アリが死んでいる
角砂糖のそばで
笑いたい気もする
あたりまえすぎて♪
(井上陽水「たいくつ」)より。
少年時代。
私(家族)は伯父が経営する(父が工場長)キューポラ工場裏の敷地内に家を構えていました。工場と家の合間にちょっとしたスペースがある。
あれは夏休みだったのだろうか....。
私は小学校2~3年生? 多分、半ズボンにランニングシャツ、麦わら帽子(野球帽だったかも)を被っていたと思う。
その工場裏のスペースで、私は座り込んでジッといつまでも飽きずにアリンコを見ていた。
角砂糖、塩、不二家ペコちゃんペロペロキャンディー、ソースせんべい、マーブルチョコレート等々、色々なものを地面に撒きアリの様子を見ていた。
多分、アリが一番集まったのは角砂糖だと思います。昼下がりの記憶だったのですが暑かったですね。
まだ熱中症という言葉がなかった?昭和40年代始め、、炎天下の中で遊んでいると日本脳炎に罹るよ...と、当時の大人によく注意されたものです。
あの頃は舗装されていない道の方が多く、土も豊富でアリはいっぱいいました。それからドブ川が至るところにありましたのでボウフラがわいてヤブ蚊がやたら多かったんですよね。
そんなことはどうでもいいのです。
少年時代の私は三角ベースボールや缶蹴りをしたり活発に走り回る子どもではありましたが、独り遊びも好きで空想癖もあった。
ジッとアリンコを眺めているのに飽きると、突然私は巨人ガリバーや怪獣王ゴジラになってアリンコを襲う。巣を破壊し、逃げ惑うアリンコを踏みつぶし、数匹捕まえてはドブ川に放り込むのです。子どもは残酷です。今考えると、なんてな無慈悲なことでしょう。
私は地獄に堕ちても、カンダタのように蜘蛛の糸は垂れてこない(笑)。
ふと、ヒトの気配がありました。
前の道に日傘をさした和服の女の人が立っていて、独り遊びをしている私をジッと見つめていた。
「ボク、ちょっといいかな? そこまで荷物運ぶのを手伝ってくれないかな? 遊んでるところゴメンね...」
女の人は少年時代の私の視線からは高齢に感じましたが、案外30~40代と若かったかもしれませんね。
女の人はハンカチで汗を拭きながら、少年の私に十円玉を差し出しながら荷物運びを頼んできた。
それがどういう荷物だったかは記憶にないのですが、風呂敷包みだったような気もするのですが、それよりも女の人の表情が疲れているようで、必死さが伝わってきました。
今考えると、あの人は具合が悪かったのかもしれない。人通りの少ない、まだ舗装もされていない道でしたから、他に頼む人はいない。そこにいるのは小さい少年だけ。
なんと私は、その女の人が怖くなって家の中に逃げ込んでしまった。
子どもにとって大人の必死さは怖く感じるものなのかもしれない。
あの紙のように白い顔、、、あの表情は普通ではない、と、子ども心に感じたのかも知れません。
家の中に入っても、私はあの女の人が今にも玄関のチャイムを押して、ピンポーン!と音をたてるのではないか?
「ボクって、思いやりのない子どもなのね?助けてほしかったのに...」
そうやって、家の中に入ってくる。
想像力豊かな少年だった私は、そう思うとドキドキしていました。外からは下駄のカランコロンとした音が聞こえてきた。そっと窓から道の方を覗いてみるともう誰もいない。
あの女の人は誰だったのだろう?
当時は、まだ『吉展ちゃん誘拐殺人事件』の記憶が新しい時代でしたから、大人からは「絶対知らない人に付いて行っちゃダメだよ!」と、日頃から言い聞かされていましたが、子どもにだって分かります。
そんな人ではないことを。
私が臆病なだけだったのだ...。
なぜ、私は逃げてしまったのだろう?
あんな小さな男の子に助けを求めてきたのは余程のことだろう。
今回の更新は、お盆ということもあり「怪談」をテーマにしたかったのですが、それを考えていると、なぜかあの少年の日を思い出してしまった。