オケラ街道の奇人

令和という斜面に踏み止まって生きる奇人。自称抒情派馬券師、オケラ街道に潜む。

背番号「14」の怨念

読売巨人軍
今年の日本シリーズ
去年に続いて、またまたソフトバンクに4タテを食らった。

(2019)
ソ 10―1 巨
ソ 10―0 巨
ソ 10―1 巨
ソ 3―2 巨

(2020)
ソ 5 ―1 巨
ソ13―2 巨
ソ 4―0 巨
ソ 4―1 巨

この2年間で0勝8敗。
得点にすると、なんと 8対59である。
同じプロ野球チームですよ...。
これ、単に戦力差だけでは説明がつきません。これは呪いなのです(笑)。



栄光の背番号「14」


沢村栄治は巨人軍を怨んで死んだ》

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慶応大学に進学が決まっていた沢村を「一生面倒を見る」と説き伏せ、強引に入団させたのは、読売ジャイアンツ創立者、大正力といわれた、正力松太郎氏なのである。
沢村が2度も応召を受けたのは、高卒(高等中学)だからですよ。
そして、前線で手榴弾を多投させられた影響か? 肩を壊してしまう。
一生面倒見るって約束したでしょ?
でも、肩を壊した投手は役立たずってわけか? ジャイアンツは、読売は、正力は、、沢村栄治を解雇した。
酷い話しですよね。

プロの世界は非情だ! それはよくあることだと思う。
が、沢村栄治といえば、プロ野球黎明期最大のスーパースター。
ベーブ・ルースルー・ゲーリックら全米軍を相手に三振の山を築いたという伝説はあまりにも有名だ。
戦後の長嶋茂雄と並び称される存在。そんな功労者になんという冷たい仕打ち。


沢村栄治
1944年10月2日。
二度目の応召にて、屋久島沖西方にて戦死。27歳没。

沢村さんは神様じゃないんだから...。
そりゃあ、怨みますよ。


そんな沢村栄治の怨念は、後に「アストロ球団」という形になり、世間を騒がせます。
ん? あれは漫画でしたね(笑)。

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否、冗談ではなく、海に眠っていた沢村の怨霊は、戦後の昭和、平成を越えて、令和の世に甦ったのです。

長年、プロ野球界に権力を振るっていた読売の横暴。
沢村栄治は決して巨人軍を許さない。


この日本シリーズで、巨人軍が受けた屈辱は沢村栄治の呪いなのです。
ファン離れ、、経営ピンチ?
読売は正しい方向に進まなければ、まだまだ呪いは続くだろう。


崇徳天皇菅原道真平将門という非業の死を遂げた歴史上の日本三大怨霊に匹敵する?

栄光の背番号「14」
沢村栄治の怨霊が、ナベツネ原辰徳の背後に忍び寄る。


そういえば、有名な「沢村賞」の表彰式には、決して沢村栄治の遺族は出席しないそうですね?


沢村栄治は巨人軍を怨んで死んだ。

タコ タコ 上がれ!

タコ社長のことを思い出している...。


『葬式無用。弔問供物辞すること。生者は死者のため煩わさるべからず。平成9年2月26日 太宰久雄

タコ社長こと、太宰久雄さんの遺言。
これは、朝日新聞(天声人語)等でも紹介されましたね。

男はつらいよシリーズ。

『俺のやせ細った死に顔を他人に見せたくない。骨にしてから世間に知らせてほしい』渥美清

シリーズ末期、寅さんこと渥美清さんは、闘病の中、かなり無理をして仕事をしていたのは知られることですが、それは渥美さんだけではなかった。
渥美さんと太宰さん。二人の遺言、共通するものがありますよね? ん、、ちょっと違うかな...。

