガンを飛ばした(関西ではメンチを切る?)覚えはない。
否、素行の悪そうな彼らにチラッと軽蔑の視線は送ったかもしれないが、断じて睨みつけてはいない。
ヤンキースはハイエナのようにおつむが弱い(注・ハイエナは賢い)ので、獲物を探していただけなのだろう。
制服の裾をつかまれ、駅のホームから階段を降りると、そのままトイレの方に連れて行かれた。

“ カツアゲか? 困ったことになった.. ”

私は逃げることを考え隙を窺う。

トイレに近付いた瞬間だ、ヤツらの腕を振り払うと脱兎の如く駆けた。
ヤンキースが何かを叫んでいる。
しかし、瞬時にヤツらを3~4馬身引き離すと、走る、走る、走る。
ヤツらが追ってこようとする頃には、既に10馬身以上前を走っている。
まるで音速の貴公子サイレンススズカの如く快速を飛ばすと、改札口を抜けたところがゴールである。もう、ヤンキースは諦めて追ってこない。

“ 中学時代は陸上スプリンターであり、現役高校球児であるオレ様が、あんなタバコを吸っているであろう運動不足のゴロツキにつかまるわけねーだろうが、ヴァ〜カ!... ” と、独りごちた。
私は逃げ足は速いがケンカは弱い。
というより、平和主義者なのだ(笑)。

O駅に降りたけれど、戻ればヤンキースがまだいるかもしれない。
危険なので、私はてくてくと隣駅まで歩き、そこから電車に乗って帰った。
私が他者から因縁をつけられた経験はこれだけですね。

  ・・・・・・・・・・・・・


以上はふと思い出したことを書き綴っただけですが...。
ヤンキー=不良からの連想。

高校時代の野球部の同期に、金子君(仮名)というヤンキー気質のヤツがいた。
ヤンキー気質といっても、一応受験を潜り抜けてきたヤツなので、頭は悪くないのだが無頼を気取るところがある。

金子君も競馬が好きだった。
聞けばハイセイコー以来のファンだという。そんなことから、彼とは気が合った?というより、話しが合った。


実は、馬券を自分で買ったのは、金子君と一緒に行った時が最初だったのです(大人に頼んで買ったことはある)。


後楽園の場外馬券売り場。
水道橋駅改札口前で待ち合わせ。
高三の秋(1976天皇賞が目的)

その時のことを思い出すと、私は今でも笑いを堪えることが出来ない。

ほら!
昭和の昔にはよくいたでしょ?
浅草や錦糸町辺りに、垢抜けないファッションに身を包み、自分ではカッコいいと思っているのか? 粋がってチョロチョロしている遊民擬きが(笑)。

身のほど知らずの見栄っ張り。
滑稽である。

「おのぼりさんかよっっ!」

私は指をさしてゲラゲラ笑った。


あの当時のこと。
買った馬券は単勝馬券。
高校生の少ないお小遣い、的中したからといってたかが知れている。
私はハーバーヤングとキクノオーだったかな? 金子君は大喜びだったので、アイフルを買っていたのだろう。
遠い記憶なのではっきりしない。
ちなみに、当時の最強馬(古馬)は海外でも走ったフジノパーシアか、このレースで優勝したアイフルと目されていた?が、この年の有馬記念で、両馬とも後輩のトウショウボーイテンポイントになす術なく軽く捻られている。
 
帰り道。
水道橋駅近くの喫茶店に入った。
タバコを吸いながら馬券的中で得意満面の金子君だが、私は、心の中で “こいつ、おっさんみたいだな...” と、思っていたのを憶えている。

その日、初めて窓口で馬券を買ったことと共に、記憶に残ったことがある。
茶店を出たあとに「ちょっと やっていこうぜ!」と金子君。
生まれて初めてのパチンコ体験。

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パチンコには興味がなかった。
あまり気乗りはしないが、金子君に促されるままに中に入る。
競馬は小学生の頃から興味があり、馬券場に抵抗はなかったけれど、パチンコ店に入るのは緊張した。

「競馬はギャンブルだけど、パチンコは遊戯だから大丈夫だよ!」と、金子君。

18才になっていたとはいえ、まだ高校生の身である。10代の頃の私は、基本的に真面目で堅い性格だったのだ。

《私服の巡回警察官が来て補導されたらどうすんだよ...》
そんなことを考えるとドキドキする。
それに比べ、遊び慣れている金子君は悠然と台に構えている。
彼の外見と服装は、明らかに私よりずっと年長に見えるだろう。


チーン ジャラジャラ・・・

というわけにはいかず。
二人とも虚しく銀玉は空を切るだけ。
高校生の少ない小遣い、20~30分で店を出ることになる。

当時、金子君は柏、私は川口に住んでいたので、その後、秋葉原駅で別れ帰る。懐かしい一日です。
彼とは高校卒業後、野球部の同期会等の集まりで数度会ったことはあったが、交流はなかった。
もう、30年以上会ってないな。
現在、どうしているのだろうか?