渥美さんの素顔は、寅さんとは正反対?で、公私混同を嫌い、私生活を明かさず、他者との関わりを極力避ける孤高な性格だったと言われる。
太宰さんも、バイタリティー溢れる賑やかなタコ社長とは違い、その素顔は大変シャイで人前で話したり演技するのは苦手だったようです。
隠遁生活? そんな性格が、二人の遺言には、如実にあらわれているように思えます。


タコ社長は「中小企業経営者の苦労がわかってたまるか! 」と、よく口にしていました。経営する実際の朝日印刷は零細企業ですよね?
「タコタコあがれっていうもんな...」
そうやって、寅さんにからかわれる場面がありましたね。

🐙タコタコ上がれ 天まで上がれ🐙

これ、コロナ禍の現在。
笑い話になりませんからね。

新型コロナウイルスの感染が再拡大している。地域によっては1日当たりのコロナ感染者数が過去最高を更新しているそうだ。
どれだけ深刻なのか? 情報が錯綜して私には分からない。
感染による健康面が心配なのは勿論のこと、経済面の不安も大きい。
あまり深刻に考えないようにするも、ジワリ.. ジワリ... と、不気味な影が背後から襲ってくるような感覚。


京浜東北線 川口駅から本町通り沿いにあった大衆食堂N

京浜東北線 蕨駅近くの立ち飲み屋Y

北千住駅近くの角打ち酒場K

みんな、みんな、、このコロナ禍の影響で潰れてしまった。
20代、30代の頃から通い、今でも思い出しては年に数度顔を出していた思い出深い店々。

個人営業の飲食店。
外出自粛状況下でやっていけないところが多いという。当たり前だ。
腕のいい料理人が個性ある料理を出す店が潰れ、無機質なチェーン店ばかりになったら?
その道一筋でやってきた、苦労人で実直なタコ社長のような人が苦労するのだ。 ふざけちゃいけない!

タコ社長は個人事業主のシンボルだ。
否、庶民の象徴と言ってもいい。
昭和の昔には、タコ社長のような人が結構いましたよね?
いくら相手がウイルスとはいえ...。
このような弱い立場の者が犠牲になるのはあまりにも残酷で悲しい。

“ タコ タコ上がれ!”

と、飲食店に限らず現代のタコ社長。苦労が報われてほしいものです。


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太宰久雄さんは、入院先の病院で、渥美清さんの死去の報を聞いたという。
その時、太宰さんはベッドの上で唇を噛みしめ押し黙ったままだったと言います。

それからは・・・。

誰にも会おうとせず、「寅さんとのお別れの会」以降は見舞いも断っていたという。そして、あの遺言である。

葬式無用。
弔問供物辞す。
生者を煩わせず。

これを「周囲に対する気遣い、太宰さんのやさしさ、超然とした最期...」等と言う人がいる。
果たしてそうなのだろうか?
私はそんな単純なことではなく、もっと他に何かあるのではないか?
と、思うのは気のせいなのかな。。。


太宰久雄さんは、演じたタコ社長の底抜けに明るい笑顔の裏に、私生活では大変な苦労人で悲しい思いもしている。それに触れるのはあまりに切ないので言及はしません。


コロナ後の社会。

ライフスタイルが変わるでしょうね?
きっと、処世術に長け要領の良い人が生き残り、タコ社長のように実直で不器用な人が社会から落ちこぼれるのでしょうね?
クソみたいな社会ですね(笑)。


寅さんとタコ社長の取っ組み合い。
お互い遠慮なしでした。

でも、あれは戯れなんですよ。


タコタコ🐙上がれ!

初恋

当時、ラジオからは、バンバンの「いちご白書をもう一度」がよく流れていた記憶があり、高ニの頃だったかな?

休日の昼下がり?
昼寝から覚めトイレを済ますと、家の窓から外を覗いた。
前の通りに見覚えのある姿、、中学時代の同級生女子Sが歩いていた。

《夢にまで見たSさんである》

私は大急ぎで外に飛び出すと、自転車に跨った。
Sさんの後ろ姿を確認すると、ゆっくり、ゆっくりと... 不自然にならないよう、怪しまれないよう近付いた。

私の胸は張り裂けそうなほどドキドキしている。さて、どうやって声をかけようか? 否、声をかけることなんて出来るのだろうか?
どうせ、自転車で前を通り過ぎ、ちらっと顔を確認してそのまま声をかけられずに行ってしまうだけだろう。そうやって、後で後悔するに決まっている。私の恋路はいつもそうなのだ。強度の臆病、、ましてや、相手は恋焦がれ夢にまで見たSさんなのである。

私は緊張した。
自転車はSのすぐ近くまで迫っている。一旦、速度を落とし横道に逸れながら距離を置いた。

“ Sは、なぜこんな所を歩いているのだろうか? 卒業名簿に記載されている住所は隣町だったような?... ”

私の頭の中は混乱していた。
スマートに声をかけられるはずがない。どうせ、緊張で顔を真っ赤にして「こ、こ、こ、こんちは!」なんて、吃ってしまうに決まっている。そして、言葉が続かず「じゃあ!」なんて言いながら、自転車でピュウ~っと、去って行く自分の後ろ姿が容易に想像出来る。そうなったら、変態決定!で気持ち悪がられるだろうな...。
想像しただけで舌噛んで死にたくなるほど絶望的に恥ずかしい。

色々な思いが頭の中を交錯する。
顔を確認したら、そのまま黙って行ってしまおうか...なんて弱気になる。

待てよ!
気付かれて「あれ?」なんて、逆に声を掛けられたらどうしよう?
偶然を装わなきゃ怪しく思われるぞ。
(実際は、Sがこの辺りを歩いている方がおかしいのだが...)

負の妄想が広がる。
思考回路ショート寸前である。

私は自転車でSの前を通ろうと決心した。もう、どうにでもなれ!

ドキ ドキ ドキ ドキ ...。

Sの横をゆっくり通り過ぎ、ちらっと振り返ると、まともに目が合った。

そこにいるのはSではなかった。


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これは初恋の思い出です。

Sとは同じ中学で、三年間同じクラス(クラス替えはなかった)、同じ陸上部でした。
中学時代は意識しませんでした。だから、普通に話していましたよ。
卒業して会えなくなると、好きだったことに気が付いて、その思いがどんどん膨らんでいったのです。

恋というものは、そういうもんではないでしょうか?

夢に出てくるほど恋焦がれ、そういう気持ちが、ちょっと似ている女の人を見ると、振り向いたり、追ってしまうことしばしばでした。
ストーカーじゃないですよ!
恋は盲目って言うじゃないですか(笑)


小学校低学年の頃から、クラスに一人二人は “いいなぁ~ かわいいなぁ~ ” と思う女の子はいましたが、本当に好きになったのはSさんが最初だったと思います。
思い切って思いを伝えようと電話したこともありました。生憎留守で、私も名乗りませんでしたが...。
恥ずかしい話しですが、当時のフォークソングを聞いては泣きそうになっていた程です。


その後、二十歳頃かな?
Sさんとはクラス会で会う機会がありました。普段の私は同窓会とかクラス会の類には、絶対出席しない男なのですが、Sさんに会いたいばかりに。
その時は、遠くから眺めているだけで話すチャンスはありませんでしたね。

あれから40年以上。

どうしているんだろうな?

ドリームマッチ実現!