 ・・・・・・・・・・・・・・


高校を卒業した翌年?数年後?
あの日、私は初めて一人でパチンコ店に入った。
そして、奇妙な経験をする。



浦和に何の用で行ったかは記憶にない。吐く息が白くなるほど寒い真冬(1~2月)だったと思う。‚
私は浦和の街をトボトボと歩いている。ちょうど夕暮れ時で、何とも寂しさがこみ上げてくる。
すると、目の前にパチンコ店の明るいネオンが目に入った。それに誘われるように、それまで一人では一度も入ったことのないパチンコ店に飛び込んだのです。

当時のことだ。
手打ち式のハンドルを要領も分からず一発ずつ打つ。どうせ、すぐ球が尽き数分で終ると思っていた。

チーン! ジャラジャラ♪

ところがどういうわけか次々と賞玉してしまう。余程良い台だったのか? 適当に打っているだけなのに入賞玉が続き、球は続々と増え続ける。

チューリップが開いた。

運がいいのか悪いのか?
やがて受け皿が一杯になる。
受け皿が一杯になっても次にどうしていいか分からない。

チューリップよ閉じろ!

球数を減らしたく、やみくもに打つのだが賞球は続いてしまい、球数は一向に減る気配がない。
景品交換の要領も分からず、とうとう私はそれ以上打つのをやめてしまった。要するに、受け皿が一杯になっているのに、それ以上出たらどうしてよいか分からない。
その逡巡を人に感づかれるのが恥ずかしかったのだ。

私は銀玉を一握り掴むと、それをポケットに入れ、他の賞球を残したまま台を離れ、そのまま帰ってしまった。
ポケットに入れたパチンコ玉はどうしたのか? 記憶がない。


遠い日の思い出です。


その後、20代の一時期、パチンコに嵌まったことありましたが、長続きはしませんでした。


競馬の面白さには勝てません。

field of dreams(中) 大谷翔平ウルトラマン説

field of dreams(前) 野球少年の見た夢
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2021/10/08/233642

~の続き。


『少年時代の私にとって、野球選手は絶対的憧れの存在だった』

憧れ...。

日本プロ野球の歴史の中で、三つの重大な時期に三人の天才が出現し、この国のプロ野球を救った。
一人目は、プロ野球の草創期、彗星のように現れ、ベーブ・ルースらの全米最強軍を相手どりバッタバッタと三振の山を築いた沢村栄治
二人目は、戦後の一面焦土と化した日本に突如として出現し、ホームランをスコンスコンと打ちまくり爆発的プロ野球ブームを巻き起こした大下弘
三人目は、日本が高度成長期に向かうとき、そのダイナミックな攻・守・走で人々の記憶に永遠に残る仕事をしたミスタープロ野球長嶋茂雄
青田昇「じゃじゃ馬一代」引用)

長嶋茂雄以降、更に三人を付け加えるならば?

日本野球と決別、単身メジャー・リーグに挑戦し、日本人プレーヤーのMLBへの道を切り拓いた野茂英雄
バブル崩壊後、MLB首位打者やシーズン最多安打等の記録を作り、天才の名をほしいままにしたイチロー

そして、あの男・・・。


他にも多くの名選手がいました。

稲尾和久金田正一野村克也王貞治落合博満松井秀喜松坂大輔ダルビッシュ有 等々。
しかし、球史を動かしたという点では上記 6名になるのかな?
(王貞治も、それに加えていいですね)

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プロ野球オールドファンが、酒席等で集まると、必ず話題になることがあります。

独断と偏見による史上最強選手論争。

プロ野球史上。
最強打者は? 投手は? 守・走の達人は?
そして、歴代最強オーダーは?
様々な意見(思い入れ)の食い違いから、険悪になることしばしば。
そんな実にくだらない子供じみた野球論争は実に楽しく、オールナイトでも尽きない至上の時間だったのです。