いやぁ~!
今月29日に行われるジャパンカップ
無敗の三冠馬コントレイルと、無敗の三冠牝馬デアリングタクトの出走表明で盛り上がっているところに、史上初のG1レース8勝を達成したアーモンドアイまでもが出走するというビッグニュースが入ってきました。


それぞれの関係者。
ファンの声に応えてくれたんですね?
ファンの夢より、ビジネス的なことばかり優先させる近年の競馬界に文句ばかりつけてきましたが、やはり、競馬に携わる仕事をしている方々、本質的なところでは、ファンの気持ちが分かっているんでしょうね。

本当に “ありがとう” と言いたい。


競馬界のドリームマッチ。
過去にもありました。

カブラヤオーvsテスコガビー

ミスターシービーvsシンボリルドルフvsカツラギエース

タマモクロスvsオグリキャップ

メジロマックイーンvsトウカイテイオー

ナリタブライアンvsヒシアマゾン

サイレンススズカvsグラスワンダーvsエルコンドルパサー

オルフェーヴルvsジェンティルドンナ 等々。
他にもありますが、今、思い浮かんだものです。

ハイセイコーvsタケホープや、TTG対決、ウオッカvsダイワスカーレット等は、名勝負であって、ドリームマッチとは趣が違いますね。


さて、今年のジャパンカップは過去のドリームレースに較べても、ドリーム度では一番かもしれません。

どれが勝つのか?全然判りません。
それに、どれが勝ってもいい。


新型コロナウイルスの感染拡大の影響により国内外のスポーツの中止が相次ぐ中、競馬界はJRAも地方も無観客での開催を続けていましたが、そんな中で売り上げを伸ばし、新たなスターホースが登場し、大声援はなくとも盛り上がっています。
それが嬉しいのです。

一時は開催できないのではないか?
日本ダービーが行われない年になるのではないか?
そんな不安もありましたね。


関係者の努力に感謝です。

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これから、ジャパンカップ有馬記念と、ビッグレースが続き、競馬ファンとしては、その情報にワクワク、ドキドキする日が続きそうです。


全国で新型コロナの感染者が再び増え始め心配されていますが、ここを乗り切って、競馬場へ行きたいですね。

競馬場という聖地へ
  穴馬を求め 万馬券を求め...。


皆さん。

また、競馬場で逢いましょう。

カリスマは怪しい。

A家の仏間には、ある人物の写真を額縁に入れ大きく飾ってある。
自分の先祖の写真を端っこに追いやり、ど真ん中の一番目立つ場所に、大きく飾ってある。

ある時、A氏は北朝鮮国民のことを「みんな、本当に金正日(当時)のことを尊敬しているのだろうか? 洗脳されてかわいそうに...」と語った。
否々、北朝鮮の国民は、 洗脳された “ロボット人間” ではない。あれは恐怖政治でしょう? それに、制限されているとはいえ、意外と海外の情報に接する機会もあり、自分たちが置かれている立場も知っている。


A氏は自分の所属する宗教団体の長を尊敬している。否、盲信していると言っても過言ではない。

「○○先生はカリスマ性のある素晴らしい人ですよ!」なんて言いながら、その著書を紹介し「今度、(その宗教の)座談会に来てみませんか? 感動しますよ」と、言い出す始末。
ふざけちゃいけない!
北朝鮮国民のことを心配する前に、おのれの脳内を心配しろ!」と言ってやりたかったが、論争を吹っかけるということは、そのトラップに引っかかるということ。
狂信者と不毛の論争をしても勝てる訳がなく、黙殺するが一番。
宗教は否定もしないし、信じてその人が幸福になるのはいいことだと思う。しかし、折伏してこようとする人は本当に面倒くさく迷惑なのだ。


A氏は “カリスマ性” という言葉をよく使っていた。私はこの言葉が大嫌いなのです。このカリスマ性と呼ばれるモノの実体にはかなり疑問がある。
ワケはわからないが、近頃ではそんな空気、雰囲気のあるものを容易に「カリスマ性」という言葉で片付けてしまっていることが多い。

カリスマ美容師
カリスマシェフ
カリスマデザイナー
カリスマ店員
カリスマ主婦
カリスマモデル
カリスマ女子高生
カリスマ社員
等々

・・・ ね! バカでしょ?(笑)


狭い業界内の第一人者を、少数の信者によってカリスマ扱いされているケースが少なくない。
それをマス・メディアが取り上げて、勘違いしちゃってるカリスマさんが多いように感じるのです。
カリスマ性なんてものは私的な感情であり、尊敬の念もあるかもしれないが、権威や威圧によっても生み出されるんじゃないかな?


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私が大好きなフーテンの寅さんこと、車寅次郎はカリスマ性の欠片もない。
あるという人もいるかもしれないが、私が寅さんに感じるのは、権威的なカリスマ性ではなく「華」なのだ。

『カリスマ性 = 華がある』ではない。

寅さんが我々に啓蒙していたのは...
 “ LOVE&PEACE&FRERDOM ”
ですからね。
寅さんの魅力は、苦労の末、国民栄誉賞になったという偉業ではなく「世界一のアウトサイダー」を演じ続けてきたということなのだ。つまり、尊敬の念ではなく憧れなのだと思う。


憧れ?
少年時代の、私の憧れは・・・。
ご存知、ミスターこと長嶋茂雄

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この人もカリスマ性の欠片もないですよね?
王貞治野村克也落合博満イチロー等に感じるような、求道者のようなイメージが全くない。
意味深い言葉もなく、説教臭さが全然ないんですよね。
ミスターは単純に野球を楽しんでいる。そこにあるのは華なのです。
だからこそ、あれだけ球場に人を呼び寄せ、国民的人気を博したのだと思います。


ミスターや寅さんという、絶対的な「華の存在」の前では、努力や技術みたいな言葉は意味がないんですよね。
もっと原始的な本能を呼び起こさせる憧れのような感情なのだ。


人が集るのはカリスマ性などでは決してない。
「華」の存在が大切なのだと思う。


カリスマは怪しい。

ハラグチ パン店

カレーパンが大好きなのです。

少年時代からずっと好きで、それは還暦を過ぎた現在でも変わらない。
あの食感がたまらないですよね? 外はカリカリで、ガブッと噛みつくと、口の周りにパンの欠片?がくっつく。中はもちもちでしっとりと甘辛い。
昔ながらのカレーパンのパン生地がたまらなく好きなのです。

菓子(惣菜?)パンは少年時代のおやつ代わりでしたね。勿論、我が家にはおやつなんて習慣(金持ちの子だけ?)はありませんでしたが、育ち盛りはいつも腹ペコです(笑)。買い食いしては晩御飯が食べられなくなり、叱られたこと度々。

カレーパンを中心に、好んで食べたのは、コロッケパン、焼きそばパン、ハムカツパンで、それが菓子パン界の四天王でした(笑)。あんぱん、アンドーナツ、クリームパン、メロンパン等の甘いものは好みませんでしたね。
中学になると、部活の帰りに正門前のパン屋でコーヒー牛乳で菓子パンを食べたのが懐かしく感じられます。

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ハラグチ パン店。

私の菓子パンの思い出は、少年時代過ごした近所にあった原口パン店から始まります。
店名が原口パン店なのかどうか?は、はっきり憶えていませんが、近所では、ハラグチ屋さんと呼ばれていたと記憶します。パンがメインだったと思いますが、パン屋なのか?乾物屋なのか? 駄菓子も売っており、メンコやベーゴマ、ビー玉まで売っていた。

そんな、ハラグチ屋さんの店番をしていたおばちゃんのことを、子どもたちは、愛称を込めて “パン屋のおばちゃん” と呼んでいました。
パン屋のおばちゃんは、とてもやさしい人で、いつもニコニコしては、買い物に来る子どもたちに接していた。
このおばちゃんの雰囲気は、ど根性ガエル、ひろしの母をちょっと若くした感じ? なにせ遠い昔なので、はっきりした記憶ではありませんが....。

「これ、ください。いくらですか?」
「あいよ! 30万円」
ポカーンとしていると。
「アハハ! 冗談、冗談、30円ね」
そんな、冗談好きなおばちゃんでもありました。
昭和30年代末から40年代。
まだコンビニがなかった古き良き時代だったんですね。