あの男が出てくるまでは・・・。

大谷翔平

MLBで、46発、26盗、OPS.965
投手としても、二桁もう一歩の9勝
仰天の成績。。。

こんなことをされちゃ。

昔は良かった...という、過去を美化したい野球オヤジたちの口を、ぐうの音も出ないほど完全にシャットアウトしてしまった。
あのイチロー松井秀喜が出てきた時でさえ「いやいや、王や長嶋の方が...」と反論するオヤジは必ずいた。
しかし、大谷翔平を持って来られちゃ、そんなオヤジたちも悔しそうに黙ってしまうしかないだろう。
否、黙らせたのはオールドファンだけではないような気もする。

往年の名選手、故野村克也氏や張本勲氏も最初は「二刀流? プロはそんなに甘くない! 」と、不快そうに語っていたものの、次第にその口を封じられる。

大谷翔平は全ての史上最強打者論争に終止符を打たせたのかもしれない。


野球少年はプロ野球選手に憧れる。
憧れの感情。
少年は自分の理想とする選手を目標にする。尊敬の念から自分もああなりたいという感情移入。
王貞治イチローのような天才を見ても、例えば、大山倍達が片眉を剃って山に籠もり天狗のような修行したり、伊達直人が虎の穴で地獄のトレーニングをしたように(笑)、努力すれば自分もそうなれるかも... という幻想。
大人になっても、かつて憧れるもなれなかった自分の代わりに、その夢を好きな選手に実現してもらうという自己投影。

しかし、大谷翔平に対してそのような感情は湧くのだろうか?
勿論、憧れはするだろうが、その感情で一番重要な目標となるのか?
目標とするには彼は突き抜け過ぎているのではないだろうか?

映画ファンは、銀幕の剣豪映画、任侠映画ブルース・リー等に憧れ感情移入する。自分も銀幕スターのようになりたいと思う。
しかし、コングやゴジラウルトラマンには絶対なれない。


大谷翔平ウルトラマンなのである。


ごめんなさい。
私は競馬や野球を語ると、意味不明の劇画チックになっていく傾向があるので(笑)...。


まぁ、私は大谷翔平のような圧倒的突き抜けた存在よりも、球団や監督との確執から、単身海を渡りメジャー・リーグで大成功を収めた、野茂英雄のようなサクセス・ストーリーが好きなのです。


そういえば、ある若い野球ファンが、老害的発言を繰り返す張本勲氏に対してこんなことを言っていた。
「張本なんて、レベルの低い時代で記録を作っただけでしょ? 今の時代なら二軍でも通用しない」
張本さんの前時代的考え方に批判があるのは当然だが、往年の名選手の実績に対して「レベルの低い時代」という発言は失礼極まりなく、野球ファンとして最低だと断じたい。

アメリカのMLBファンに、このような発言をする人は非常に少ない。
日本のNPBとは歴史も違い、野球文化とベース・ボール文化の違いもあるだろう。向こうのファンは、過去のレジェンドに対する敬意は深い。


野村克也は、こんな名言を残している。

沢村栄治なかりせば、私もいない』

メジャー・リーグのファンは、この言葉の意味をよく理解しているのです。

(続く)

続きは。

【field of dreams(後) フェンスの向こうの伝説】
のタイトルになる予定。


 ・・・・・・・・・・・・・・・

次回から2~3回は、一般話題になります。
field of dreams(後) は、その後、11月中になります。

はるか群衆を離れて「寺山修司」

はるか群衆を離れて「吉永正人
からの続き
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2021/09/11/155249

「人に迷惑を掛けるのがイヤなので、アクシデントになりやすい馬ごみではなく、逃げや追い込みが好き」
そう語る吉永正人だったが、一方では「あいつはダンスホール壁の花のような男で、踊り騒ぐことはしないが、隅っこでひっそり壁にもたれ笑みを浮かべている。本当は賑やかなところが好きなのかも...」そんな証言もある。
そういえば、彼は寡黙という印象で知られるが、気心の知れた中では冗談も言うし、饒舌でもあったらしい。
寡黙で不器用というイメージは、確かにそういう面もあったが、詩人? 寺山修司のエッセイにより過剰に粉飾されたものかもしれない。

寺山修司もまた、吉永正人に似た面があったのだろう。
寺山のその生い立ちに触れるのは長くなるので省くが、コンプレックスの塊であったらしい。
しかし、その逆に虚栄心、上昇志向が強かったことでも知られている。