その後、近くにちょっとしたスーパー?が出来ると、客はそっちに流れたのでしょうね。
気楽に通っていた子どもたちも、中学生ぐらいになると、足が遠のくのも自然の流れです。
好きだった菓子パンも、種類の豊富な他店で買うことが多くなりました。
それから、ハラグチ屋さんが何年ぐらい続いたのかは記憶ありません。


私が高校生になった頃でしょうか?
駅に向かう途上でパン屋のおばちゃんにバッタリ会ったことがあります。
 
《ハラグチ パン屋のおばちゃんの、あの、私に向けた一瞬の目が忘れられません・・・》

最初は分かりませんでした。
“ どこかで見たことがあるような? ”

それは、紛れもない、あのパン屋のおばちゃんだったのです。
地味だったパン屋のおばちゃんが、以前のおばちゃんからは想像も出来ないような濃い?化粧。
服も少々派手めで髪型も...。
おばちゃんも、見られたくない姿を見られたと思ったのか? 私と目が合った瞬間、ギョッとしたような、そして、ちょっぴり冷たい視線を送ってきたような気がしました。
行き交うとき、苦笑いのような表情をしていたような気もします。
言葉は掛け合いませんでした。それ以来、私はあのおばちゃんを二度と見かけることはありませんでした。


あの変わってしまった?おばちゃんの姿を見た時。
私は、嫌だなぁ~ 気持ち悪いなぁ~ 怖いなぁ~ 等と、おばちゃんに対して心ない軽蔑の感情が湧いたのは、今ではとても恥ずかしく思っています。
当時は純粋で世間知らずの15~16の小僧でしたからね。
あの頃はスナックの類、そういう店が多かったんですよ。
ハラグチ パン屋のおばちゃんにも、色々と事情があったのでしょうね。
子どもの視線には、現在でいえばかなりの歳に見えたおばちゃんも、案外と若かったのかもしれませんね。


あの、ハラグチ パン店のカレーパンは本当に美味しかったなぁ。
現在では、菓子パンもどんどん進化してきましたね。
でも、昔の素朴さが失われ、どんどん高級になって経済的にも庶民の味からどんどん遠ざかっているように感じるのは、私が歳をとったせいだろうか?

かつて、個人経営の店にとっては黒船襲来だったコンビニエンス・ストアも、現在では一番庶民の感覚に近いのかもしれません。
いずれ、コンビニも衰退してノスタルジーの象徴になるかもしれませんね。


セブンイレブンのカレーパン好きですよ。安くて旨くて安心感がある。

テンポイントは呪われた文学である。最終章

テンポイントは呪われた文学である
Part ①
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2020/10/22/060229

テンポイントは呪われた文学である
Part②
https://okeraman.hatenablog.com/entry/2020/10/23/063426


テンポイントの生涯を追っていくと、どうしても「競馬は動物虐待か?」というテーマに突き当ります。

競走馬は経済動物であり、食肉動物と同じ扱いになるのかな?
通常、経済動物に対して動物虐待という言い方はしません。
でも、それは経済優先からくる人間のご都合主義であるのは明白。


祖母クモワカから続く、その一族の数奇な血のドラマを、私もそういうところがあるのですが、過剰に美化して語る競馬ファンは多いと思う。

本当に感動の、、血のロマンなのだろうか?
もっと不条理で残酷な呪いのドラマではないのだろうか?...