東北は青森出身の寺山は、その強い訛りから言葉の問題に苦労していた。
そして、吃音(どもり)に悩んでいたとも告白している。
しかし、彼は ドモリ=コンプレックス を逆手に取って武器にしていた。
彼の不自然な訛りは芝居がかっている。本当はきれいな津軽弁を話すことが出来る。という証言もある。



「ドモリは精神の貴族である。
ドモリはいいたいことをいっぱいためておいてから、一つ一つ考え考え言うのだ。ドモリによる精神の屈折こそ、人間のことばの喜びを知るものである。だいたい、ベラベラとしゃべるやつにはほんとうのことは何もいえない。考えているひまもありゃしないじゃないか。え?
きみ、ドモリたまえよ。
きみ、ドモルのがいいんだよ」
 (家出のすすめより引用)


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「僕の職業は寺山修司です」

そう語ったように、様々な分野で幅広く活動した寺山修司だが、一貫して追求した主題は?

精神的屈折、コンプレックス等は克服するよりも光を当てよ!
ラクタにも光り輝く時がある。
そして「幻影」「虚構」


彼はハイセイコーテンポイントといったメジャーな名馬を描くにもその陽の部分ではなく陰の部分にスポットライトを当てた。
モンタヴァル一族の呪い、臆病馬コウジョウ、白い逃亡者ホワイトフォンテン、走るお墓メジロボサツ、どうしてもフジノオーにだけは勝てなかった名障害馬タカライジン、遠くブラジルで騎手に蒸発されてしまった捨て子ハマテッソ 等々...。
地味でどこか物悲しい名馬に脚光を浴びせたのである。

私が競馬好きになったのは、ウマ好きの叔父の影響もあったが、寺山修司の文章に触れたことがより大きかったのかもしれない。
彼は虚構的表現を多用するので、名馬を擬人化し極端にデフォルメする傾向もあるが、同じ擬人化でも当節流行りのウマ娘とは、名馬に対する思い、敬意が180度違うのだ。
(ファンの人はゴメンナサイ)


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ん!
唐突にねじ式
なんか、寺山修司と、つげ義春に共通するものを感じ貼っただけです(笑)。ちょっと、違うかもしれないが...。

それは置いておいて。


競馬ファンは馬券を買わない。財布の底をはたいて自分を買っているのである」

「競馬が人生の比喩なのではない。 人生が競馬の比喩なのだ」


寺山修司の有名な競馬に関する言葉だが、この言葉を過剰に分析するのは無意味であると思う。
彼はその文章の中で、実の母親を何度も殺している虚構表現を得意とする詩人であり、単なる言葉遊びである可能性が高いと思うからだ。
でも、自分(の人生)と似ている競走馬を無意識のうちに探し求めているのは確かであると思う。


先日の京都大賞典
 ダービー馬の栄光と挫折。
殆ど噛ませ犬化していたマカヒキの逆襲に、自分の人生と重ね合わせ、快哉を叫んだ人は少なくないはずだ。




はるか群衆を離れて・・・。


ここで言う「群衆」とは、人間嫌いからくる隠遁への憧れではない。

人間、誰でも心にコンプレックスを抱えている。
挫折のない人生なんて稀なのだ。

「陰」を歩いてきたからこそ、本心では「陽」である群衆への憧れは強いと思うのだ。

名手、吉永正人は群衆の喝采あるダービー・ジョッキーを目指していた。
寺山修司も自己顕示欲が強く、あの三島由紀夫をライバル視していたそうだ。

寺山修司が裏町的人生にスポットを当てたのは、、権力、否、権威に対する反感からきていたのかもしれない。


「私のアパートの壁には、今もジプシー・ローズのピンナップが一枚貼ってある。この60年代の肉体のヒロインは、とりたてて美しくもなければ、セクシーでもない。だが、その反抗的な眼差しだけは、今でも、私を挑発しつづける」 (スポーツ版裏町人生引用)