競馬は動物虐待なのか?
という難しいテーマは、昔から度々議論されてきたこと。
私如き素人が、これ以上触れることではないですね。



テンポイントの遺体が輸送され吉田牧場に戻ってくると、降りしきる雪、、悲しみに包まれる多くの人が見守る中、埋葬されたという。
その時、吉田牧場で繁養生活を送っていた、母・ワカクモは、まるで息子の死が判ったかのように天高く嘶いたという。

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はっきり憶えています。テンポイントの死を伝えるスポーツ紙の中に。
「流星の貴公子逝く。天国の(祖母)クモワカも泣いている...」
このような見出しがあったのを。
私は思うのです。
これは、テンポイントファミリーの感動ストーリーなどでは決してない。クモワカの呪いなのではないか? と...。

クモワカは人間たちのエゴの犠牲になってきました。娘のワカクモを介して、そんな人間たちに警笛を鳴らすため、問題提起を促すため、愛する孫、テンポイントを生贄として、競馬界に差し出したのではないだろうか?
クモワカの呪い。。。

テンポイントには、同じワカクモの子
(父も同じコントライト)である、キングスポイントという弟がいた。彼は中山大障害を制するなど、障害レースでは当時の最強馬であった。しかし、レース中の事故によってテンポイントと同じ運命を辿る。
なお、テンポイントは生涯11勝。母ワカクモ、祖母クモワカも同じ11勝をあげている。
これらは、単なる偶然なのだろうか?
そこから導き出される結論は?
テンポイントの悲劇は、クモワカの呪いなのである。

以上は、私の勝手な妄想であります。まるで、漫画みたいなことを言ってお恥ずかしい限りです。
でも、でも...。
クモワカを起とした、ワカクモ、テンポイントと続く物語は胸を打たれる。


テンポイントは文学である。
それも、呪われた文学なのである。


もし、競走馬を小説や映画にするならば?
テンポイント以上の存在はない!
(う~ん...。ホクトベガもいるね)


実在の名馬を素材とした小説や映画といえば、海外ではシービスケットセクレタリアトが有名ですが、日本ではトキノミノルだけですかね?
でも、古すぎるのでDVDも何もない、、のかな? 観てみたい。

架空の競走馬ならオラシオン(メリーナイス)が活躍する、宮本輝原作「優駿」があり、映画にもなりました。
宮本輝氏は大好きな小説家で「錦繍」や「青が散る」等、素晴らしい作品も多いのですが、この優駿に関しては駄作。映画も酷いものでした。


なぜなら、競走馬に対する、競馬に対する愛が全然足りないからです。
競走馬の物語ではなく、人間ドラマになってしまっている。
競馬を題材にするのなら、人間はそれに付随(二次的なもの)するものであり、そうあるべきものと思います。
人間ドラマより、名馬そのものを描いてほしいですね。
そういう意味では、宮本輝優駿」より、つの丸さんの漫画「みどりのマキバオー」の方が、ずっと、ずっと競走馬に対するリスペクトを感じるのです。



日経新春杯テンポイントの悲劇以降、ハンデキャップ競走などの負担重量について議論が巻き起こり、近年では無茶なハンデはなくなりましたね。
また、テンポイントの治療によって得られた数々のノウハウは現在でも広く活かされているのです。
テンポイントの悲劇は、獣医学の発展に寄与し、競馬制度の改革に改善を促したのです。

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クモワカが。
ワカクモ、テンポイントを通して放った呪いは、日本競馬界に大きく貢献した。

テンポイントは呪われた文学である。


  ・・・・・・・・・・・・・


祖母クモワカから始まるテンポイント物語。その生贄になったテンポイント自身は、その死によって子孫は残せませんでした。

しかし・・・。

ある、テンポイントファンの言葉が印象に残るのです。

ミスターシービー三冠馬になったとき、彼は言いました。

「シービー、勝ったやないか! あいつの父親とライバルだったのがテンポイントや! 」

テンポイントトウショウボーイ
このTT時代の素晴らしいところは、お互いのファンがライバルを誇りに思っていたところ。それは他に類がない。

テンポイントの最終章。
それは自身の死ではなく、ライバル、トウショウボーイの子、ミスターシービー三冠馬になった瞬間であると思いたいですね。


テンポイントは文学である。