う~~ん

私は還暦も過ぎたので群衆を目指すような上昇志向も虚栄心も残っていないな。
ただ平和に穏やかに暮らしたい。

はるか群衆を離れて、ムーミン谷で、ムーミンスナフキンやミィたちと、楽しく愉快に暮らしたい(笑)。

以上。

field of dreams(前) 野球少年の見た夢

大谷翔平 2021主な成績

【打撃】
[試合]155
[打数]537
[安打]137
[打率]257
本塁打]46
[盗塁]26

【投手成績】
[先発]23
[投球回]130.1
[勝利]9
[敗戦]2
防御率]3.18
奪三振]156


 ・・・・ 驚くべき成績ですね。



私は幼少期の頃から野球少年だった。

テレビアニメ「巨人の星」が始まったのは小学三年生の頃?
あまりにも夢中になっていた私を不憫に思ったのか? 父に連れられ川口駅前にあったスポーツ用品店で野球グローブを買ってもらった。幼少期の私にとって、一番嬉しい出来事でした。
それからというもの、寝ても覚めても
四六時中グローブを手元に置き、夜寝る前にも枕元に置いた。
買ったばかりのグローブは硬いので、それにオイルを塗り、ボールを挟んで型をつける。グローブの革、それにオイルの混じった匂いをかぐと、少年時代の記憶がノスタルジーとなって蘇る。


野球選手は少年時代の私にとって、絶対的憧れの存在だった。
それは還暦を過ぎた現在でも僅かながら残っている。


あの頃。

王貞治が、長嶋茂雄が、村山実江夏豊野村克也張本勲といった、野球少年憧れのスター選手が、夢の舞台で躍動していた。それは、まさに『field of dreams』であり、自分もいつの日かあの夢の舞台に立ちたい...と、無謀な夢を持っていた。仲間内では野球がうまいと、評判の少年だったのだ(笑)。

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野球は才能のスポーツ。

隣の小学校に山岸君(仮名)というゴリラのように大きい少年がいて、彼の打球に度肝を抜かされた。
こういうやつが将来野球選手になるんだな...と思ったものだが、彼とは中学で一緒になり、その中学にはさらに野球のうまい根本君(仮名)という少年がいたのだ。
私は陸上部、根本君と山岸君は野球部に入ったのだが、川口市内には彼らよりスゴい少年がゴロゴロいるらしい。
では、埼玉県内にはどれほど?

《上には上がいる》

全国には星の数ほど野球少年がいるのだ。当たり前のことだが、私の野球選手になりたいという、幼少期の夢は無残にも打ち砕かれるのである(笑)。

中学時代の根本君とは、その後、高校が一緒になり、同じ野球部で汗を流し今でも交流が続いている。

その高校で根本君は一年秋からレギュラーとなりポジションは捕手、三年時には主将を任される。
私は二年の秋から外野定位置を掴む。
私ごときがレギュラーになるような高校ですから、当然ながら甲子園を目指すなんて夢のまた夢でした。
東・東京予選でも3回戦まで進むのが精一杯だったのです。


その頃。

神奈川県に噂の高校球児がいた。
彼は世間の注目を集めていた。

かつて、私を含め全国には星の数ほども野球少年がいた。
彼らは野球選手に憧れ、自分もいつの日かあの舞台に立ちたいという、かわいくも儚い夢を持っていた。
しかし、時を経て彼らは《上には上がいる》という現実を突き付けられる。

プロ野球選手への道。

次々と夢破れる者が大半の中、生き残った者同士が更に争う弱肉強食の世界。
生き残り淘汰の末、、その屍を越えて頂点に立ったのは?


やつの名は東海大相模高校 “原辰徳
(私と同学年)


甲子園でも大活躍した彼は、長嶋茂雄後の次代を担うスーパースター候補と期待されていた。

現、読売巨人軍監督である。



プロ野球に興味を持ったのは小学校ニ年生頃からで、巨人V9の初期だった。ファースト・インパクトは王貞治のホームラン。そして、チャンスにめっぽう強いミスターこと長嶋茂雄

それ以来、多くの名選手を見てきたなぁ...。

長嶋茂雄vs村山実王貞治vs江夏豊等のライバル対決は、ドキドキしながらテレビの前に釘付けになったものです。
しかし、どんな名選手であってもグラウンドを去る日は必ず来る。ONが中心となった当時の名選手が続々と引退する。
続く、田淵幸一山田久志鈴木啓示山本浩二大杉勝男衣笠祥雄、等々...。



《歴史の必然》

一つの時代終われば次の時代へと。

時の流れは必ず帳尻を合わせてきます。
憧れのプロ野球スター選手の系譜。
それは、現在の大谷翔平に至るまで脈々と受け継がれてきた。


この
field of dreams(前) 野球少年の見た夢は、後半に続きます。
(後)は大谷翔平考を中心に。


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その前に。
はるか群衆を離れて「吉永正人
の続き。

次週は
はるか群衆を離れて「寺山修司
で更新する予定(不確定)